僕の細道

思考とルールについての哲学的見解

『思考とルールについての哲学的見解』

世代によって考え方が変わるとか、子によって教えられたと よく耳する事が多くなり、同世代、子を持つ親として残念に思っている。

若い時にいろいろな事象や人に出会い、多様な中において深く悩み、考え、自己を把握する事が出来ていないから、考え方が移ろうと言えます。その時だけ、その立場からしか考えられなかった一次元的見方はこうして破棄され、多元的な考え方を身に付けていきます。

我が嫁も気付かぬ点が多くあり、子育てを始めた今となって、悩み考え、日々を過ごしています。聞かぬは一時の恥、知らぬは一生の恥という諺もあります。

そういうと経験しないと解らないのかとよく尋ねられますが、それは愚の骨頂です。例えば、「それこそ転倒しないと痛みは解らないのか?」などと聞かれます。経験値は想像力で補うものなんです。そして、想像力は人間の能力を問われます。

人はいろいろな仕事に就き、様々な暮らしをしています。幼き子供、年老いた人、病気の人と様々な人達が生活を営んでいます。旅先で、町内で、昔も今も彼らはそこに存在していました。

子ども頃、蹴っ飛ばした石コロの様に見ようとすれば、見えていた物を見なかっただけの事、ずっとそこにそれは居たんです。いつの頃か、年を重ねる毎に石コロは見えなくなり、忘れてしまいました。そして、何かにキッカケで、石コロが見える時があります。その石コロの形や綺麗さを見つめ直したりするのです。

だから、子に教えられたというのでなく、子によって再認識させられたというのが、正しい言い方となります。子に教えられた云々と人様の前で語る事は自分は何もしてこなかったと白状するに等しく、道理を知った人達には羞恥の意味となるのです。

一元的見方しか出来ないから、育児ストレスやノイローゼに苛まれるのです。そこから、虐待などのDV(ドメスティックバイオレンス)に移ったりしていきます。殺人、殺傷、イジメなどは外側への暴力、自殺、依存症などは内側への暴力と言われています。これは会社などの大人社会でも当てはまります。

多元的見方とは物事を上から見たり、横から見たり、下から見たりとあらゆる方向から見出し、それぞれの位置から物事を考える事なんです。その中から、適材な引き出しを引っ張り、より良い答えを考えていく事なんです。写真でしたら、レンズの画角、露出、被写体の構図などによって見え方が変わります。二輪、四輪の運転の仕方でも同様です。

人は一人では生きていけないし、人の数だけ考え方の相違があり、その社会を構成するにおいて“ルールやマナー”があるのであり、“ルール、マナーだけ”で縛るのは本末転倒となるのです。
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