33年前の親鸞聖人降誕会の弁論大会の壇上から
再び親鸞聖人降誕会の弁論大会の舞台へと
まさに黄金の鷲につかまえられて、引き戻された瞬間だった。
その場所が、滋賀会館から二千畳の壇上へと変わっていた。
そして、善知識の大号令の御言葉で始まった。
「今ぞ秋
親鸞学徒
飛翔せよ
謝恩の悲泣
五十の船出」
目に見えない無上仏の御心を、
どう表したら、どうお伝えしたら、
と、形になって表された御言葉と
思わずにおれない。
この大号令にNさんは、
まさに無上仏の御前に
引きずり出されてこられたのだ。
Nさんの叫びは、
無上仏、親鸞聖人、
そして30年何もかもが変わったが
親鸞聖人のみ教えを
変わらずに同じ事をひたすら説き続けてこられた
高森先生への謝恩の弁論だった。
30年で、真実だった、と知らされれば早いほうだ、
と講評で言われた。
本当にそう思う。
今生で再び、この教えしかなかった。
聞かせて頂いていたこの教えに間違いなかった、
と知らされて、
再び直に善知識から聞かせて頂ける人は
本当に幸せな人だと思う。
過去無量劫、この真実に遇うまでに
どれだけ迷い、苦しみにのたうちまわって
種々の善巧方便によって、この法に遇わせて頂いたのか。
それでも、真実のかけらのない我々は
まだ真実を疑い、善知識を疑い、
また迷おうとしている。
船出をした親鸞学徒には、
一人一人に、
これからさらに大波もくれば嵐にもあうだろう
今こそ
「この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってかこの身を度せん」
の聖語を噛み締め、
本当の船出をしなければならない。
再び親鸞聖人降誕会の弁論大会の舞台へと
まさに黄金の鷲につかまえられて、引き戻された瞬間だった。
その場所が、滋賀会館から二千畳の壇上へと変わっていた。
そして、善知識の大号令の御言葉で始まった。
「今ぞ秋
親鸞学徒
飛翔せよ
謝恩の悲泣
五十の船出」
目に見えない無上仏の御心を、
どう表したら、どうお伝えしたら、
と、形になって表された御言葉と
思わずにおれない。
この大号令にNさんは、
まさに無上仏の御前に
引きずり出されてこられたのだ。
Nさんの叫びは、
無上仏、親鸞聖人、
そして30年何もかもが変わったが
親鸞聖人のみ教えを
変わらずに同じ事をひたすら説き続けてこられた
高森先生への謝恩の弁論だった。
30年で、真実だった、と知らされれば早いほうだ、
と講評で言われた。
本当にそう思う。
今生で再び、この教えしかなかった。
聞かせて頂いていたこの教えに間違いなかった、
と知らされて、
再び直に善知識から聞かせて頂ける人は
本当に幸せな人だと思う。
過去無量劫、この真実に遇うまでに
どれだけ迷い、苦しみにのたうちまわって
種々の善巧方便によって、この法に遇わせて頂いたのか。
それでも、真実のかけらのない我々は
まだ真実を疑い、善知識を疑い、
また迷おうとしている。
船出をした親鸞学徒には、
一人一人に、
これからさらに大波もくれば嵐にもあうだろう
今こそ
「この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってかこの身を度せん」
の聖語を噛み締め、
本当の船出をしなければならない。