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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

Bible Nabi 第23課 聖霊か悪霊か?第14回 デイビット・カン

2017年10月11日 | 日記

キリストだけが、特別な聖霊の力を受けられた結果、あのような偉大な人生を歩まれたのではありません。また、自分に聖霊が臨まれたことを証明するために、奇跡を行われたのでもありません。キリストはただ一度も自分自身のために聖霊の力を使われたことはなく、ただ福音を伝え、神様の御心を行うことにだけ聖霊の能力を用いられました。キリストは聖霊に満たされておられましたが、それはただ天の父の御心を黙々と、しかし真剣に実行する人生を通して示されたのです。キリストは、愛と自己犠牲と粘り強さと自己否定の心で生涯を生きられました。それが聖霊に満たされた生き方なのです。

 同様に真のクリスチャンは、理性的な判断力と神様の真理が、感情と感覚を支配しなければなりません。真理は健全な良識の上に立てられ、秩序ある家庭生活を通して、他の人々に最も強力な影響力を発揮できるのです。

 ②.賜物を受けるために、何をどのくらいしなければならないのか?

 このような質問は、その質問自体に問題があるということを理解しなければなりません。そのため、この質問に対する答えを探す前に、私たちは「一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである」という原則を忘れてはいけません(Ⅰコリント 12:11)。聖霊の賜物は私たちの選択によって与えられるのではなく、聖霊ご自身が福音を伝えるために、摂理に従って、ある人を器として用いようとされる時与えられるのです。

 聖霊の賜物は、私たちが自分自身の必要に応じて選ぶのではなく、聖霊がご自身の必要と目的によって、準備された人に与えられるプレゼントであるということが聖書の言う真理です。私たちが聖霊を動かすのではなく、聖霊が私たちを動かされるという事実に心を止めなければなりません。

 神様は真実な聖徒たちを通して奇跡を起こされます。私たちは聖霊の奇跡と賜物を切実に求める祈りを捧げる必要があります。しかし、奇跡や賜物の必要性と、それが行われる場所や時間や環境は、すべて神様の御心と計画にかかっています。私たち人間は、神様の奇跡が行われるのに適切な時間や場所、環境を知ることは出来ません。

 そのため私たちは、神様の奇跡や聖霊の賜物を祈り求めるとき、イエス様がなさった祈りを見習わなければなりません。私たちはこのようにいのらなければなりません「主よ、あなたの栄光のために、聖霊の賜物を切に求める者の願いをきいてください」。「しかし、わたしの思いのままではなく、みこころのままになさってください」(マタイ26:39)。「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」(マタイ6:10)アーメン。