私たちは生きていますと自我が大きくなるものです。
自我が大きくなりますと見返り(期待)を求めるものです。
あれをしたからこれをして欲しい。
これをあげたからこれが欲しい。
このように自我の見返りとはキリがありません。
自我がある以上見返りを求めないのは無理だと思います。
ですので見返りの%を下げてあげればいいのかもしれません。
もちろん、これは生かされているだけでありがたいという極上であり、下から見た視線での話の上でです。
生きている間は、相手に与えはするけど見返りの幸せはいらない。
生きている間は、相手に与えはするけど見返りの金銭はいらない。
生きている間は、相手に与えはするけど見返りの親切はいらない。
と、このようにもう生かされているだけでありがたいのだから、オプションとしての幸せ、金銭、親切などはいらないよとあきらめるのです。
もちろん、心中での幸福の話であり、私たちの生活もありますから対価をいただく必要もあるでしょう。
そうなんです。
私は、ひどい目にあってもいいし、不幸になってもいいし、貧乏になってもいいし、病気になってもいいし、騙されてもいいし、嘘をつかれてもいいし、惨めになってもいいし、哀れになってもいいし、、、とあきらめる。
そのようにあきらめていきますと心中が清々しい気持ちになれます。
人から見て幸福かは知りませんが、私の心中は天国にいることでしょう。