おばんでがんす
我が家の公孫樹は当初はそんなに植えるつもりではなかったが、親戚先の造園屋氏が借りていた畑を急遽返してくれと言われて
畑に植えてあった樹々を移植する代わりに植えて措くという事で植えた
段段植えて最後に植えきったら本人が病気で入院してしまいついぞ不帰の人と成って仕舞い、結局植えたっ放しになって仕舞った
謂わば其の残骸ともいうべきものであった
年園成長して一つの大きな塊の寄せ植え状態になって仕舞い巨木状に成ってしまった、年年背丈は伸びるし太くも成る
ある時頭を詰めて背丈を10Mに抑えてみた、だがまだ高い翌年亦2M詰めた
こうして拳仕立てにして今に至っている毎年の手入れに難儀をしているが何とか今はやっている、そしてこの剪定に高所作業車が必要だ
全部で九本ある、なかなかの難物なのだ
枝も沢山出る、まとめて。チッパーに掛ける、そうして処分しているのだが、、、、、、。
未だ拳も小さいが枝は沢山出る
序でに栗の枝も選定した、時期的には遅いのだが、塀越しに道路へのり出している部分だけを伐った
カミキリムシにやらっれて枝が枯れている部分もぢ部落とした
散髪屋へ行ったみたいに清々した、今年は餘道路に栗が落ちないだろう
選った枝が二トン車に一台も出た、もちろん敷地内に搬入してチッパーに掛けた
亦山野草や果樹園の堆肥に成るしかない、こんな手入れが将来若い者たちにできるだろうか??
心配しても仕方が無い、なるようにしかならない、後の事は知らぬ顔の半兵衛だ
そんじゃあ又話すべえ
遊童子
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