桜萩原咲く39

拙い気持ちをぶっつけあって
心は育まれるのです
その心の啓蟄が
青春だと思うのです・・・・

※ 懐の大きさか・・・・

2012年09月05日 | Weblog
外食の時は比較的高頻度で
くるくる寿司を利用する
休日はいつも時間が定まらない

でも今を逃すと夜までもたない
だけど今腹いっぱいにすると
遅くなった晩飯は胃にこたえる齢になった

そんな気ままと胃のころ合いを図ってくれる
一皿単位で注文できるくるくる寿司は
還暦夫婦にありがたい
(母ちゃんはまだ還暦ではないが・・・・)

で、時々ちゃんとした?ご飯もんを
しっかり食べたい時に
今日亭に行く

いつもは女性の店員さん?が
席に案内したり注文を聞いたりの
世話をしてくれていたのだが

ある一日
そこの男性が同じことをしてくれた時に
気持ちがとてもくつろいだ
ゆったりとした満足感を覚えたのだ

そしてそれは
男女の違いではなく
たぶんその人の器の大きさではないかと・・・・

あるいは経営する側の人だろうか
賃金の対価としての仕事の接客と
主として客を迎え入れることとの違いだろうか等
考えながら店を出た

人の器とはこういうものだろうか
接する相手の心までをも豊かにする
相手を包み込むような
やさしさをよく一流の料理人に感じることがあるが

小心者の自分もいつかはそうなれればなあ
なんて ぼんやりと思った
・・・・かんさん





※ ぶらり散策・能勢~

2012年09月03日 | Weblog

来栖という交差点から左に向かうと
道は緩やかな下りとなって
気がつけばさほどアクセルを踏むこともなく
車は緩やかに進んでいく

向こうから走ってくる
自転車の少女が
このだらだらと続く坂道に
業を煮やしたかのような面持ちで

私のすぐ手前から 急に立ちこぎを始めた

漕いでも漕いでも
すぐに止ろうとする自転車に
腹立たしさを覚えたのか

あるいは自身が越えなければならない
このだらだら坂に
嫌気がさしたのか

一瞬にしてバックミラーの中で
小さな後ろ姿となってしまった
少女の気持は勿論
解るはずもない

ただおそらく少女は毎日のように
この坂を下って
そして登ってくるのだろう
たまたま通り過ぎた私とは違う・・・・

生きるとは概ねそういった
一つ一つの事柄が
時の風景と綯い交ぜになって

起こされていくものだと思う

下り坂の少女のきっと
嬉しそうであろう無邪気な笑顔を
想像しながら
この町を通り過ぎた・・・・

・・・・かんさん


※ 六甲高山植物園に行ってきました(^-^)

2012年09月02日 | Weblog


残暑の一日
ふっと 予定のない休日ができて
かといって

京都散策は 暑すぎる・・・・

できればどっか涼しいとこに・・・・
と思いあぐねて
六甲山にでも登ろか?

って まさか登山ではないのですが
もちろん車で
ひとっ走り行ってきました

この高山植物園は
いつだったか
写真の連れと
三脚かついで登ったことがありました

ニッコウキスゲと一緒に撮った
この可憐な紫の花を
母が好んで ずっと
実家の玄関に飾ってあったのを思い出します

その母が入院して二年がとうに過ぎ
残った気落ちの父がグループホームに
行ってしまった後の

人気のない玄関にポツンと
色落ちのした小さな額に咲いていた
桔梗の花

レンズを通して構える
無心の脳裏に浮かんできた風景

カナカナと低地では味わえない
涼しげな夏色の音と
苑庭を駆け抜けては
一瞬の涼しさを運び来る一陣の風

諸行無常を残夏の中に感じた
一日でありました

・・・・かんさん





※ やっぱりもとの画面が好い

2012年09月02日 | Weblog
それには 記事を更新なさいと
おっしゃるので
その目的のために
ぶらっと寄ってみました

今年の3月平均的に遅い順番で
還暦を迎えた
60年も生きてきたのかと
思うと
人生あっという間だなあと思う

あと20年生きて
嫁さんに膝枕してもらいながら
ありがとう 云って死ねたらいいと思う
最高やと思うわ

来年のことそろそろ
考えんといかんね
どない?みんな???

かんさん