おばんでがんす
昨日は山岳信仰の一環で「春山」をしてきた
春、樹々の芽吹きが始まったころに山の神神も躍動を始めるであろう事を想像して諸々のお願いに行く
勿論前日から潔斎沐浴をして行く
私達の講中は、御嶽教、を信仰している、普寛元講社、と言う、昔はとても厳しい終業があり一年を通して
朝晩の「行」があったが今はもうとても緩やかになり、信者も一般も変わりはない
春山も、秋山も、ただの登山よりも簡単で修行と言う気分になれない、程のものだ
でもそれが時代の流れだから仕方がない、それ以上を望めばもっと違う団体に属して修行しなければならないし
独自に自らだけでする、、、、、にはもう年を取りすぎたようだ
、、、、、未だ残雪があり冬山の様な寒い風が吹く中の登山はやはり修行だ
残雪の上を渡る雪解の風は、春風にどっぷりとつかり桜にうつつを抜かしている者には冷たい風だ
修行にはまたとない登山となった
緩やかな道で体を慣らして愈愈急登になるところが五合目だ一服して心も体も足もよく良く引き締めて向かう
相馬山の説明標識がある、近くの山で軽んじているが榛名山も克っては凄い山であったことが想像できる
大きな大きな山容であり今の個別の山は克っての噴火の残りの外輪山でしかない
道半分が鎖と鉄梯子と岩積の急登で距離が短いから良いがもう少し長ければ有名なコースになったであろう
然し裏山だからまだよいが表山はすべて梯子で登る岩山で今は登山禁止になっている
此の相馬山は北東南の三方から登山道ができているが、南、東、共死亡事故があって登山禁止になった
この標識の上に大きな燈籠があったが地震で倒壊して台座だけが残っている
諸々の力不足で其の台座の上の物が重くて上げられない、信仰心の事もあるし、山の愛好心も落ちて
未だ有志のの数が足らない
山頂に鎮座する神々の力も及ばぬ地震には全く手も足も出ないのが現実だ
然し此の思い石像を良くこの上まで上げて建立したものだと感服する
それに比べ頭の落ちた燈籠すら復元できない自分たちの無力に打ちひしがれる
帰り道九合目当たりの、馬の背、をよろめいて落ちない様にしながら意気消沈しながら帰る
何とか有志を募って復元したいと強く思った
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます