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日本の精神の源流は九州にあり(後編)

2016年10月07日 | 日本

日本の神々は、「日本は約三千年の歴史を持っている」と繰り返し語っています。「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は、三千年近い昔の神である」「神武天皇の登場は、二千六百数十年前、つまり二千七百年近い昔である」と言っています。

 

もし、二千七百年前に、神武天皇が宮崎県に生まれて、東征して大和朝廷を開いたのであれば、「孔子や老子の時代よりも古い」ということが言えるわけです。孔子や老子より前の時代になりますと、中国ではもはや神話の世界であり、まったく分からない状態に入っていきます。

 

それだけの歴史がある文明であれば、他の国から、「自分たちの文明によって、おたくの文明はできたのだ」ということを言われる筋合いはないわけです。

 

さらに、連綿と地上に降りられ、この国の歴史をつくってきた神々への尊崇の念を持っていれば、当然ながら、国を大切に思って、「この文化や伝統を守らなければいけない」という気持ちが起きてきます。その思いを大切にしなければなりません。

 

宮崎市内にある、天照大神(あまてらすおおみかみ)が生まれたとされている「みそぎ池」を見ますと、その池は、蓮の花と葉で九割ぐらいが覆われていましたが、少しインドを思わせるような風景です。

 

「みそぎ池」はなかなか神々しい場所で、身体が浄化され、清らかになる感じがします。

神々が生まれた場所「みそぎ池」には白い御幣が立てられ、きりっとした空気が漂う池でもあり、黄色い睡蓮が埋め尽くす初夏は最も美しい季節となります。

 

「みそぎ池」の近くには瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天照大神から三種の神器を受け取った地とされる場所もあります。日本にはまだまだ知られていない由緒ある神聖な場所があるのです。

 

この「みそぎ池」で、「伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)が左目を洗ったときに生まれたのが天照大神、右目を洗ったときに生まれたのが月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗ったときに生まれたのが須佐之男命(すさのおのみこと)とされています。この三貴神(さんきしん)が生まれたわけです。

 

もちろん、目を洗ったり、鼻を洗ったりして子供が生まれることについては、おかしく思われるかもしれませんが、これは一種の象徴でしょう。

 

「左」は女性を意味するものです。そのため、「天照大神は左目を洗ったときに生まれた」とされています。「右目を洗ったときに生まれた」「鼻を洗ったときに生まれた」などというのは、象徴的に解釈しなければいけない面がありますが、おそらく、「その地において産湯を使った」と考えてよいのではないかと思います。

 

そういう意味で、天照大神にあれほどの神格があることがまことに不思議です。天照大神は「初代の神」というかたちではなく、途中で出てきているのに、「高天原の統治者としての機能が与えられた」ということになっているのです。この秘密は、やがて明らかになってくると思います。

 

今わかっている範囲内の二千数百年という日本の長い歴史を見ても、また、中国あたりから「ジパング」といわれ、金がたくさんあるように言われていたことなどを見ても、日本がかなり「富んだ国」であるということは知られていたのではないかと思います。

 

海の幸・山の幸に恵まれ、全体的には豊かな国だったのではないかと思われていますし、私たちが自分たちを小さく考えるのとは反対に、だいぶ昔にも、今考えている以上に、そうとう発展していた部分があったことも事実です。

 

このように、「日本というのはものすごい国だ」と、私は思うのです。そのことが世界に知られていないだけであり、日本人は、自国の文化を、海外に対して十分に説明できないでいるのです。そのようなわけで、日本にある、「人類史のなかの宝庫」のような部分を、世界の人たちは、まだ知らないでいるのだと思います。

 

したがって、「日本が世界から尊敬される日」が、もうすぐ来ると思いますし、すでに来ているかもしれませんが、「日本に学ぼう」という気になったら、学ぶことはできるはずなのです。日本は大いに自信を持ってよいと思います。

 

---owari---

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