おばんでがんす
今年はお彼岸とお月見が一緒になって仕舞った
餘記憶がない事だが、十五夜は十五夜で例年通り粛々と進めてゆく、何百年か続けてきた行事なので、ここ中断するわけにはゆかない
、まだそんな古めかしいことをしているのか!!と言う声もあるが、その土地の伝統文化は誰かが残さなくては途絶えてしまう
そうした強制観念に苛まれてしている訳では無く、其の行事そのものを愉しているのだ、そうした観念を持たなければ続ける事は出来ない
先ず既存の簡易祭壇を蔵から出してきて玄関脇に備える、上段から、ご幣束。ご神体、お神酒鈴、.五合升二個
下段は三宝二台,福箕、そして花籠だ、
ご神体は,ツキヨミのみこと、と読みそう呼ぶ、五合升は、浪の華と米を入れる、五合×2=一升で一生食べ物や塩気のおかづに困らない
為だ、お神酒鈴は定番の酒と水である、、共にお神酒、御神水で、おみき、ごしんすいと呼ぶ
三宝は御宝を盛る台で三方窓があり,腹蔵ないことを神様に知らしめ、心から信仰していることを知らせる
福箕は、箕と言う各種の実をいれたり選別をしたりと言う道具で農家の手作業の為の貴重な道具だ
この箕を語呂合わせをし、実に、或いは身に言い換えて、豊作の宝が身に入ると言う縁起だ
秋の豊作のお礼をする、里芋、南瓜、秋茄子、実りの玉蜀黍、薩摩芋だ、こうする事でまた来年も豊作にしてくださいよと言う神頼みで
謂わば神様に対する来年の保険の様なものだと思って居る、また来年も奉献しますよと言う事だ
そうして秋の花の代表格の薄を進ぜる
薄は家の屋根に使うもので雨じゃらしに成っても50年も持つ、古代から屋根ふき材として利用されてきた、その意味でも大切な植物なのだ
奉献した農作物だ
芋名月の語源となった里芋だ、この種類は芋柄は食べられない、いろいろに工夫してもよごいのだ。専ら子芋を食べる普及汎用品だ
少々だが果物も進ぜる丁度戴いたものがあったので応用させてもらった
お手丸も進ぜる十五夜の語呂合わせで15個進ぜる、自家製の上新粉で、今朝粉砕機で制作してものだ
明日戴くときに多少は柔らかくいる様に粳米が正規なのだ、わずか糯米を混ぜると柔らかくいる
こうして例年どうりの十五夜祀りができた、
正月一日から大みそかまで一年を通して36通りほどの年中行事がある
これを毎年繰り返し催行していると肌に沁み込んで、しないと忘れ物をしたような感じになる、これらの行事は先祖の為でもなく
子孫の為でもなく、ましまてや伝統文化を守るなどと言う大それた大義もなく、自分の安らぎの為にしていることなのだ
、、八は末広がりで縁起が良い
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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