おばんでがんす
花を好み花を愛している,花咲爺、にとってはこの時季をどれほど楽しみにして来ただろうか
凍み上がる土もザクザクと音を立てる霜柱も、そして寒さを身に染みて感じさせる雪も、袖から襟から裾から
侵入してくる空っ風さえも凌ぎ耐え、我慢をしてこの時期を待っている
庭の小熊笹の丘にも一速く訪れた春の使者クロッカスが次々咲いている、まず黄色が咲き、白が咲き、紫と白の絞りが
咲き。薄紫が咲き、本命の濃い紫が最後に出てくる
愛想も衒いも忖度もない、ただ私は下も下とは違うのよ、と孤高のスタイルを貫いている濃い紫は、本当に気品がある
そして絵に歌に朝晩見たりで、一番恋焦がれている。片栗も咲き出した
今やほとんど一年中咲いてい。仏の座もこの時季だけは害草から外れて春を思わせる花に変身する
石垣の下で石の暖房を抱いて枯れ草の布団をかぶって菫だって咲いている
全く良い場所をみつけたものだ。ここ何年か、毎年毎年ここで花を見せる
もう花を咲かせる大人になったのだから、何時迄も布団を被っていてはいけないと諭して布団を剥いでやった
突き出た距が印象的だ
春一番のニホンミツバチの大親友の「おおいぬのふぐり」もこの時季だけ、キリストが処刑されたゴルタゴの丘に
咲いていた時と同じ姿で同じ蜜を持って咲いている
そして三国志の時代から世界中にその範囲を広げて咲く「諸葛菜」も咲いてきた
諸葛孔明の英知が蜀の国を興しその壮大な物語は今も主役として伝えられている、そのビタミン源だ
こうして次から次へと咲く花達に一喜一憂しながら矢のように過ぎてゆく春を楽しんでいる
隠居の糞爺の時の過ごし方としては最高で有ろう
昨日四十年振りでたづねてくれた古い友人が、、頭が良くも悪くも、元気がよかっても、おとなしかっても、
この年になればみな同じになる、例え少しは成功して知られた事業主になっても、、
、サリーマンで半生を終えても、今になれば変わりがない、
みな生きて食って寝て、くそをしてその繰り返しをなんとなくして老いて行く、、、、
長いようで短いようで、真剣で色色に拘って生きてきた積もりでも少しも変わりはない、、、、、
全く同感だ。隣村で大きな土建会社を興し飛ぶ鳥をおとす勢いで居ても、子供に身代を譲って、承継が順調ならもう
影と形の如く生きてゆくより方法がない、、、と言っていた
無駄口をきかず、介入をしずに、邪魔にならない様に、人知れづ子供たちの見えないところで応援をして
自分の趣味の蕎麦打ちで時間を過ごす、、、、、
お茶を飲んで暫く話をした結末がこれだ、、、、、、、、。
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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