遊童子のひとり遊び

日々の生活の中で心を休ませる時間と趣味を独り言の中で話すブログです

実母の命日

2019年10月27日 | 年中行事

おばんでがんす

ネタ不足と忙しい仕事と暫くぶりで本格的に現場に出る羽目になってしまい、殆ど、泥のように疲れて

帰宅し風呂に入って夕食もそこそこに就寝すると言う毎日が続いた

其の為についついブログの方に皺寄せが出て暫時休んでしまった

私には克って五人の母が居たがもう全員が死んでしまった

そして実母が一番先でもう六十六年が経た、その命日が10月の25日であったが、前述の様に泥のように

なって寝てしまったのでついうっかりして今日になってしまった

供花は自宅に咲いている菊各種と、藤袴の花だ、自家製の方が心がこもっていると思ってそうした

25日に朝早く、83歳の姉から電話が有った「元気にしているか?」「元気にしているよ」で

ガチャン、と切れた

それでもはっと気が付いた。多分母の命日だがお墓参りに如何かこうか。という事であろうとおもっ

た、、、血とは恐ろしいものだ、それだけで何を言いたいのかどんな用事なのかが解る

何しろ66年も経っている話だから、普通ならだれも墓参りもしないのだが、まだ実子が二人も残って

いるのだから、、、、と思うと43で死んだ母がとても憐れに思えて一人で墓参をした

先日の雨で花瓶は満水になっていたのでそこへ用意をした花を挿した

お線香をあげた。大昔からの御先祖様達にも線香をあげた

花を進ぜ、お団子の代わりに御茶菓子を何種類か進ぜた、甘いものが好きであったと聞いているので

そうしたが、私の記憶は頗る少ない、それでももう幾日しか持たないから自宅で最後は看取ってやる

様にと医者に言われて退院帰宅してきた母のやせ細った体つきが忘れられない

その後三日間は学校以外は何時も母の傍にいて 母の手を触っていた記憶がある

そして三日後にとうとう身罷ってしまった

父に母を返せと泣きながらむしゃぶりついたが所詮無理なことであった

その後継母が来たり、養子に出された先に両親が居たり、復籍してから、今の仕事を教えてもらった

親方の奥さんが、お母さんとして指導と辛い仕事の庇い建てをしてくれた、当然結婚すれば

妻の母ができる、、、、で都合五人になった

今にして思えばそれぞれの母に大切にしていただいて幸せであったと思える様になった

墓前に進ぜたお菓子類を即見つけた鴉がもう来ている

現実はこんなものだ、死んでしまえば実の息子で有ろうと忘れられてしまう

でもそうして忘れなければ、、、、何時迄も思っていれば、仏も迷うであろうし、自分も駄目になっ

てしまう、神様は忘却と言う。精神安定剤を飲ませてくれるのだ

来年こそは忘れないように仕様と思うし、次は継母なので準備して置こうと思っている

何れ、もう其れ程遠く無く、行き会えるであろうが、、その時までは強く。清く。正しく、生きたい

 

そんじゃあまたはなすべえ

遊童子

 

 

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