goo blog サービス終了のお知らせ 

「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

玉石混合

2009-04-19 17:00:45 | リーディング
すでに決められていた3学年用の教材として、山口書店のPERSPECTIVEという問題集を渡された。ページをパラパラめくって、ああここにあったかと思い出したのが、ある慶応の問題である。以前に使った記憶はあったが、どの問題集に載っていたのか思い出せずにいたのである。実は、その問題をある勉強会で素材に使おうと思ったのだが、見つからずに断念していたのだった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111472096


妻が子犬を貰ってきたことに対してあまり快く思っていない筆者が、皮肉っぽく子犬の様子を描くというもので、ユーモアたっぷりのとても愉快な文章である。この文章の面白さが分かるためには、単に表面上のことばの意味を越える理解が必要なのだ。たとえば以下のような調子である。

Someone's dog had recently had puppies and my kind wife had volunteered to adopt one of them.
さらっと読むと何の変哲もない始まりである。しかし、冷静に考えてみると、自分の妻の話をするのに、いきなり文頭でkindなんて言うはずはない。kindは皮肉なのである。

説明:筆者に反抗的な様子の子犬を見て筆者は「武器」になるものを部屋の中に探す。

I noticed the chair. "That's funny," I thought. Chairs usually have four legs, don't they? This one only had two. I know, because I counted them twice. Now I know my wife has strange taste in furniture, but two-legged chairs are somewhat impractical, aren't they?
椅子を見つけたが椅子の脚が二本しかなかった。I counted them twice. とは、全く惚けた味を出している。somewhat impracticalなどはアンダーステートメントで笑いを誘う例だ。

説明:筆者は椅子の脚は子犬に「食べられた」のではないかと考える。椅子の脚を食べてしまう犬なら人間も食べかねない。そこで筆者は妻を捜す。

Where was my wife? I called her, but there was no answer. Another fearful thought entered my mind. What if she had been eaten by the dog? I'd have to make my own dinner, do my own laundry....
「妻が犬に食べられてしまったのならどうしよう」と言いつつ、自分の夕食や洗濯物のことを心配する。当然これも自分と妻の冷めた仲を皮肉った冗談である。ついでに言えば、人に読んで貰う目的の文章で「自分と妻の不仲を皮肉る」場合、実際にはそのような関係ではないと考えるのが正しいのだろう。なるほどコミュニケーションとは複雑だ。

・・・と、この調子で文章は続いていく。


実は、全くの偶然なのだが、昨年の中嶋洋一先生による関西大学のワークショップでもこの素材が使われた。見た瞬間に思わずあっと声を上げそうになった。そして予想通り、この素材を使って、どのような「考えさせる」質問ができるだろうかという課題が与えられたのだ。自分が勉強会でやろうとしていたことと全く同じだったのである

http://blog.goo.ne.jp/zenconundrum/e/d3efaef2c18a8ae77ba87e5a4a15892f

その場では文章がカットされていて分かりにくかったためか、参加者にこの文章の「可笑しさ」が十分に伝わっていなかったのが残念だった。「話の続きを考えさせる」といったアイディアが周りから聞こえたが、その定番の手法ではこの素材の良さが引き出せそうにない。これを使うなら、「どこが」、「なぜおかしいのか」をリストアップしてランク付けさせ、グループワークで人と比べてみるのがよいと思う。


さて、話は件の問題集に戻るが、上記のような、私の「お気に入り」の素材が入っている一方で、これはどうだろうかというものも散見される。たとえば一番最初の長文素材の冒頭部をあげてみる。

I hate the telephone. I rarely use it. Japanese people are always making telephone calls, and would never dream of not answering the telephone when it rings.

こんな失礼なことを言う人間もどうかと思うが、それを素材として採用した大学、出版社に違和感を感じる者はいなかったのだろうか。

また、以下のような文で始まる短文和訳課題もある。

Needless to say, it is impossible to predict with any precision the degree of success that we will have in dealing with the above challenges in the near future.

"above challenges"のことについて一切触れずに、ここから読めという課題である。「ことば」を学ぶための教材を作りながら、「ことば」に対する思いやりが全く感じられない。こんなことをすると、学習者は、重要なのは「訳すこと」であり、「メッセージ」など二の次だと思うようになるだろう。

というわけで、完全に納得できる問題集など、そう容易く見つかるものではないのである。


にほんブログ村 教育ブログ 英語科教育へ


コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。