遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

多摩の寒葵と海老根

2023年04月20日 | 

おばんでがんす

もう、暫く我が家にいる、多摩の寒葵、が大きな株に成った数年心掛けてはいたが,中々分株が出来なかったが今年は落ち葉を片ずけた

序でに思い切って分株してみた、若しもの事を懸念して半分はそっと其の儘置き半分を切り取って分けた

沢山の根が有って立派な株で有るが、丁寧に植え込んだ

半分に切って分けた処だ、沢山の根が元気でいる証拠に生えている

数年前からそのうちに分株しなければと思って居たのだが、この花の時季に成ってから分株という事になって仕舞った

無理矢理植え替えする時は却って花の時季の方が良いと聞いた事が有るので、思い立ったが吉日、で植え替えた

掘り出した処でよく花の形態を見様と思い、撮影してみた

陶器の花器の様な形をしていて他の花とは異質の花だ、どうも種は出来ないらしいが、花はよく咲く、移植に際して能々花を見た

殆ど陽の目を見ない花は、深窓の麗人と言った風情である

当に花器の壺の様で不思議な形の花だ

色も独特で面白い、NHKの朝の連続小説の主人公、万太郎の様な日々を楽しんで居る

牧野富太郎先生は有名な偉人だが、その何万分の一かを楽しんで居る毎日だ、花は観て愉しみ育てて愉しみ、撮影して愉しみ絵に

描いて楽しむ、絵なんて上手でなくても良いのだ、その事自体が楽しい、

絵を描く為には能く花を見る、そして良く花を見ると思いも掛けない意外な花の良さが見えてくる、そこが楽しいのだ

幾つに成っても或いは先人が研究して解明している様な事でも自分流に新しい発見があるととても嬉しい

読者の方々も其処を愉しんで居るのだろし此れからも愉しんで貰いたいのだ

 

同じエリヤの海老根蘭が咲き出した。何種類か植えているのだが、園芸用の改良🦟はどうしても環境に弱い傾向がある

自然の中に放して措くとその環境に耐えきらなくなり段段花が小さくなってしまう。致し方ない事であろう

撮影者と同じの呆け太郎だ

何とかという名前は聞いたが忘れた。要は綺麗に咲いて呉れれば良い事なのだ

雨上がりの朝早くの撮影で有った、レンズに霧がかかていたようだが。判じ物のように見て欲しい

其れでも群落には成らないが一つのエリヤとして花が咲いて呉れるのが楽しい

 

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

 

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