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旧白洲邸 武相荘

2011年03月21日 | 東京多摩
寄せ棟造りで東側妻面兜造りの重厚な茅葺屋根の主屋と、
カキ、シラカシなどを配した広い庭のたたずまいは、多摩地方の
養蚕農家の面影を現代に伝える貴重な文化遺産である。
2002年11月14日には、町田市指定史跡に指定された。

整型四間取の間取や材料・構造から見て19世紀以降のもので、
明治初期の建築と推定できる。養蚕農家として明治・大正・昭和と
使われてきた「家・屋敷」が原型に近い形で今日に残されたのは、
古い民家などに限りない価値を見出した、白洲ご夫妻の独特な
ライフ・スタイルの賜である。冠せられた「武相荘」という愛称も、
古い農家に具わる静謐な美に寄せる、慎み深い敬称と読み取れる。

旧白洲邸 武相荘
所在地:東京都町田市能ヶ谷町1284
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:毎週月・火曜日(祝日・振替休日は開館)
入館料:1,000円
交通:小田急小田原線 鶴川駅下車徒歩15分

戦後の新憲法改正に深く関わり、東北電力会長としても活躍された
白洲次郎と、美術評論家・随筆家として読売文学賞二回受賞、
町田市名誉市民第一号の白洲正子のご夫妻が能ヶ谷の地に
農家を買い取り移住されたのは、昭和17年(1942)であった。
日本の敗戦と食糧危機を見越して、武蔵国と相模国の境にある
鶴川村の農家を購入して農業に従事し隠棲していた。

白洲次郎(しらす じろう)は、終戦直後GHQ支配下の日本で吉田茂の側近として、
憲法制定に深く関与する等、対米交渉に従事してGHQに「従順であらざる唯一の
日本人」として一目置かれ、敗戦後の日本において筋を通し続けた男である。

NHK・その時歴史が動いた「マッカーサーを叱った男 ~白洲次郎・戦後復興への
挑戦~
」が放映されたのを見るまで白洲次郎の存在を知らなかったのですが、
白洲次郎の生き方のかっこよさに驚き、旧白洲邸に訪れたいと思っていたのが、
やっと実現しました。知る人ぞ知る人物ですが、彼が日本に齎した功績は大きい。


40代頃の白洲次郎。日本人で初めてジーンズを穿いた人とも伝えられている。

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