車えび料理専門 うすい山荘

昭和48年創業以来、県内外からのリピーターも多く
ご満足して頂ける事と思います。
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うすい山荘の歴史は現存した千葉県佐倉市にあった『臼井(うすい)城』の歴史と関わり有ります。

2021-02-11 18:12:13 | 食事処 天然車えび料理専門、うすい山荘



歴史の興味がある方、必見です。

うすい山荘の歴史は現存した千葉県佐倉市にあった

『臼井(うすい)城』の歴史と関わり有ります。

ネットで臼井城と調べてね。

タウンページのうすい山荘のページで、

臼井氏由来記の赤い所をクリックしてください。

臼井常安又は常康(臼井家初代)桓武天皇第11代の後裔。

臼井常康氏は、臼井城の初代の城主であり

臼井城は、西暦1141年~490年間続きました。

九州筑前国の「臼井氏由来記」を転記する。

臼井氏の祖が臼井常安であることは、

どの文献においても変わりない。

うすい山荘、当主の手相です。一度、見ては。

2021-02-06 16:39:51 | 食事処 天然車えび料理専門、うすい山荘





珍しい手相

私、臼井博隆は、占師の方に「大変まれで珍しい吉相だ」と言われたぐらいの手相をしてるそうです。

「ますかけ線」しかも両手にあるみたいです!!

片手では1000人に1人で、両手では10,000人に1人持っているぐらいの手相だそうです。

他にもラッキーM字線や神秘十字線、俵線、運命線、太陽線、財運線、仏眼線(3眼線あります)などあり、

私もビックリしております。

車えびの美味しさと一緒に、幸運もおすそわけしたい!!そんな気持ちで、皆様にご提供しております。

★★★★★★★★★★★★

天下取りの相『ますかけ線』

手相の主要3線の知能線と感情線が一緒になり、

生命線の始点から横一直線に伸びている線がますかけ線です。

片手にある人は100人に数人程度居るそうですが、

両手ともにますかけ線がある人は1万人に1人とも言われる珍しい線です。

この手相は、一度つかんだ物を離さない大変な強運の持ち主。

また、天下取りの相ともいわれ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人は、このますかけ線だったと伝わっています。

★★★★★★★★★★★★

ご先祖様に守られている証『神秘十字』

神秘十字とは、その名の通り、十字に入った線なのですが、感情線から知能線の間にあるもののことを言います。

こちらの線は、信心深い人や神秘的なものに関心が高い人に現れる手相で、

実際占い師やスピリチュアルな仕事をされている人に多いとされています。

また、ご先祖様に守られている証とも言われ、

知らず知らずのうちに災難や事故が回避できたり、あったとしても軽傷で済んだりということもあるようです。

★★★★★★★★★★★★

霊感が強い人は親指に目を持っている『仏眼相』

親指の第一関節のところに、目のような形で現れるのが仏眼相。

インスピレーションが働き、霊感も強い人といわれる手相です。

また、記憶力が優れている人や直感力がある人にも多く見られます。


1623年(元和9年)臼井家の初代(江戸時代の初期)秋穂で臼井(うすい)医院として医業を開く。(うすい山荘)

2021-02-05 19:50:01 | 食事処 天然車えび料理専門、うすい山荘

江戸時代の初期から、

1623年(元和9年)、山口県山口市秋穂(あいお)の地で

臼井(うすい)医院として元和9年から開院し400年近く続きました。

山口県で一番古い医師の家系です。

秋穂の初代から10代目までが、医師でした。

山口県秋穂で12代目当主、

臼井博隆(うすい山荘2代目)(九州から、数えるえると29代目)

1623年、秋穂の初代う

太平の世へと向かう江戸時代初期

瀬戸内海・秋穂の沖合を臼井家の乗った大船が航行中、山口県秋穂の回船問屋・小林家の船と遭遇し、

小林家の当主のたっての頼みを受け、山口県秋穂で医者のいなかった秋穂で医業を開く、

(キリスト教の信仰を持っていたと伝えられている)

以来、代々、長州藩の藩医として召し抱えられる。

長州藩は、「三本の矢」の逸話で知られる毛利元就の末裔、毛利家を藩主とする。

臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。

祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわしんのう)(786~853)である。

臼井氏は、千葉一族のなかで最も古い一族で平安時代後期に千葉氏から分かれた。

すなわち、下総権介平常兼の子常康が印旛郡臼井郷の開発のために同地に赴任して、のちに臼井氏を称したことに始まったのである。

このように、臼井氏は千葉氏の有力支族である椎名氏・相馬氏・大須賀氏などよりも古い歴史を有し、

白井・匝瑳・海上氏らが勢力を衰えさせたのちも、

印旛郡臼井庄の臼井城を拠点として栄えた。

臼井城は、志津城・岩戸城・師戸城などの支城を持ち、臼井氏は一族や重臣を派遣して守らせていた。

頼朝の挙兵時、臼井常忠は房総平氏の惣領である上総氏に従い、

上総介広常の軍勢の筆頭に、常忠の子、成常・久常が名を連ねている。

臼井(うすい)家の元祖、臼井六郎常康(1106~1186)です。

千葉県にあった臼井(うすい)城の当主で、

臼井(うすい)城は、西暦1141年(保延6年)にでき、490年間も続きました。

臼井氏は千葉一族のなかでも最も古く、

平安時代後期に千葉氏から分かれた一族である。

同じころに千葉氏から分流した白井・匝瑳・海上氏などが勢力を衰えさせたのちも、

印旛郡臼井庄の臼井城(千葉県佐倉市臼井田字城内)を中心に栄えた。

臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。

臼井の地名は現在2021年(令和3年)も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。

臼井の地名は、今の千葉県佐倉(さくら)市と福岡県嘉麻(かまし)市に、残っています。

以下に九州筑前国の「臼井氏由来記」を転記する。

臼井氏の祖が臼井常安であることは、どの文献においても変わりないが、

その他の部分においては文献によって様々な違いがあり、諸説は後に述べることにする。

以下は「由来記」を原文を壊さない範囲で簡単な表現に変えたものである。

臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。

祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわらしんのう)である。

葛原親王は四品に叙して式部卿となった。

葛原親王の子は高見、孫は高望という。

高望は平氏の姓を賜り上総介となる。

高望には四人の子があって、國香・良将・良兼・良文といったが、武士となって東門守介或いは鎮守府将軍を任ぜられる。

國香の子は貞盛、良将の子は将門である。

良兼は上総介であり、すなわち 臼井家の元祖である。

良兼の妻は右大臣菅原道真公の娘で道真公左遷の時 父を慕って播州まで後を追った。

曽根相公はその孝に感心し、道真公の画像を 写して娘に授けたという。

これが千葉家より臼井家に伝わっている。

良兼の孫は致頼(むねより)平太夫と号して下総国千葉に住んだので千葉姓を名乗った。

致頼は勇敢で平貞盛の子維衡(これひら)・源頼信・藤原保昌(やすまさ)らとともに四天王と称された。

致頼の孫、忠常千葉前上総介は長元元年に乱を起して討伐軍と戦うが、後に源頼信に降伏した。

忠常の曽孫常兼従五位下上総介の三男常安(常康)は千葉六郎と号し長寛二年総州臼井を領し臼井六郎と改めた。

これを臼井姓の始めとする。

★★★★★★★★★★★★

医業と車えび料理…かけ離れているようで、当地・秋穂の風土への愛着に基づくことには変わりありません。

幼い頃に医師であった父を、そして戦争で多くのものを失った母が一念発揮して開いた当店。

妻と引き継いだ時には秋穂名物の・車えびは、養殖・天然ともに知名度が低く「なにもない」と言えるような状態でした。

しかし皆様のお力添えもあり、今ではお客様が増え、現在では「この味が忘れられない」と重ねてご来店になるお得意様が絶えません。(2020年12月現在)

福岡県福岡市の西日本新聞社のうすい山荘の日曜版の記事が昭和58年9月18日に出て以降、8年かかって母凉子と私博隆の2人で全国的に車えび料理を有名にすることができました。

うすい山荘を育てた、臼井家の歴史

2021-01-29 17:47:06 | 食事処 天然車えび料理専門、うすい山荘



当家のルーツは九州にて17代、山口県秋穂で10代、計27代続く医師の家系です。

江戸時代の初期から、

1623年、山口県山口市秋穂の地で

臼井(うすい)医院として開院し400年近く続きました。

秋穂の初代から10代目までが、お医者でした。

山口県秋穂で12代目当主、

臼井博隆(うすい山荘2代目)(九州から、数えるえると29代目)

1623年、秋穂の初代

太平の世へと向かう江戸時代初期

瀬戸内海・秋穂の沖合を臼井家の乗った大船が航行中、秋穂の回船問屋・小林家の船と遭遇し、

小林家の当主のたっての頼みを受け、山口県秋穂で医者のいなかった秋穂で医業を開く、

(キリスト教の信仰を持っていたと伝えられている)

以来、代々、長州藩の藩医として召し抱えられる。

長州藩は、「三本の矢」の逸話で知られる毛利元就の末裔、毛利家を藩主とする。

臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。

祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわしんのう)(786~853)である。

臼井(うすい)家の元祖、臼井六郎常康(1106~1186)です。

千葉県にあった臼井(うすい)城の当主でした。

臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。

臼井の地名は現在2021年(令和3年)も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。

医業と車えび料理…かけ離れているようで、当地・秋穂の風土への愛着に基づくことには変わりありません。

幼い頃に医師であった父を、そして戦争で多くのものを失った母が一念発揮して開いた当店。

妻と引き継いだ時には秋穂名物の・車えびは、養殖・天然ともに知名度が低く「なにもない」と言えるような状態でした。

しかし皆様のお力添えもあり、今ではお客様が増え、現在では「この味が忘れられない」と重ねてご来店になるお得意様が絶えません。(2020年12月現在)

福岡県福岡市の西日本新聞社のうすい山荘の日曜版の記事が昭和58年9月18日に出て以降、8年かかって母凉子と私博隆の2人で全国的に車えび料理を有名にすることができました。

ちなみに当家は日本を代表するシベリアシリーズ画家、香月泰男さんと日本画家小林和作さんとも縁続きで、二人の作品は山口美術館に常時展示されております。

小林和作さんは出生地も秋穂でありますので、画家の足跡を訪ねにおいでになりましたら是非当店にもお立ち寄り頂けたらと願っております。

うすい山荘、当家のルーツは九州にて17代、山口県秋穂で10代、計27代続く医師の家系です。

2021-01-28 17:58:03 | 食事処 天然車えび料理専門、うすい山荘




当家のルーツは九州にて17代、山口県秋穂で10代、計27代続く医師の家系です。

江戸時代の初期から、

1623年、山口県山口市秋穂の地で

臼井(うすい)医院として開院し400年近く続きました。

秋穂の初代から10代目までが、お医者でした。

山口県秋穂で12代目当主、臼井博隆(うすい山荘2代目)

臼井氏は本姓は千葉といい平氏である。

祖先は桓武天皇から出た天皇の御子 葛原親王(かずらわしんのう)(786~853)である。

臼井(うすい)家の元祖、臼井六郎常康です。

臼井の名は常安の代に現在の千葉県印旛沼の近くの臼井庄を領したところから始まった。

臼井の地名は現在2021年(令和3年)も残っており、常安は1114年(永久2年)にここに居を構えたという。

医業と車えび料理…かけ離れているようで、当地・秋穂の風土への愛着に基づくことには変わりありません。

幼い頃に医師であった父を、そして戦争で多くのものを失った母が一念発揮して開いた当店。

妻と引き継いだ時には秋穂名物の・車えびは、養殖・天然ともに知名度が低く「なにもない」と言えるような状態でした。

しかし皆様のお力添えもあり、今ではお客様が増え、現在では「この味が忘れられない」と重ねてご来店になるお得意様が絶えません。(2020年12月現在)

福岡県福岡市の西日本新聞社のうすい山荘の日曜版の記事が昭和58年9月18日に出て以降、8年かかって母凉子と私博隆の2人で全国的に車えび料理を有名にすることができました。

ちなみに当家は日本を代表するシベリアシリーズ画家、香月泰男さんと日本画家小林和作さんとも縁続きで、二人の作品は山口美術館に常時展示されております。

小林和作さんは出生地も秋穂でありますので、画家の足跡を訪ねにおいでになりましたら是非当店にもお立ち寄り頂けたらと願っております。