僕の細道

年越し耐寒野宿宴会

『年越し耐寒野宿宴会』

 この10年ほどは富士山麓の本栖湖キャンプ場(エレファントラリー)、和歌山の渡瀬温泉キャンプ場(アウトライダーズ)、岡崎の市設キャンプ場にて友人達と大晦日の夜に家を出て、年越しキャンプをしてきた。 ただマンネリ化してきた感があった事も事実あった。そして、一昨年はあの2000年問題があり自宅で過ごし、昨年は元旦早朝より東京日帰りドライブへ出かけたので、今回の年越しキャンプは二年ぶりだし、ましてこの1年半は野外生活が停滞していたので、暮れに友人からの誘いに受けて喜んだのは言うまでもない。

 三河の山中にある空き地を友人達が師走のうちにと芝刈りして野外宴会場を造ってくれていた。この辺りは農林水産省の管理地であるが、15年前から友人達が野外宴会場と使うべく普段からあれやこれやと手入れしていて、地主や、近隣の集落の人達とも親しくなり親交を深めているので、お咎め無しで使う事が出来るのだった。

 大晦日の夜、子どもを風呂に入れ、2001年分の垢を落とした後、アウトドア用の下着上下を身に付け、上にフリースを着込む。防寒に所属しているツーリングクラブののウィンドブレーカーを羽織る。この格好だけでも風呂上りの身には家の中では汗を掻く始末。
 軽く夕食を済まして、四輪車で友人達が待つ野外宴会場に向かう。車内のラジオからはNHK紅白歌合戦の中継が流れ、「TOKIO」の5人組といかりや長介の掛け合いが聞こえていた。

 大晦日の夜ともなると行き交う車両も少なく、R23号線知立バイパスも程よいペースで走ることが出来る。これから出向くのは野外となるので、途中から車内のヒーターを切り、少しづつ体を気温に慣らしていく。R23号線を降りる頃になると周囲は充分冷えていて、車の窓を少しだけ開け、更に体を慣らしていく。ヌクヌクと現地に着くまでヒーターをガンガンに掛けていたら、外にでた時点で直に風邪をひいてしまう。

 幡豆の農道を巡り、目的地の貯水池を探すのだが、暗くてどれが側道だか解らない。地図上にないわき道を何本か入ってみたが、どれも違っていた。でも、今は携帯電話が有るから便利になった。とうとう、友人に電話を掛けて目立つところまで出迎えてもらった。
 そこには蒼天の下、ツワモノ共が火を囲み集まっていた。それぞれ思い思いの格好はしていても、皆防寒対策は万全なようだ。さすが、冬場にキャンプをやっている連中である。巷に溢れるマニュアル本なんて気にしない、これまでの体験から想像力を膨らませ、ポケットには一杯、知恵と工夫が詰まっているようだ。

 山から降り注ぐ冷たい風に対しては大きなブルーシートをロープで張ってしのいでいる。焚き火用の枯れ枝は日中の間に山のように集められているし、食材は保冷ボックスに入れられ、水も50リットルほど用意されていた。何事も事前準備は万端のようで、前日から動いてくれた人達に感謝する。遅れて到着した私も輪に加わり、缶ビールで乾杯する。焚き火に彩られ、焼かれた食材をつまみ、「忘年会」ならず「望年会」を楽しむ。そして年が変わり、「新年会」(信念会)へと移るのであった。
 特製タレに漬けられた上ミノ、カルビなどの焼肉に舌鼓を打ち。香ばしい香りのスペアリブに被りつく。野菜盛々特製サラダを和らげ、ヨーグルトと牛乳で作られた杏仁豆腐風な酔い覚ましで喉を潤す。焚き火に身体を温められ、火照った心は外気に冷やされたビールと各地の地酒が収めてくれる。人に酔い、話に酔い、酒は潤滑油となり、輪が広がっていく大晦日の夜だった。

 焦がす思いは火の粉とともに夜空へ飛び、星空の向こうへ駆け巡る。時の狭間を告げる寺の鐘楼が、月夜に照らされ墨絵と化したの山々に染み入るように響き渡る。そして人々の口からは「おめでとう」と新年の挨拶が交わされた。月明かりに導かれ、麓の寺へ初詣に参る。地元有志による歓待が参拝者達の身体と心を温めてくれる。我々もお神酒にオデンを頬張りながら、境内の中心に副えられた空を焦がすかのように燃えるかがり火にあたり、暖を取る。更に甘酒に菓子パンなどを戴いて談を取る。

 九十九折の坂道を登り、野営地へ戻る。たったこれだけ歩いただけでも防寒着を着込んでいる身にとっては汗だくの行動である。汗をかくと冷え切ったビールが更に美味い。山から拾い集めた木々を火にくべる。木の種類によって匂いや火の色が違う。柔なかな火、静かな火、盛大な炎とそれぞれの火の表情を見つめ、想いを語る大人達。アルコールは潤滑油となり、口を滑らかにしていく。夜空が冷え切った頃、三々五々に今夜の床に就く。勿論、野宿だからテントに敷いた
寝袋や四輪車々内の寝袋で眠るのだ。幾人かはそのまま火の囲み夜を明かす剛の者もいた。私はいそいそと寝袋に包まり、寝息を立てるのであった。

 元旦は腕時計の目覚ましで起きた。初日の出の時間にセットをしてあり、起きたのだが、外は灰暗く日の出は見られないと思い、二度寝した。車内は冷え切っていて内装のどこもかしこも冷たかった。のそのそと寝袋から這い出て、上着を羽織る。ドアを開ければ、更なる冷気が入り込み、寝ぼけた頭に少しだけ刺激を与える。 山肌から顔を出した太陽も上に登り切り、燦燦と新年の日差しを浴びせる。既に野営地には火が立ち上り、数人が暖を取っている。パーコレーターからはこの場で細かく轢かれたコーヒー豆の匂いが眠い頭を呼び起こす。朝食は皆で、キムチうどんと粗引きウィンナーを焼いた物を平らげる。腹も膨れ、その場を離れ、一人静かに朝の雉打ちへ出かける。林の中、降り積もった落ち葉を払い、細木で穴を掘り、自然回帰を満喫するのだった。

 野営地の撤収はきっちりと行う。一晩燃やされた焚き火釜は大量の水を周囲から順番に掛けていくと水蒸気が立ち込め、皆から笑い声が出た。木々に吊るされたブルーシートも皆の手で掛かれば、あっという間に片付く。あとはそれぞれの車に放り込んで完了だ。そして、一服の語らいの後、それぞれの喧騒世界へ戻るのだった。

【日時】2001年12月31日~2002年1月1日
【場所】愛知県幡豆郡の山中
【参加者】男11名:女1名 計12名
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