永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(50)の1

2015年07月05日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (50)の1  2015.7.5

「読経修法などして、いささかおこたりたるやうなれば、ゆふのこと、みづから返りごとす。『いとあやしう、おこたるともなくて日を経るに、いと惑はれしことはなければにやあらん、おぼつかなきこと』など、人間にこまごまと書きてあり。」
◆◆経を読み、加持祈祷などして、どうにか病状が良くなられたようで、なんとかご自身からのお返事がありました。「こんなにひどく、重い病気になったこともなく来て、このような前後不覚に陥ったことはなかったせいか、とにかくあなたのことが心配で」などと、人目を避けて細々と書かれていました。◆◆


「『物おぼえにたれば、あらはになどもあるべうもあらぬを、夜の間に渡れ。かくてのみ日を経れば』などあるを、人はいかがは思ふべきなど思へど、われもまたいとおぼつかなきに、たちかへりおなじことのみあるを、いかがはせんとて、『車を給へ』と言ひたれば、さしはなれたる廊の方に、いとよう取りなし、しつらひて、端に待ち臥したりけり。」
◆◆あの人の文には、「大分気分も良くなったので、おおっぴらと言うわけにはいかないが、夜分にこちらにおいで。こんなにも会わずにいたのだから」とあったので、気に入らない人は何と思うかしらなどと思うものの、私もまた居ても立ってもいられないので、また折り返し何度も同じ事を言ってこられるので、それではと、「ではお迎えの車をおよこしください」と申しました。出かけて行きますと、寝殿から離れた渡廊の方にたいそう綺麗なお部屋を設えて、端近なところで横たわっていらっしゃいました。◆◆


「火ともしたるに、火消させて下りたれば、いと暗うて入らん方もしらねば、『あやし、ここにぞある』とて、手を取りてみちびく。『などかう久しうはありつる』とて、日ごろありつるやうくづし語らひて、とばかりあるに、『火ともしつけよ。いと暗し。さらにうしろめたくはなおぼしそ』とて、屏風のうしろにほのかにともしたり。」
◆◆灯していた火を消させて車から下りたものの、真っ暗で入り口も分らないでいますと、「どうしたの、こちらだよ」と言って、手をとって案内してくれました。「どうしてこんなに隙取ったの?」などと先日来のことを少しずつ話ししてから、しばらくして、「灯を灯しなさい。大分暗くなった。人に見られる恐れはないから心配しなさんな」と言って、屏風の後ろにほんのりと灯をともしたのでした。◆◆

■読経修法=(どきょうずほう)=読経は本を見ながら経を読み、修法は加持祈祷をすること。

■ゆふのこと=くずし字が不明のため、とりあえず「案の定」と訳されている。

■人間に=(ひとまに)人目を避けて。



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