おばんでがんす
葬儀が有ったり店舗の開店日が迫って居たりで忙しく過ごしてきたので榛名湖畔野沼の原に
暫く顔を出さなかった、
暫くぶりで行ってみると花も少なく丁度花の端境期と言った塩梅であった
最初に迎えてくれたのは、薊で有った、薊の凛とした気高さは花の中でも圧巻だ
あの濃い紫は高貴さを備えあの荒々しい棘は気高さを示している
克っては我が家の周りにもたくさんあった、根っこをきんぴらごぼうにする位あったものだが
今は山の中へ行かないと巡り合えない、あれほど実ができて風と一緒に自由に飛び回るくせに
土手にも林辺にもなくなってしまった、
犬胡麻、だろうか沢山咲いている
綿帽子を冠り小口を開けたような形はもっと良い名前がありそうなものだと思う
山苧環の白が咲いていた、我が家のは薄紫で少しつっかえたような色だが。これは良い
競い合って咲いている様は美の競演とでもいおうか、見事なものだ
例によって覗きの趣味があるので下から覗いてみた、よく整った美人顔だ
何とか桔梗と言う感じの花だが,蕎麦菜だと思う普通に道路わきの蕨の叢に咲いていた
腰の弱い花だが自然の中ではちゃんと独立している、自然は相互扶助の精神が行き届いていて皆同じに
太陽の恵みが受けられるように御なっている
そして多分「秋の田村草」だと思うがこの叢の中で凛として咲いている、自分の誇り
を示すところは示し譲れるところと譲れないところをきちんと決めている、自分も
もっと見習わなくてはいけないところがたくさん見られる
ワルナスビ、悪茄子び、、なんでこんな名前を付けられたのだろうか。
確かに棘をたくさん持っているし人にも動物にも厳しく接している。だがそれは自衛の為の手段だ、無理
に嫌われる棘など持ちたくないと思う、人間だってそうだ
日本も自衛の為の軍隊は必要だ、そして自らを自衛するためだけに終始して、他は構わない
自国が侵略された時だけ助けてください。でも他国の事は構えませんよ、、と言う事で世間のお付き合い
ができるのだろうか?
庶民の足りない脳みそで考えてもあり得ないことだ、
若しも隣国からミサイルが来たとする、即迎撃できる体制があるとする、だがそのミサイルの頭に核弾頭
が付いていたとすればそれは自ら爆発をさせて結果的に国は消滅の危機にさらされる
そうならないために友好を促進し温めてゆこうとする努力は必要だと思う
商売を休み自費を出しても反対運動をしている人がいるが、その人たちは核が撥ねても自分は助かると
思っているのだろうか??
相手は絶対に核は使わないと思って信じているのだろうか。それほど信じられたら幸せだろうと思う
私はそうは思わないが
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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