亡くなる2年ほど前に、祖父が靴を2足くれた。もう正装して外出することはないだろう、故に履くことはないだろうと思ったのだろうか、履くなら持っていっていいぞと祖父は言った。リーガルの黒革のシンプルな紐靴と、同じくリーガルの濃茶色のウィングチップ。ソールには黒いマジックで自分の名字が書かれていた。
2足とも何回かは履いたのだろう、甲の部分には少し皺が入り、底が少し反っていた。もらってからしばらく履くことなく靴入れに納まっていたが、祖父が亡くなった後にふと思い出して履いてみた。足は抵抗もなくするりと入り、足のサイズが自分よりも若干大きかったことが意外だった。大正一桁生まれにしては身長が180cmあったので、よく考えてみれば意外な話ではない。亡くなる間際、なんとなく小さくなってしまった祖父に対する私の勝手なイメージがそう思わせたのだろうか。
祖父の靴を履いて歩く気分は、何だか不思議だった。新品を履く時のような、歩いていてだんだん足になじみ始める感覚というのが全くない。何度か履いた祖父の足の型が既に出来ており、私の足になじむのを頑なに拒んでいるかのようでもあった。それでも、そんな違和感やしっくり来ない感にも次第に慣れてきたのだが、果たして祖父が私になじんだのか、私が祖父になじんだのかは未だに分からない。
2足とも何回かは履いたのだろう、甲の部分には少し皺が入り、底が少し反っていた。もらってからしばらく履くことなく靴入れに納まっていたが、祖父が亡くなった後にふと思い出して履いてみた。足は抵抗もなくするりと入り、足のサイズが自分よりも若干大きかったことが意外だった。大正一桁生まれにしては身長が180cmあったので、よく考えてみれば意外な話ではない。亡くなる間際、なんとなく小さくなってしまった祖父に対する私の勝手なイメージがそう思わせたのだろうか。
祖父の靴を履いて歩く気分は、何だか不思議だった。新品を履く時のような、歩いていてだんだん足になじみ始める感覚というのが全くない。何度か履いた祖父の足の型が既に出来ており、私の足になじむのを頑なに拒んでいるかのようでもあった。それでも、そんな違和感やしっくり来ない感にも次第に慣れてきたのだが、果たして祖父が私になじんだのか、私が祖父になじんだのかは未だに分からない。
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