車えび料理専門 うすい山荘

昭和48年創業以来、県内外からのリピーターも多く
ご満足して頂ける事と思います。
TEL083-984-2426

うすい山荘は、今年で創業50年目を迎えました。

2021-04-16 21:20:51 | 創業50年、天然車えび料理専門、うすい山荘


うすい山荘は、今年で創業50年目を迎えました。

臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。

祖先は桓武天皇(西暦737年~)から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわらしんのう)である。

葛原親王は四品に叙して式部卿となった。

葛原親王の子は高見、孫は高望という。

高望は平氏の姓を賜り上総介となる。

高望には四人の子があって、國香・良将・良兼・良文といったが、武士となって東門守介或いは鎮守府将軍を任ぜられる。

國香の子は貞盛、良将の子は将門である。

良兼は上総介であり、すなわち 臼井家の元祖である。

良兼の妻は右大臣菅原道真公の娘で道真公左遷の時 父を慕って播州まで後を追った。

曽根相公はその孝に感心し、道真公の画像を 写して娘に授けたという。

これが千葉家より臼井家に伝わっている。

九州筑前国の「臼井氏由来記」。

臼井氏の祖が臼井常安であることは、どの文献においても変わりない。

臼井常安又は常康(臼井家初代)桓武天皇第11代の後裔

(平安時代後期の武士)

山口県山口市秋穂での歴史は、

西暦1623年に、秋穂の沖合を、

臼井の大船が航行中に、秋穂の小林家と遭遇し、

当時、山口県に蘭学医の医師が居なかったので、

小林家の頼みを受け、秋穂に住む、

これが、秋穂のうすい山荘の始まりである。

西暦1623年(秋穂での初代)

太平の世へと向かう江戸時代初期

臼井の船が瀬戸内海・秋穂の沖合を航行中に、秋穂の小林家と遭遇し、

当時、山口県に蘭学医の医師が居なかったので、

小林家の頼みを受け、秋穂に住む、

秋穂での8代目、医師 臼井 海蔵、当主、

秋穂での9代目、医師 臼井 隆助、当主、
 東京帝国大学医学部卒業後、帰郷
 福岡県福岡市の九州大学病院から再三の招聘を受けるが固辞し、弟子2名を
 派遣するのみ、隆助氏は、秋穂にて一医師として生涯を終える。
 隆助氏の4女、臼井マサ 画家、小林和作氏(梅原龍三郎の弟子)と結婚する。

秋穂での10代目、医師 臼井 卓爾、当主、
 京都帝国大学医学部卒業後、
 隆助氏のあとをつぐ。

秋穂での11代目、臼井 、うすい山荘の初代、

シベリアシリーズ画家、香月泰男氏の妻、婦美子婦人と、

親戚である。

山口県三隅町の香月美術館が、

泰男氏の息子が建てた美術館である。

また、三本の矢で、有名な

の毛利元就公とも、親族である。

秋穂での12代目、臼井 博隆、うすい山荘 2代目、経営者

秋穂で医師として400年間続き

秋穂で、天然車えび料理として50年間続き、今も続いています。

私自身、現役です。