京ことばと生活の知恵

暮らしの中の京ことばは、生活形態や街そのものが大きく変ったことで、多くが消えていったことは否めない。

ほっこりしたなぁ!

2007年05月31日 | Weblog
お友達に頼まれて、久しぶりにお買物に付き合う。

彼女とは、中学2年生からのお付き合いで、自分の親との付き合いより長い期間が経過している。

なにか、虫が好くというのか、お互い結婚や子育て中は行き来が疎になることはあっても、未だに続いている。

そして、頼りにされている。

人に物を贈る買物で、これはどうかな?、これでいいかな?と振り回されるのである。
その後は、お定まりコースのティータイム!

「せんど歩いたので、ほっこりしたなぁ」と二人で顔を見合わせて、笑いながら話に花が咲くのどす。

この「ほっこり」というのは、「暖かい様」という意味はありますが、疲れた・がっかりした・いやになったと言うのが本来であるそうで、

このことを知ったのは、以外に最近のことでした。

軽い疲れの後、ほっとして暖かい気分になった、後の様をいうのだとばかり思っていましたが、そうではなく、疲れたとかがっかりしたという、

良くない状態のことを指していたとは、知りませんでした。

長年京都に住んでいながらも、分らないことは、まだまだ多おす。



じじむさいなぁ!

2007年05月28日 | Weblog
長年京都に住んでいると、「じじむさい」ということばをよくつかいます。

長く履き慣れた皮製の白色のスニーカーが、足になじんで履きやすく、何時も履いているものだから、色が変ってきていた。

お友達と待ち合わせに、今回もそれを履いて行くと
「じじむさいなぁ!」その靴と言われてしまった。

新しい靴が買われへんか?と、靴屋さんに連れて行かれながら、大笑いする。

なんとなく、捨てがたかっただけのこと・・・

友達が、店員さんに、「その靴処分しておいてね!」あんたが言うことばですか?

垢抜けしない、汚らしい身なりをするとじじむさいと思う。

人から頂く物は、われ先に・・・、自分の持っているものは絶対に分け与えない、
施すという気持ちのない人とも、なかなか付き合いにくいもので、
「あの人、じじむさいなぁ」といった表現もします。

「じじむさい」は、「爺さんくさい」というよりも「田舎くさい」とあざける感じになる。

趣味が悪い・金使いがいじましい・物言いや振る舞いが粋でない・気がきかず
手ぎれいでない・体裁が悪い・格好が悪い等の様をひっくるめて「じじくさいなぁ」といい、嘆き、笑ってさげすみます。

「むさい」は心がきたない・卑しい・下品・きたならしという意味だそうですので、京ことばは、全体としては優しく、柔らかに聞こえますが、含んでいる意味は
「きつい」ことばが少なからず有ります。

しかし、こういったきついことばは、なかなか、面と向かっては言わしまへん。



へぇ、おおきに。

2007年05月26日 | Weblog
未だ若かった頃、今から思うと経験が浅かった勢もあったのだろう!

久しぶりに友達に会い、旧友との集いが有ったので、誘ってみた。

返事は、「へぇ、おおきに」だった。

後日の確認も取らず、勝手に出席と決めてしまった。

当日、時間が過ぎても来られなかった。

現在のように、誰もが携帯電話を持っている時代ではなかったもので・・。

他の幹事さんに、「その人、確かに行くて、言わはったん?」と聞かれ、

「へぇ、おおきに」言わはったし、時間と場所を言うときました。

「へぇ、おおきに、だけか?」と念をおされてしまう。

「それやったら、来やはらへんわ!体裁よく断られたんやわ」

「・・・・・?」

私は、(へぇ、おおきに、お誘いいただいてありがとう、参加します)

と解釈してしまいました。

後々、良い勉強にはなりましたが、今でも、この失敗は忘れられません。

京都には、この手の言い回しがよくありますが、

先のごとく、良いように解釈できるし、逆の場合は

「お誘いいただいてありがとう、興味がないので、遠慮させてもらいます」

と、言う意味が含まれていたのであろう。

いえ、参加しませんと即答すると、気が悪いとの気遣いからか?

誘いに対する謝意を、述べられただけだったのです~。

最近、「おおきに、ありがとう」ということばを、

よく耳にするし、自分でも、言っている。

「へぇ、おおきに」より、こちらの方が多く使われています。

謝意の駄目押しのような、念の入った言い方ですが、

決して、断りや否定にならないとは、限らない。



お早よう、お帰り。

2007年05月24日 | Weblog
確か、昭和の時代が終わる頃まで、言っていたように思う。

毎朝赤い自転車に乗って山科という所から、京都の中心地にある郵便局に出勤する父を「お早ようお帰り」と言って母と一緒に送り出していた。

何時の頃からか「いってらしゃい」に変ってしまった・・・

今のように核家族ではなく、子供も大体が5~6人で子沢山の家庭が多かった。

父親が家長として一家の中心的な存在だったため、仕事にしろ他の用事にしろ外出する時には、無事を祈る気持ちがこめられていたのでしょう、皆で「はようお帰り」と言って送り出した。

他の本で読んだことがあったが、地方から出てきた学生さんが、京都の下宿先のおかみさんに、毎朝、このことばで送り出してもらって、身にしみて嬉しかった。

そして、はじめての京ことばとして印象に残ったそうです。

しかし、このことばも、単なる習慣化された挨拶ことばに過ぎないところも、あったようです。

現在、帰りが遅い旦那さんに向かって、「おはよう、お帰り」というと、
なんだか嫌味っぽくて、素直に喜べない御仁も、おいやすことでしょう?



あほやなぁ。

2007年05月24日 | Weblog
鞄に入れた積りのお財布が見当たらない。

一緒だった友達に打ち明けると「あほやなぁ」。

買物の途中で日傘を忘れ、探しに行ったが既に無かった。

「あほやなぁ」と妹に言われる。

気の毒やなぁと言って、慰めてはくれない!

が、ほんまに、あほや!と思う。

あほう・阿呆・阿房・あほくさ・あほたれ・あほらし・

あほかいな・あほなことしんと・あほな奴っちゃ・

あほと違うか・あほらしゅうて・あほやがな・

あほは風邪ひかん等々、とぼけたような意がある。

関東の「ばか」にくらべ関西の「あほ」はやわらかく感じます。

こんなことがありました。

中学生の頃からの友達が、何時頃から覚えたのか

ぱち○こにはまってしまい、

旦那さんには内緒で、ゲームで勝てる方法を教える会社?というか

団体に所属し、契約金として20万か22万円を支払ったそうです。

暫くすると、その方法は使えなくなったので、

他の方法を教えるので、もう10万円振り込むように言われ、

やっと、詐欺まがいの会社だったことに気が付いたそうです。

どうしようと相談されたが、諦めるより仕方がないようです。

と答え、思わず言ってしまいました。あほやなぁ~!


おおきに、はばかりさん。

2007年05月22日 | Weblog
私が子供の頃、半世紀以上も昔のことになるが、

未だ、回覧板(今でもあるのかな?)を回していた頃、

母親に言いつけられ、回覧板を届けに行くと、

となりのおばあちゃんから「おおきに、はばかりさん」

い言って、よく紙にくるんだ飴をもらった。

懐かしい記憶である。

今は、マンション住まいで、回覧板なるものは見かけない。

玄関脇のメールボックスに、管理会社が発行する文書が

投函されている・・・。

(「はばかりさん」というのは「はばかりさま」で

相手にお世話になった時や、一寸したことを頼む時の

挨拶の言葉で、恐れ入ります・ご苦労様の意です。

決してお手洗い・便所の意の「はばかり」ではないので

念のため申し添えます)


ええ加減なこと、言わんといて!

2007年05月21日 | Weblog
社交ダンスをしている友達が、
ペアを組むまでは行かないまでも、
気の合ったパートナーとよく組んで踊っていた。

一向に踊りの相手をしてもらえない女性が
あの二人は出来ていると、噂を流して歩いていた。

ご主人公認で、ダンスを楽しんでいた友達も
余りの根も葉もない話に、堪忍袋の緒が切れて
噂を流した本人に向かって
「ええ加減なこと、言わんといて!」
と、切れて抗議をしていた。

京ことばは柔らかくて、角が立たないような言い回しが
特徴だとも言えます。

「ものは言いようで角が立つ」と言いますが、
その知恵を生かしきっているのが、京ことばと言えるでしょう。

そんな京ことばの中にも、相手の胸に
グサッと突き刺さることばがあります。

それが「いわんといて」「ほっといて」にあたります。

これらは売りことばに買いことばであって、
これを言わせる相手にも、問題があるようです。

本来、この類のことばを言わさないように、また、
言わなくて済むように出来ているのが、京ことばだと思っています。


へぇ。

2007年05月19日 | Weblog
久しぶりに「あんなぁ、へぇ」と言うことばを耳にした。

子供の頃、よく使った言葉だった。

な~んか、なつかしかった。

今で言う、「あのね、私の話を聞いて」
と、話しかける時の言葉になるのかな・・・。

同じへぇ~でも、ぇ~の語尾が上がると
いまどき若者のあいだで、よく耳にする“うそっ!”

と言うことにもなり、語尾が下がると
相槌を打つ様子にもなります。

感嘆詞としてのへぇ~も!

「へぇ、おおきに!」

「へぇ~、そうどすか」

いまどき・・・どす という言葉は、
あまり使わなくなってしまいました。

あんなぁと呼びかけて、     
へぇと自分で返事をしているのではないですよ!

駄目押しというか、注意を引こうとする
感じがこもっていて、
「ねぇ、ちょっと、聞いて、聞いて!」という感じかな?

「へぇ」にもいろいろ、京ことばはおもしろおすやろ!


 

お地蔵さんが、居てくれてはる。

2007年05月17日 | Weblog
京都の市街地だけではなく、周辺の家並みを歩くと
必ずと言っていいくらい、お地蔵さんに行き当たる。

何気なく目にした光景に、思わず微笑んだことがあった。
30過ぎのお母さんと女の子が、お地蔵さんに

お花を供えながら、子供に話しているのを
聞くとはなしに聞いていた。

「町内にはお地蔵さんが居てくれはって、子供を
守ってくれてはるのぇ」。

その後、その子は、毎日お地蔵さんにお参りに
行っていることを知った。

お地蔵さんに、何をお願いしているのだろう!

何を、話しているのだろう!


「お地蔵さんが、居てくれてはる」というのは
敬意の表現であり、「居てくださっている」ということです。

お地蔵様の人間化は、京都だけのものではないそうですが
仏様のなかでも、地蔵菩薩が一番、町衆や民衆に

身近に親しまれてきた存在なのでしょう。

京都では、各町内ごとにお地蔵様をお祠りし、
いつもお花が、絶えないのです。

現代も、八月に地蔵盆として、
子供を中心とした祭行事として、受け継がれています。

今でも、子供の頃の楽しかった思い出として
残っていますし、生涯、消えることはないでしょう。



お茶漬けなと、どうどす。

2007年05月16日 | Weblog

先日、久しぶりに母の夢を見ました。

母と言っても、私よりずっと年若い母だった。

母が四国は愛媛の田舎から京都に出て来て、
高知の片田舎出身の父と結婚し、もう子供も

出来ていた頃の話だったように思う。

知り合いのお宅を訪問し、夕刻になった時 
「お茶漬けなと、どうどす」 と勧められ、
夕食をご馳走になって帰ったそうです。

ご本人が言われたのではないと思うが、
京都で、「お茶漬けでも、どうですか?」

と勧められても、必ず二・三回は断るように!
と教えられたそうです。

素朴で正直者の母は、私に言いました。

今まで、心にもないことは、言ったことがなかったので
自分は知らなかったが、
京都には、お愛想言葉があるので、
気をつけるように!と・・・。

それを聞いたいた私も、今では、
どっぷりと京都の習慣に、浸かってしまっている?

言葉の奥は、ふかおすなぁ。


現在では、お茶漬け専門店もオ-プンしていますし、
お酒の後の一杯のお茶漬けは、また格別なようです。

当時お茶漬けというと、粗末なものの代名詞の
ようにいわれていましたので、

「なんにもおへんけど、お茶漬けなとどうどす?」が出ると

「もう、お帰りになった方がいいですよ」

という意味を含んでいますので
「結構です」といって、お暇するのが、
京都のルールであったようです。