おばんでがんす
例年通り今年も無事に恵比寿講の日が来た、家計を護り富を約束してくれる大切な神様だ
何かの書き物で「異名同神」と言う事を見たことがある、成程と痛く感心した記憶があるが如何なのだろう
麺ば板に載せるのが我が家流だ、ほぼ満足の食事を戴き家計を助けて戴く神様と言う事で、お勝手にお社を
置くのが通例である、だからお勝手で使うメンバ板を式台に使う、今年はあまりに重い宝船の置き物は下の事務所
に置いておいた、春先の恵比寿講には一緒にお飾りしたいと思っている
お食事は、一汁一椀と決まっているが汁は具だくさんの煮込みつゆである、魚は秋刀魚が一匹、腹に何もない
まっさらな信仰心だけだと主張する為に神様側に向けて、腹を見せるように置く
小判はもちろん食べられる黄色い黄金色の薩摩芋を少し斜めに輪切りにして小判型にして作る
昔は薪を燃やしてお勝手をしたから恵比寿大黒も煤呆けて御真っ黒になってしまっている、
克って妻帯できなかったお坊さんは奥さまのことを偉い人に詰問されると、
「あれは妻にあらず、勝手元に働く大国なり」と言って申し開きをしたと言う、其れからお寺の奥さまを「大黒様
と呼ぶようになった
古い大黒様もはたきやコンプレッサーで吹き払い掃除してみると、とても柔和な優しい良い御顔である
其の習いから、後ろに見える、型に流し込んで作った大黒様も黒く着色してある
一番新しい恵比寿大黒ももう我が家においでになって40年くらいたつ。飴色に成って艶が出てきて貫禄が付いた
手前の二体は杉の木で一刀彫したような素朴な恵比寿大黒で有るが、よく見るととても良い御顔でなかなかの
業師が彫ったと感じられる
小さな小ぶりの恵比寿大黒も仲間に入ってる
前列で腕が描けたりしている恵比寿様は泥を焼いて作ったものらしい、真ん中の金の大黒様は何かで戴いたもので
記憶にある、右端の恵比寿大黒は石を彫って造ったもので小さいが重い
又後ろの台座の上に鎮座する二神は青銅で出来ている、克って当家の良い時代に求めたものであろう
そして恵比寿大黒は購入して整えてはいけない、お金が残り豊かになることを念じて祀る二神を買う為に金を出し
てしまったら何の為に祀るのか当初の意味合いに反する、、、そこで戴かなくてはならない
或いは自分で彫らなくてはいけない。がそれができないものは、どなたかに戴いて半年以内にその購入価格に利子
を付けて御礼としてお届けすると言うのが習わしだ
古人はそうした面倒な遠回りな方法でも資産を残したいと願ってきたのだろう
一番簡単なのが此れだ
家族一同のお財布を恵比寿大黒にお供えして一晩おくと朝には増えている、と言う極めて安直な御利益だ
何故か爺様のお財布だけが軽くなっているのが不思議だ
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
「おいべす様」の事楽しく羨ましく拝見しました
こちらにも似たような祭りはあったようですが今はほとんど御店が売り出しでするくらいで、一般の家庭では見られないようです
我が家にも後継者がおりますが隣の区域に居りまして
孫たちとは月に一度も会いません
やはり別棟で有ろうとも近くに居なければ一つ家族とは言えないものです
私達も恵比寿様に成ったり、サンタクロースに成ったりしてみたいものですが
とてもそうした事にはゆきません
勿論お正月のお年玉とか、誕生日のお祝いとかは有りますが、それでは他人さまと同じです
何気ない日々の暮らしの中で触れ合う親子とか
孫と祖父母とかいう感じではないのです
何と無く『血だな』と感じられることが少ないのは
張り合いが悪いものです
だから遊童子様のお宅の話を見たり聞いたりするときとても自分に寂しく感じます
主人も大病みをした後で余計にそうした事を感じるのか毎日顔を見せに来るようにと言っても十日に一度も二人の孫が交代で来るくらいです
入院中でもそれだから退院すればさらに間が空くでしょう
自分では心優しい祖父母でいる様にと考えながら過ごしてきたつもりですが、どこか少し間違って育ててしまった結果でしょう
だから遊童子様の家の話はとてもうらやましい話なのです
主人が退院出来て快方に向かっているだけでもありがたく幸せなことなのですから多くを望んでは切りがなくなってしまいます
若しかした此の欲深が家族間の中に見えない溝を作ったのかもしれない
孫や子のために使えるものは有意義に惜しまず使って
本当に愛される爺婆に成るつもりです
なんでもお金で買うのは良くない風潮ですね
ではまたコメントします
えこ
昨日は、長女が遊びに来ており,スマートホンからブログを見させて頂きました
えびす講は長女の誕生日でした
毎年、えびす講と同じでしたので、サンマとけんちんを作るのが我が家流でしたが・・・
私の体調がすこぶる悪く、料理も出来なそうなので、スーパーで出来合の物をと行ったのですが・・・
ボジョレーヌーボーの解禁日
色々な洋食素材が並び、えびす講を忘れて仕舞い、美味しそうなのをセレクトして帰りました
思い出したのが土曜日で後も祭り、長女にも話して、師匠のブログを見せましたら、感心して過去のブログを覗いていたようです
「凄い人だね」との事
先日は近くの人が不幸にあったとか
孫の友達のお父さんだとかで、泣きながらTELが有りました
色々な事が有りますが、幸せも一瞬で無くなってしまう
神様でもお釈迦様でも駄目な時が有りますね
長文で丁寧なコメントと戴き感動しています
今は三世代同居などと言う事は珍しい事ですね
でもそうした家ではあまり家庭内暴力だとか、いじめる側に成ったとかは聞きませんね
親が働いていれば祖父母が出来るだけの、孫の面倒を見る、あるいは両親が忙しくしていれば孫たちが祖父母の介護の手助けをする、、、、などは極極当たり前のことと言う環境に育ててきたつもりです
子供夫婦からはそうそう日々の話はありませんし
一つの会社に居るのでその必要もないと思うし
何と無くなるようになったと言う感じです
孫たちのお付き合いも大変でしょうが
「孫は来てよし、行ってよし」と言います
ほどほどの教理が一番です
それよりなにより御主人の病気に注意を集中してください、退院後一年を乗り切れば3年は大丈夫であるし
三年を乗り切ればその後の五年は大丈夫です
これは私の経験から言っています
他の病後の人たちの話を見聞してもその様です
只病人は多くの方々にご心配をかけて沢山のお見舞いを戴き大勢の人たちの善意を集めたものです
其の善意を無にしないためにも、そしてその心を大切に心するためにも
「酒と煙草」はぷっつりと縁を切りましょう
其れこそがご心配を戴いた方々への本当の誠意の見せどころでしょう
今迄と同じことをしていてではまた病気に成るだけです
今迄と違う生き方が大事なのです
新しい人生を切り開くきもちで頑張れば必ず長生きができます
私はそうして余命二か月の宣告を克服してもう二十七年経ちました
頑張れば頑張っただけの事が有るのが神仏の施しです
ではまた
こめんとありがとうございます
おいべすさまの件お褒めを戴きまして照れくさいです
何と無く昔からのことを継続しているだけですので
其れほどの覚悟とかビジョンがあってしている訳ではありません
只こうした事柄の中から三世代同居とか家庭内の円滑化とかが生まれてくるのではないかと感じています
お孫さんの同級生の父上の御葬儀に参列してきました
未だ若い人の事故死はとても無念ですし残念です
当区のこれからを背負って立つ人の一人と期待してきたしそうした話も言って聞かせてきたので
ことさら無念です
スポーツ万能で、温厚で、明るいと言う非の打ち所の少ない若者であったので惜しまれてなりません
佳人薄命、憎まれっ子世に憚る」と言う諺があります
本当の事だなと思えてなりません
自分でも世に憚らず、自然の流れの中で年を取ってゆきたいと思っています
あまりいじめることもなくいじめられることもなく、、、、
ではまた