おばんでがんす
毎年恒例の事で、先日当町の恒例行事ふるさと祭があった、行政と各種団体の協賛によるものでもう古い
行事だ。私が商工会の青年部長をしている時代に始まった、爾来四十四年ほど続いている
想えば色々な事があった、色々な歴史があって今に至っている、須く歴史とはそんな物だ
善悪、良否こもごもの事があり取捨選択をしながら続く物だ、然しその中枢にはいつも善意が無くては
ならない、そうした結果論は別として、善意と善意場ぶつかってより優れた善意が残る。あるいは
短所が多くあってもそれらを乗り越えてこそ残る物だ、、、、、、、、、と思っている
高齢者の仲間入りをしてからは専ら観覧者に成って居る、あまり現場には出ない様にしている
今は後継の倅が、専活動している
今年も娘女性部部で出て、倅は執行部で出ている、、、、ので 爺さんは家で留守番だ。
花火の音がしたので、門先へへ出てみる、だめもとで、写真を撮ってみた意外と撮れる
初めて手慰めに撮ってみた花火だ、画面に収めるのがうまくゆかない
カメラの先が手持ちなので動いてしまう、なかなか定まらない。三脚をと思ったがいつ終わってしまうか
心配で 続けて撮っていた、来年のことを言うと、、、、、。が三脚を用意して出てきよう
それでも何となく花火だと言う事はわかる絵だ
来年はもっと視界が良い処迄まで出かけて。撮りたい物だと思った
何事も経験値とは大切な物であり幾つに成っても必要な物だと痛感した
少し首を傾げてしまった子供顔が面白いⅿ花火も進化しているのだなと思った
何の面白みもない記事だが、ネタ不足を心から詫びたい
そんじゃあ又話すべえ
遊童子
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