東京絵の具

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松陰神社・松下村塾

2011年03月27日 | 中国
住所:山口県萩市椿東1537

松陰神社(しょういんじんじゃ)は、江戸時代末(幕末)の思想家・教育者である吉田松陰
祭神とする神社である。松陰の生誕地である当地と、松陰の墓所がある東京都世田谷区にある。

境内には松下村塾が現存している。また松陰幽囚の旧宅・吉田松陰歴史館などがある。

明治40年、共に松下村塾出身の伊藤博文と野村靖が中心となって神社創建を請願した。


薩長土連合密議之所
土佐藩士の坂本龍馬が、同藩士の武市瑞山の書簡を持って久坂玄瑞を訪ね、
この場所にあった鈴木勘蔵の旅館に泊まった。たまたま薩摩藩士・田上藤七も
同藩士・樺山三円の書簡を所持して来ていた。図らずも久坂を中心に薩長土の
三藩士が一堂にあいすることになり、後日の薩長土連合を暗示する前兆となった。
左側に立つ像は「厚東常吉像(政治家) 岸信介書」


花月楼 [山口県指定有形文化財]。江戸時代の茶室。


松下村塾(しょうかそんじゅく)[国指定史跡]
江戸時代後期の幕末に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾である。


吉田松陰幽囚ノ旧宅 [国指定史跡]


吉田松陰歴史館。生涯を70体以上の蝋人形で再現した展示施設。
佐久間象山に入門の図。


安政の大獄で死罪が言い渡された時の図。齢30歳であった。

彼の意思を受け継いだ木戸孝允、高杉晋作を初め、久坂玄瑞、伊藤博文、
山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠などの弟子が、後に日本の歴史に大きな
影響を与えたのは言うまでもない。

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