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掛川城

2010年10月21日 | 中部
所在地:静岡県掛川市掛川

初期の掛川城(かけがわじょう)は、古城と呼ばれ、戦国時代に駿府守護の今川氏親が
朝比奈泰熈に命じて現在の掛川城の北東の小高い丘の上に築かせた。

一時、徳川家康が支配していたが、天正18年(1590)山内一豊が入り、近世城郭へと
大改築の工事を始めた。三重天守を建て、城下町全体を塀で囲んだ。

現存する二の丸御殿は幕末に再建された貴重な建築である。また、かつて時を
知らせる大太鼓を置いていた太鼓櫓も数少ない現存例である。
天守は幕末に取壊されたが、一豊の転封した高知城と同じであったという
記録を参考にして、平成6年に木造で再建された。

掛川城主要部模型。150分の1の縮尺。
正保元年(1644)幕府が譜大名に命じて提出させた城絵図と発掘調査結果を
基本資料として作られ、塩櫓・銭櫓のあった腰曲輪や、内掘の松尾池・乾掘は
削り取られたり、埋め立てられたりして現在目にすることはできません。


模型ではこれらの曲輪や堀を含めた正保年間頃の最盛期が示されています。


掛川城大手門と番所


三日月堀


十露盤堀(そろばんぼり)。本丸を囲む重要な堀。
水がたまった部分がソロバンの箱のように見えた事が由来といわれる。


太鼓櫓。嘉永7年(1854)の大地震以後に建てられ、自国を知らせる太鼓を
置いていた櫓で、何回かの移転の末、昭和30年(1955)に三の丸から移築されました。


外観三層、内部四階から成り、六間×五間(約12m×10m)の天守閣本体は、
決して大きな城ではありませんが、東西に張り出し部を設けたり、入口に
付櫓を設けたりして外観を大きく複雑に見せています。


天守閣から西側の眺望。逆川が流れている。


二の丸美術館


掛川城御殿
御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩政の中心となる
諸役所と、城主の公邸が連結した建物です。書院造と呼ばれる建築様式で、
畳を敷き詰めた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。
文久元年(1861)に再建されたものですが、現存する城郭内の御殿としては、
京都二条城など全国でも数箇所にしかない貴重なものです。

明治2年(1869)の廃城後は、学校、市庁舎などに転用されましたが、
昭和47年(1972)から昭和50年の3年間にわたって保存修理され、
国の重要文化財に指定されました。




17時以降は戸が全て閉まる。

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