糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

共感、共同のDNA

2015-02-14 | 雑想

 「ニホンザル」といえば、いわゆるサル山を連想します。序列社会であり、ボスザルが群れを率いる一党、いや一頭独裁であることが知られていると思います。私自身はそのように理解してきました。ボスの入れ替わりは、若手の強い個体がボスと争い、奪取するとの話もありましたよね。

 

 ところが、お互いの争いを避けるためにハグをして、そのときのストレス、不満を解消していることが発見されたというのは実に興味深い話ではありませんか。

 NHKのニュース番組のなかで放送されたことなんですが、このときに紹介された例は、「二頭のサルの片方が毛繕いをし、それが終わっても、もう片方は毛繕いをしてくれなかった場面」です。毛繕いを先にした方(A)は、お返しをしてくれない相手(B)にいらだちを感じる仕草をします。「ムッとする」という状態です。が、次にはAはBを抱擁するんです。お互いに抱擁しあい、身体を前後に揺らします。お母さんが子どもをだっこするかのような風情です。で、Aは再びBの毛繕いを始めるというものでした。

 サルにもそういう社会的行動があるのだと知って、驚きました。

 

 人間には、外敵と戦う強力な武器を持ちません。裸では季節の変化にも対応できません。自然に対して、人間という個体はあまりに脆弱です。

 この自然の中で人間が反映できたのは、共同、共感するDNAを持っているからだと言われています。他の個体の状況を、人間は汲みとり、共感する力を持っています。そして、それを解決するために共同する力も。その力で助け合い、反映してきたのだと言うのです。

 

 つまり本来、人間は助け合いの動物なのだということ。人は、人助けをすると、脳内の快楽物質が分泌されるのだそうです。「人助けをすると気持ちいい」というメカニズムが、人間には備わっています。

 

 現代社会を、自然界にてらして「弱肉強食」と言う人がいます。こんな概念は、ごく一部の人間の都合で考えられたことでしかありません。弱肉強食は、自然界の法則とは関係ありません。そもそも、強弱の判断は人間が決めた基準です。

 まして、同族同士、繁栄しようとすればお互いに足を引っ張るなんて、考えられないことではありませんか。

 

 人間の英知は「民主主義」という仕組みをつくりました。より多くの人間が気持ちよくなるための仕組みを模索した到達です。

 

 一方、現代資本主義の人間社会において、強者とはお金を持っている者、弱者とはお金のない者を指します。強者は何をやっても良いことになり、弱者は何をされても文句を言えない仕組みになっています。カネの力を使って権力を振りかざし、まさに暴力で外交をしようとする安倍政権の政治は、民主主義に対して真っ向から挑戦する危険な政治です。

 

 いっせい地方選挙が近づいています。「国政は国政、地方は地方」というご意見もよく耳にしますが、そんなこと、安倍さんは考えてませんよ。地方で自分の言うことを聞く議会を増やし、己の力を強くして、己の夢=「軍国主義の日本」づくりに邁進する姿勢です。

 

 私たちもまた、「国政と地方は別」だなんて思っていません。国の悪い政治は、地方議会から声を上げることができます。国の悪政に対して、防波堤となる地方議会をつくるために、国会で増やしていただいた議席と共同して、全力でたたかいぬく覚悟です。日本共産党の議席の価値は、国政でも地方でも重要なものだと自負しています。

 

 また、地方政治で日本共産党がのびることは、悪政に対する住民みなさんの、もっとも明確な「NO」の意思表示になります。「共同、共感のDNA」をきちんと受け継ぎ、人間らしい社会をめざす日本共産党への応援をよろしくお願いします。

 


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