糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員長の日々のあれこれ

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旅自転車は嵐とともに

2015-09-10 | 雑想

 このところ悪天候が続いています。おかげで、嵐とともにやってきた新車「ARAYA Federal(アラヤフェデラル)」も、ほとんど出番なし。鬱々とした日々を過ごしております。

 

え?このタイミングで戦争法案の話じゃないのか? いやまあ、それもそうなんですが、私はもともとこういうタチで。

 

 そもそも今回旅自転車(ランドナー)をチョイスしたのは、「雨が降っても走れる」ことも選択基準に加えていたはず。ロードバイクに(雨でないときだけ)乗っていたために、「雨でも大丈夫」という感覚をすっかり忘れていました。

 

 思えば高校入学を機会に購入したランドナー(ヨンキュッパ)。通学に使用していましたから、雨が降ったって走ってたんですよね。あの頃は若かった...。高校に通う3年の間に、フロントフォークもホイールも2度ほど交換しました。

 

 

 しかあし、フェデラル号ならば、雨天でも大丈夫。いや、ロードバイクで走れないわけではありませんよ。実際レースは雨が降ったってやるんですから。ただ、レースと日常使用とはやはり違います。経験している方はよくお分かりと思いますが、泥よけのついていない自転車で雨の中を走るのは、なかなか根性のいることです。

 後輪の泥ハネは尻から背中に数字の「1」を刻みこみ、ちょっとでもハンドルをきれば、前輪の泥ハネが容赦なく顔面を襲います。膝から下の部分の濡れ方、汚れ方も尋常ではありません。雨に降られて濡れるのは大丈夫でも、泥ハネはメンタルが削られる思いがします。

 

 泥よけがある自転車って、なんて快適なんだろう...フェデラル号に乗った第一印象ですw。初走行は小雨の降るなかでした。

 

 

 仕事の都合上、自転車ばかりというわけにもいきませんが、ある程度荷物を載せることができて、長距離をそこそこの速度で走破できる自転車といえば、私にはやっぱりランドナーです。

 ロードバイクほど気負わずに乗れ、MTBと違っていろんなハンドルポジションがとれ、何より、荷物を乗せることに全く違和感がない。素晴らしい自転車です。ママチャリや通学用自転車よりもスポーツ走行に向いた作りも二重マル。

 最近はロードバイクにキャリアをつけたり、デイパックなどを背負って走っている方も多いです。かくいう私もそうでした。

 が、自分が荷物を背負うというのは、ダメージも相応にあるものですよ。その点、荷物を自転車に乗せられるメリットは大きいといえます。また、ロードバイクはもともと競技用。荷物を載せて走るようなことは本来想定されていません。自転車にもよろしくないと思います。

 

 

 さて、少々の雨が降っても自転車で移動できるよう、装備を考えることにします。

 とりあえず戦争法案を止めないとね。

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旅自転車への回帰

2015-08-27 | 趣味

 久しぶりの投稿で趣味の話で恐縮ですが、今回も分からない方は容赦なく置いて行きますw

 私が幼少の頃は「ドロップハンドル」の自転車こそが「オトナの自転車」でした。ドロップハンドルというのは、ざっくりした言い方になりますが、今流行のロードバイクについているハンドルです。

 小中学生の頃は、「ドロップハンドル禁止令」があったようで、乗れませんでした。初めて買ったのは丸石ROAD ACE。エントリーモデルの、いわゆる「ヨンキュッパ」です。でも嬉しかったなあ。この自転車で、中学卒業記念に、仲間たちと長崎まで走ったことは、私にとって一生の宝です。

 その後、MTBに浮気したり、あこがれだったロードバイクに乗るようになったりしていました。

 しかし、そのロードバイクのパーツに劣化が生じ、競技として乗ることもなくなった今、再び注目したのが「ランドナー」という小旅行用の自転車です。

 もともと勝負に執着するタイプではなく、ストイックな走りができなくなってもいます。しかしいかんせん、MTBの台頭によって、かつての旅自転車はシェアが小さく、探すのに苦労しました。いままた、少し人気が出ているようですね。

 

ドロップハンドルのスポーツ車ですから、ランドナーやロードバイクなど、自転車にあまり興味のない方は、ぱっと見、見分けづらいかもしれませんが、いろいろと違いがあります。

 ロードバイクは、本来競技用。速く走ることだけを追求した自転車で、馬に例えればサラブレッド。一方、ランドナーは荷物を載っけてキャンプや宿泊などをしながら走るための自転車で、実用上の機能も盛りだくさん。頑丈さが取り柄です。農耕馬ですね。ばんえい馬とまではいかないと思います。質実剛健の結晶、実用車こそがばんえい馬と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。

 

 ま、そんなわけで、オトナのゆとりを楽しむ自転車に乗ることにしたのでした。旅自転車は30年ぶりの購入ですよ。

 

 とはいえ、買ったのはやっぱりエントリーモデル。どうもMTBがベースのような...。それでも、鉄フレーム、実用満点の泥よけに26インチタイヤ。さすがに重い。でもやっぱり、気持ちに余裕を持って走れていいです。ロードバイクはついついスピードなどに気を取られて...。

 

 

 そうそう、通常ショップが取り寄せる場合、「7分組」と言われる、半完成品をショップで組み立てて完成させるのが通常。今回はネットで購入しました。身長をお伝えしておいて、そこそこのセッティングになっていましたが、ブレーキブラケットの取り付け位置がまずく、そのせいでハンドルバーの取り付け角度もおかしな感じです。

 

 メーカーでブレーキレバーを取り付け、バーテープを巻いて出荷しているのでしょうから、ここはメーカーさんに、ちゃんと基本の位置で取り付けてもらいたかったなあ。新しいバーテープをはがすのって、ちょっともったいない気がします。

 もうひとつ気になるのは、フロントブレーキの「鳴き」です。ブレーキをかけたときに「キュー」とか「プァーン」とか音がするのは周囲にも迷惑ですし、何より恥ずかしい。修正を試みていますが、まだ上手く行きません。

 

 それから、補助ブレーキも外したい。サドルは交換しました。革製です。でも英国製ではありません。一本足のサイドスタンドも付けました。ロードバイクには付ける気がしないのですが、ランドナーだからこそ、これはオッケー。

 

 あとは前後にキャリアをつけて、ハンドル回りのセッティングを煮詰めて...で、本格的に始動となるかな。

 

 あ、今日は試走のつもりで、こいつで出勤したのでした。

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似て非なるもの

2015-06-19 | 雑想

 戦争法案が国会で本格的に論議されています。

 党首討論でも特別委員会質疑でも、安倍首相のへどもどした語り口にはいらだちを感じていますが、国民世論の反対の声が高まるなかで、強がってみせていても、安倍首相本人が一番いらだっているのかもしれません。いや、いらだちを通り過ぎ、今や不安なのではないでしょうか。

 

 「今の状況が戦前に似ている」というご意見を、ネット上で目にすることがあります。日本が、国民の知らないうちに深刻なまでに戦争の深みにはまっていく頃のようだということなのでしょうか。

 確かに、私もそう感じたことはありました。もっと前に。小泉氏が首相になったときでした。異様に高い支持率もあり、自民党内にとどまらず、他の野党も追随、マスコミまでも異様に持ち上げる雰囲気に、「大政翼賛会」ができたころの情勢って、こんな雰囲気だったのだろうかと思いました。

 今は、まさに「海外で戦争できる国」になるのかどうかが問われている情勢です。権力を掌握している一握りの少数派によって、この国のあり方が大きく変えられようとしているときです。

 しかし、当時とは決定的に違うことがあります。社会の仕組みです。この社会の仕組みが違うことが、当時とは大きな違いを作っています。

 戦前、日本は絶対主義的天皇制であったことは、中学校までの授業で教わっていると思います。選挙制度があり、内閣、国会もありましたが、全ては「天皇の許す範囲」でのこと。教育の現場でも、子どもたちは天皇を「現人神」だと教えられ、当時の憲法にも、「神聖にしておかすべからず」と明記されていた存在でした。

 当時国民がもっていた自由は、「天皇の許す範囲」にとどまりました。国民は天皇に仕える「臣民」にすぎませんでした。

 

 敗戦後、日本は国民が主権者となって国をつくる民主主義の国になりました。紆余曲折を経て、選挙制度などに新たな問題を抱え込んだりはしていますが、国民のもっている自由は、戦前の制限されたものとは全く違います。

 

 決定的な違いは、まさにここです。

 国民は、自分たちの自由を享受して育ち、国民主権、民主主義をまがりなりにも経験しているということなんです。

 戦前なら、「御上の言うことだから」で終わっていたことでしょう。何しろ主権者は国民ではありませんでしたから。しかし、国民主権の国で安倍首相の所行が許されるはずがないことを、現在の国民は知っています。

 

 「戦争をしない」と誓った国で、主権者としてこの国に生まれ育った国民にとって、安倍自民・公明政権がやろうとしていることはルール無用の暴挙であり、この国の主人公である国民に対する反乱=クーデターであると言っても過言ではありません。何しろ国のカタチを変えるおこないです。

 

 改憲という過程を経ることが難しいと思うと、「解釈」の変更だけで進めようとする無理がすでに露呈し、破綻しています。それでもなお、安倍政権はゴリ押しを進めています。「国会では多数だから」と思っているかもしれません。「とにかく戦争できる国への道筋をつけておけば、あとはどうにでもできる」というのが、安倍首相の狙いでしょう。

 

 しかし、強引に押せば押すほど、国民との矛盾は深まります。今まさにそういう状況ではないでしょうか。戦争を知らない多数の国民が「戦争したくない」と願っています。世論調査でも明らかですし、一頃は見向きもされなかったデモや集会に、老若男女を問わず、多くの国民が集まり、声をあげています。

 安倍政権を世論で包囲して孤立させ、断念させることが今の日本でできること。この声と運動を、「国民の声を無視すれば、自民党、公明党の今後の存続すら危うくなる」と思い知らせるほどに大きくすることが、いま大切なことだと思います。

 

 勇気を持って、声をあげましょう。一人で声をあげるのはなかなか度胸のいることです。一人が難しくても、私たちがいます。集会やデモも各地で行われています。そこに参加することも大切な「意思表示」です。

 この意思表示こそが、安倍の反乱を鎮圧し、私たちの命を守るための手段となります。何かの機会に、そういう集まりがあることを知ったときには、ぜひご参加ください。

 

 

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武器を持たぬ外交こそ最強

2015-05-16 | 日記

 最近、動画配信サイトでチャップリンの長編映画が配信されるようになり、「独裁者」を久しぶりに見ました。

 何度も見ているのに、新しい発見もありました。あの映画では、軍事力の競争を風刺する場面もあり、テロリズムを否定する場面もきちんと描かれていたんですねえ。

 独裁者に意見したことで失脚した将校。命の恩人であるユダヤ人の主人公の下宿に身を隠します。暴政を止めるために、爆弾による暗殺を計画。その「殉死者」を、ケーキに仕込んだコインで決めることになりました。しかし、このケーキを作る女性の機転により、全てのケーキにコインが入れられ、この計画は「お流れ」になりました。

 「爆弾で無関係の人を巻き込むなんてダメだ」「他に方法があるはずだ」というものでした。

 同盟国の独裁者が来たときにも、相手を見下ろそうと、散髪室でムダに椅子を高くする競争をしてみたり、軍事パレードで「力」を誇示する場面があったり。分かりやすく、面白く、しかも痛烈に風刺するチャップリン。彼がこの映画を作ったのは、ナチスドイツが栄華をきわめていた頃。あらためて彼の先見性と洞察力、それを作品に昇華させた執念と勇気に驚かされます。

 人々に不安と序列を与え、戦争へ駆り立てる権力者たち。独裁者は、「舌」によって権力を握り、その権力を利用して「力こそ正義」の国をつくります。

 安倍首相が「戦争立法」によって、「日米の抑止力によって、日本の安全がより高いものになる」と言っていますが、とんでもない話です。

 武器を持たなければ、どの国とも対等な立場で仲良くできます。何しろ、周囲からは「武器を持たない、攻撃をしない国」として認知され、信頼されます。この状態がもっとも安全な状態です。しかし、ひとたび武器を握れば、そこには必ず「敵」が生じ、敵ができれば、そこには争いが生まれます。

 力に頼り出すと、「自分を守る最小限」では絶対に収まりません。一旦力によって解決しようとすると、どちらかが倒れるまで、徹底して衝突するしかありません。相手をねじ伏せるしか、解決する方法はないのです。そのためにはより強い力が必要となります。

 戦争は天災ではありません。「備えあれば」というような防災の感覚で軍事力を持つことは本来あり得ないのです。日本は、武器を持たず、平和外交によって国際紛争を解決する決意を示した国。この国が武器をもち、銃口を海外へ向けることは、国際的な信頼を一気に失うことになり、戦争のリスクを高めることにしかなりません。

 

 安倍自民党と公明党の合意によって、平和憲法を蹂躙する企みが推し進められています。これを止めるのは国民のみなさんが声であり、行動です。なんとしてもこの企みを止めるために力を尽くしたいと思います。

 

 

 動画つながりで余談ですが、最近見たドラマで「いいこと言うなあ」と思ったシーンがあったので紹介しておきます。

「ST 赤と白の捜査ファイル」というドラマの最終回です。「天才的な能力を持つ科学捜査班が捜査権を持って難事件を解決する」ような話なのですが、このリーダー的存在の主人公が、「超法規的制裁集団」に誘われます。つまり、法で裁けない悪人に死の制裁を加える(殺人)ことは正義であるという考え方を持つ集団です。主人公は、「どんなに時代や社会が変わろうと、法律をねじ曲げ、憲法の解釈を変えようと、殺人は絶対悪だ」と、「悪人の殺人」を合理化する集団に対して言い放ちます。

 「憲法」という言葉が出てきたので驚きましたが、なるほど、面白いと思いました。「正義」の名の下に、国家規模で行われる「戦争」もまた然りではないでしょうか。

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まったく余裕なしでした

2015-04-30 | 日記

 長いことブログの更新もFacebookもまともにできませんでした。そういうことをする時間と心の余裕が全くなかったと言うほかありません。

 いっせい地方選挙では、県議選高崎市区(定数9)に1人擁立。後半戦の市町議選では、高崎市、藤岡市、安中市、富岡市、甘楽町の4市1町で候補者を擁立、高崎市議選では3議席維持で2人が新人。安中市議選では現職2議席、富岡市と藤岡市は、それぞれ新旧交代のたたかいとなりました。

 

 どの選挙でも夢中になっているうちに終わった、なんてことが多いので、つまりはあまり学んでいないわけです。私としては。そんな私が、地区委員長という立場で初めて臨んだ選挙が上記のようなたいへんなところばかりでしたから、そりゃもう余裕なんて欠片もありません。

 

 とにかく大変でした。逃げ出したくなるくらいに。

 

 それでも、数多くの党内外のご支援をいただき、どうにか全員の当選をかちとることができました。甘楽町議選は無投票で当選が確定しました。

 全国的に見れば、地区委員長なんて任務を負いながら、地方議会議員の候補者として奮闘している人もいるわけで、自分の力がいかに不足しているかということばかりが思い知らされました。ほんとに消耗しました。

 

 とはいえ、泣き言ばかり言ってる場合ではありません。地方選挙で国政が本格的な争点になる、これだけ分かりやすい選挙も珍しいことだと思います。

 「安倍首相はこわい。戦争できる国なんか、子や孫の世代にしたくない」という声のなんと多いことか。みなさんからのこの声があったからこそ、候補者も、運動してきたスタッフも、裏方の私も大いに励まされました。その期待に応えるとりくみを今後大きくしていく責任が私にはあるわけです。上がっている声を、みなさんと一緒に、具体的な「力」にする必要があります。

 自民党が憲法改正を説明するパンフレットを発行したそうで、PDFで見られます。

 早速私も見てみました。まあなんというか、一面的で説得力もないお粗末な「説明」です。と、一刀両断できるものではあるのですが、何の興味もなかった人がこれを読むと、良いようにだまされるのかなあとも思います。

 

 きちんとした反論もできるだけ早いうちにまたブログでしたいと思います。同時に、「なぜ憲法を変えるべきでないのか」ということも、こちらから、分かりやすく、親しみやすく広げて行く努力も必要なのだろうとも感じます。

 

 知っている人にとって、自民党のパンフは「お粗末」と言えますが、一方で「憲法を守れ」という立場がどう理解されるのか、こちらも勉強が必要ではないでしょうかね。研究します。

 

 なんて、つらつらと思いつくままの駄文で失礼。「まだ癒えていないのだ」と思って、温かく見守ってくだされば幸いです。

 

 

 

 あ〜、それにしてもカメラいじってないなあ。早く趣味も再開したい!!!!

 

 

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