弘前城 ひろさきじょう (青森県弘前市)
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![B15 B15](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/36/63988bb0ec79cbd213ca34bd9048b45e.jpg)
弘前城は、津軽信枚(つがる のぶひら)が慶長15年(1610)2月より本格的な城普請に着手しました。
翌16年(1611)5月には一応の完成を見て、信枚が入城しています。
以後、明治4年(1871)7月の廃藩置県まで、弘前藩・津軽家の居城でした。
城跡は現在、弘前公園となり、東西約615メートル、南北約950メートルもあった城の敷地がほぼ残っています。
天守をはじめ、三重櫓3棟、櫓門5棟、番所1棟が現存し、東北地方の城の中で最も旧状をよく留めています。
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![B36 B36](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/23/49ed8f5177e211621bcb3943b8021e6f.jpg)
![B35 B35](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/32/7c43bae13d9024a14ba240628a50cd57.jpg)
追手門です。
三の丸の南側に開く、弘前城の正面入り口です。
手前の堀は、外堀です。
弘前城は西側の岩木川を背後の守りとして、南・東・北の三方に、内堀・中堀・外堀の三重の堀を廻らせています。
外堀に沿って、歩いてみましょう。
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![B37 B37](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/d5/97c4d28a1a030b66e21ab255607fe0a8.jpg)
外堀を東側にまわった所に、東門が建てられています。
三の丸から城外に向かって開く、もう一つの門です。
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![B1 B1](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/fa/602d63454dea28d531084361a4ae79e1.jpg)
![B4 B4](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/60/e0230798a3f6f9280279b60d4eea09c5.jpg)
外堀に沿って北上すると、三の丸の北側に築かれた北の丸に至ります。
北の丸に建てられた亀甲門(かめのこもん)です。
北門とも呼ばれます。
弘前城の南東10キロメートルの地にあった大光寺城(だいこうじじょう)から移築した門と伝えられています。
以上の3棟の門が、城外から弘前城内へ入る主要な門でした。
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![B5 B5](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/39/5030705287fb341a9fd0c094112e2870.jpg)
亀甲門を入って北の丸、続いて三の丸を南に進むと、内堀に突き当たります。
内堀越しに見る、二の丸北東隅の丑寅櫓(うしとらやぐら)です。
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![B10 B10](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ff/ae4a81eeedd4b5daf84a7a5ed7006832.jpg)
![B8 B8](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/9c/197a42cab5239099954545049b826d69.jpg)
さらに内堀に沿って南に進むと、東内門(ひがしうちもん)が建っています。
門を入ったところに与力番所(よりきばんしょ)が建っています。
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![B9 B9](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/77/48891f7bb6f2659997bff389e361399d.jpg)
与力番所の辺りから見た天守です。
はやる気持ちを抑え、もういちど東内門を出て、内堀に沿って南進しました。
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![B33 B33](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/71/32d5d835829f133684e5ff82d8ca49ca.jpg)
南から見た二の丸です。
櫓は、二の丸の南西隅に建つ未申櫓(ひつじさるやぐら)です。
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![B28 B28](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/fd/d87a548d00e1ec828088bc41ff44050d.jpg)
内堀の南側に建つ南内門(みなみうちもん)です。
ここを入ると二の丸です。
なお、二の丸南側は、東西を2棟の三重櫓が固めています。
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![B25 B25](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/83/7237baf30ee25089701d30d44dc89a3f.jpg)
二の丸南東隅の辰巳櫓(たつみやぐら)。
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![B26 B26](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/26/556d8773c21510538e1cc46e891f7dbb.jpg)
同じく、南西隅の未申櫓。
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![B13 B13](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/c8/2a4d341c2d235b58645865df177fc506.jpg)
いよいよ天守に接近です。
築城当初、弘前城には五重天守が建っていました。
しかし、この五重天守は、寛永4年(1627)に落雷で焼失。
文化7年(1810)、本丸辰巳櫓を改築して建てたのが、現存する三重天守です。
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![B18 B18](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/fe/e5de98fefdb058664565e9df15e12e83.jpg)
![B19 B19](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/a0/f1e3b5eda84d1a897b7116611bb418e5.jpg)
天守の外観は、本丸の外向き(南・東側)と内向き(西・北側)とでは、全く違う様相をしています。
窓の大きさ、屋根の破風飾りの有無などに注目してみて下さい。
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![B21 B21](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/99/da98c848cb541429484b6c49947e4d2a.jpg)
本丸から見た岩木山。
津軽の歴代の殿様も、ここから雄大な岩木山の姿を愛でたことでしょう。
とても贅沢な庭の借景です。
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![B15 B15](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/36/63988bb0ec79cbd213ca34bd9048b45e.jpg)
弘前城は、津軽信枚(つがる のぶひら)が慶長15年(1610)2月より本格的な城普請に着手しました。
翌16年(1611)5月には一応の完成を見て、信枚が入城しています。
以後、明治4年(1871)7月の廃藩置県まで、弘前藩・津軽家の居城でした。
城跡は現在、弘前公園となり、東西約615メートル、南北約950メートルもあった城の敷地がほぼ残っています。
天守をはじめ、三重櫓3棟、櫓門5棟、番所1棟が現存し、東北地方の城の中で最も旧状をよく留めています。
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![B36 B36](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/23/49ed8f5177e211621bcb3943b8021e6f.jpg)
![B35 B35](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/32/7c43bae13d9024a14ba240628a50cd57.jpg)
追手門です。
三の丸の南側に開く、弘前城の正面入り口です。
手前の堀は、外堀です。
弘前城は西側の岩木川を背後の守りとして、南・東・北の三方に、内堀・中堀・外堀の三重の堀を廻らせています。
外堀に沿って、歩いてみましょう。
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![B37 B37](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/d5/97c4d28a1a030b66e21ab255607fe0a8.jpg)
外堀を東側にまわった所に、東門が建てられています。
三の丸から城外に向かって開く、もう一つの門です。
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![B1 B1](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/fa/602d63454dea28d531084361a4ae79e1.jpg)
![B4 B4](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/60/e0230798a3f6f9280279b60d4eea09c5.jpg)
外堀に沿って北上すると、三の丸の北側に築かれた北の丸に至ります。
北の丸に建てられた亀甲門(かめのこもん)です。
北門とも呼ばれます。
弘前城の南東10キロメートルの地にあった大光寺城(だいこうじじょう)から移築した門と伝えられています。
以上の3棟の門が、城外から弘前城内へ入る主要な門でした。
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![B5 B5](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/39/5030705287fb341a9fd0c094112e2870.jpg)
亀甲門を入って北の丸、続いて三の丸を南に進むと、内堀に突き当たります。
内堀越しに見る、二の丸北東隅の丑寅櫓(うしとらやぐら)です。
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![B10 B10](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ff/ae4a81eeedd4b5daf84a7a5ed7006832.jpg)
![B8 B8](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/9c/197a42cab5239099954545049b826d69.jpg)
さらに内堀に沿って南に進むと、東内門(ひがしうちもん)が建っています。
門を入ったところに与力番所(よりきばんしょ)が建っています。
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![B9 B9](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/77/48891f7bb6f2659997bff389e361399d.jpg)
与力番所の辺りから見た天守です。
はやる気持ちを抑え、もういちど東内門を出て、内堀に沿って南進しました。
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![B33 B33](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/71/32d5d835829f133684e5ff82d8ca49ca.jpg)
南から見た二の丸です。
櫓は、二の丸の南西隅に建つ未申櫓(ひつじさるやぐら)です。
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![B28 B28](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/fd/d87a548d00e1ec828088bc41ff44050d.jpg)
内堀の南側に建つ南内門(みなみうちもん)です。
ここを入ると二の丸です。
なお、二の丸南側は、東西を2棟の三重櫓が固めています。
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![B25 B25](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/83/7237baf30ee25089701d30d44dc89a3f.jpg)
二の丸南東隅の辰巳櫓(たつみやぐら)。
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![B26 B26](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/26/556d8773c21510538e1cc46e891f7dbb.jpg)
同じく、南西隅の未申櫓。
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![B13 B13](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/c8/2a4d341c2d235b58645865df177fc506.jpg)
いよいよ天守に接近です。
築城当初、弘前城には五重天守が建っていました。
しかし、この五重天守は、寛永4年(1627)に落雷で焼失。
文化7年(1810)、本丸辰巳櫓を改築して建てたのが、現存する三重天守です。
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![B18 B18](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/fe/e5de98fefdb058664565e9df15e12e83.jpg)
![B19 B19](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/a0/f1e3b5eda84d1a897b7116611bb418e5.jpg)
天守の外観は、本丸の外向き(南・東側)と内向き(西・北側)とでは、全く違う様相をしています。
窓の大きさ、屋根の破風飾りの有無などに注目してみて下さい。
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![B21 B21](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/99/da98c848cb541429484b6c49947e4d2a.jpg)
本丸から見た岩木山。
津軽の歴代の殿様も、ここから雄大な岩木山の姿を愛でたことでしょう。
とても贅沢な庭の借景です。