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東京絵の具

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アメ横の歴史

2011年03月22日 | 東京23区
JR上野駅と御徒町駅の間、JRのガード下とその周辺一帯が通称「アメ横」である。
菓子、食品の現金問屋、雑貨店、宝飾店、名物はたたき売りと、わずか二坪ほどの
面積で年間数億円を売る店も少なくない活気のある街である。

戦前は「しょんべん横丁」と呼ばれ下町の住宅街だった現在のアメ横は、戦時中、
ガード下の変電所を守るために住宅を強制疎開させた空き地だった。そのため、
戦後には闇市が開かれる場所になり、引き揚げ者や復員兵などがミカン箱や風呂敷の
上に品物を並べ商売して、上野の引き揚げ者の団体が国鉄(JR)にガード下を借り受け、
仕切って希望者に貸した。錦糸町でサツマイモの澱粉で飴を作っていた業者が店を
借りて商売を始めると砂糖が買えない時代で甘い物に飢えていた人々に飛ぶように
売れて、いろいろな飴を売る店が百軒近くになった。
そこで「アメ屋横丁」と呼ばれるようになった。
また1950年の朝鮮戦争の頃から大量のアメリカの物資が出回り、米兵が小遣い欲しさに
さまざまな物を持ち込んで、こうして「アメリカ横丁」と呼ばれるようになった。

「アメ屋横丁」「アメリカ横丁」が混ざり合って「アメ横」と呼ばれるようになった。

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