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7月20日(水)午後訪問。渡邊、岩田 面談。
子ども青少年局青少年家庭部放課後事業推進室
http://www.city.nagoya.jp/shiminkeizai/page/0000034684.html
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7月13日に中学三年生の娘が、卒業した小学校のトワイライトスクール(名古屋市子どもプラン)を訪れ、気になったことを帰宅した私に熱く語ってくれた。それなら、感じたこと、言いたいことを文字に起こして私に送信するよう伝えた。そして、送られてきた文章が下記です。(私は編集、加筆などはしていません。娘が作成したオリジナル文章です)
〇子ども達の問題
・子ども達の中でのリーダーがいない
仲の良い(同学年の)子達で固まって遊んでいる。せっかく他学年との繋がりをつくるチャンスなのにそれを活かせていない。
→リーダーがいれば自然とみんなで遊ぶようになる。
→リーダーがいれば子ども達の大半はリーダーの言うことを聞くので、指導員が怒る回数が減る。それにより、指導員にとっても子ども達にとっても心地よい空間になる。
〇指導員の問題
・指導員が子ども達を見れていない
子ども達は本来なら(親が働いていなかったら、トワイライトに行かなかったら等条件は限られる)親といる時間をトワイライトに預けられている。親がきちんと愛情を注いでいても、子どもによっては見捨てられている、自分はダメな子だ、と心のどこかでは感じてしまっている。
⇒子ども達ともっと触れ合う。
指導員1人1人が1人の子どもに対して、1日に1回は話をしてほしい。仕事だから、とただ話すのではなく、「あなたのことをきちんと見ているよ。」という気もちを持って。1日1回話すだけども、子ども達と指導員の距離はグッと縮まる。
・指導員の行動が雑
指導員の行動、言動の1つ1つを子どもたちは見ている。
⇒物を言う時は子ども達と同じ立場に立つ。
例えば「あんた」。指導員の方々の年齢を考えてみれば日常で使う言葉なのかもしれないが、現代の子ども達からしてみれば見下されているとしか思えない。自分のことを見下している相手の言うことを聞けるほど、大人ではない。
⇒自分は見られているという自覚を持つ。
例えば「おもちゃをしまうとき」。指導員が自分達のおもちゃを箱やかごに投げ入れているのを見て、おもちゃを大事にするはずがない。
・指導員が「怒るだけ」「うるさいだけ」の存在になっている
⇒子ども達の話を聞く。
子ども達には子ども達の考えがある。理解するのが難しくても、話を聞くだけで子ども達の受け止め方は変わる。どうでもいい話も、聞くことで子ども達の指導員に対する印象が変わる。時間がないから等の理由で聞かなかったり、聞くのを断った場合「この人は自分のことなんてどうでもいいんだ」「この人にとって自分はどうでもいい存在なんだ」と受けとめてしまう。子どもの話なんて中身のないものがほとんどだ。でも、それを聞くのと聞かないのとで大きな差が出る。
〇トワイライトの問題
・指導員の人出が足りない
・指導員の高齢化
高齢化は今の日本の現状を考えると仕方のない事だが、指導員が高齢者ばかりのため子ども達の話についていけていない。
指導員の仕事は子ども達を預かり、サポートすることだと私は思っている。またそのことを理解し、子ども達のことを管理するのではなくきちんとサポートできる人が指導員になるべきだと私は思っている。
⇒指導員の仕事を理解し、行動に移すことのできる、若い人を指導員として増やす。
〇その他の私の意見
・遊ぶ道具、遊ぶ場所を与えるのではなく子ども達が遊べる環境を作ってほしい。
環境さえあれば子どもは自ら遊びを作り出すことができる。新聞が1枚あれば、ひもが1本あれば、ボールが1つあれば、子ども達は遊べる。
遊び道具がなければ作り出せばいい。作り出す材料がないならば、遊び道具を必要としない遊びを考えればいい。
今の小学生がそれをすぐに実行することが難しくとも、1回成功を体験してもらえば今後トワイライトには「遊びはつくるもの」という流れができる。
今の小学生に「遊びは自分たちの手で生み出すことがきるもの」と知ってほしい。
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