遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

正月準備

2017年12月28日 | 年中行事

おばんでがんす

余日三日となった、色色とあった年が暮れる、嫌な年で有った

一月四日に滑落して入院したり、退院したと思ったら三月十五日に腸閉塞で入院した

これで終わりだと思ったら六月十三日に妻が死んだ

そして最終の今日十二月二十八日に一族の長老である孫新宅の八十六歳の爺様の葬儀で有った

年の初めから年の終わりまで、こんな回り合わせの悪い年もあるのだと思った

当家は由緒正しき家ではない、極極普通の貧乏農家であったので。建設業をしている今でも其の伝統は守り

喪は百日で明けた、だから普通に正月も「おめでとうございます」でする

為に松をはじめとして庭の植木たちもさっぱりとさせた

此の松は自分勝手に「比翼の松」と命名している、八は開くで八本の枝が出してある

概ね一本一本の間隔が45度になるように配置してある、えだすぐりに十日を要した

然しすっきりして気持ちが良い、序でに下映えの「小熊笹」も5センチ程に刈り揃えた

笹の中に折角植えてあるクロッカスが来年の春には500や600は咲くだろう

藪椿と金木犀の茶筒仕立ても刈り揃えた、去年が強剪定で有ったので、今年はなるくした

 

小正月に使うのだが古木は枝張りが細かいので繭玉刺しには使えず剪定した、傍らの銀木犀の日陰になる部

分を伐り込んだ

 この大木が銀木犀なのだが下生えは隈笹で毎年刈り込んでいるので背丈が伸びない良い風情だ

此の木下に牡丹が8株ある木犀を囲んだフェアリーリングに成っている

 

昔は蔵を保護する樫ぐねであったが。東に大きな建物ができて不用になったので十年ほど前に玉造りに

仕立て直した、自分では気に入っている形に成っている

比翼の松から左回りで紹介したが最後は臥竜の松だ

 

 此の松は比翼桧葉の御神木の下で昔から餘り育たない、文献と言い伝えによると250年程経っていると言う

が信じられないほど小さい

こうして庭の植木だけは手入れができた、取り敢えず正月が来てもよい状態にした

毎年来る正月だが「正月は冥土の旅の一里塚目出度くも有り目出度くも無し」と詠まれている

その通りだが一つの区切りとしてはその意義がある

、、年越しそば、正月飾り、、初詣、、お年玉、、ご年始、、忙しい事だ

 

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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愛別離苦 (チョキ、チョキ)
2017-12-29 09:02:44
今年は師匠の御宅では激動の一年でした
奥さんとの別れは、最たる出来事でしたね
よく耐えました
私も、心構えとして見習いたいと思います

選定された松
清々しいです

新たな気持ちで新年が迎えられそうですね
良いお年を~
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求不得苦 ( 遊童子)
2018-01-01 18:47:49
ちょきちょきさんへ
求不得苦も又愛別離苦に付随する苦です
今年は六月に妻を亡くし
先日は内々の一家の長老である新宅の会長を失くし
30日には私の五人いる母親の最後の母が亡くなりました、96歳でした
私が二年間育ててもらった母です
葬儀はしょっぱなの三日です
こんな悲しい年は今迄の長い人生の中で有りませんでした
そして今年はそれらの思い出と悲しみを引きずって求不得苦の苦界に身をさらす事になるでしょう
私は波乱万丈などはいらないのです
静かな平穏無事が好きなのです
でも次々と神仏は私に試練をあたえてわたしの耐久力を試しているようです
「何糞」と思うことと「何故私だけに」と思うことが交互に出て来て毎日戦っています
一進一退で戦況は好転しませんが 敗戦にもなりません
何糞力を奮発して今年を乗り切ろうと願掛けしました
如何か旧に倍するご指導とご鞭撻をお願い致します
今年もお願いする事ばかり多くて申し訳ありません宜しくお願い致します
では又遊
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