私たちが生きているこの世は単純です。
形と名前があるだけです。
形と名前に実体はありません。
実体がないので意味もありません。
ただの形と名前だけなので自分の好きな意味をプレゼントすればいいんだと思います。
みんなが同じような名前をつけたり、意味をつけていても自分だけは心中で自分の好きな意味をプレゼントしてあげる。
その形にその名前がついていても、その名前にこだわることはないです。
名前に惑わされることないです。
自分の目で見て自分なりに感じればいいんです。
子供の目には、世の中はどう映っているかというと世の中は遊びだらけです。
子供のように遊ばずに問題だらけにしているのは私たち大人です。
子供の目には、問題はありません。
仮に、子供の目になんでもないようなことが問題として映ってもなぞなぞにして遊んでいるものです。
これが問題だ、これは深刻になることだ、と教え込んでいるのは私たち大人です。
子供の目には、なにも問題がない。
では、目の前の現実に問題という名前をつけたり、深刻になっているのは誰でしょうか?
問題なのも深刻にならざるを得ないのもわかります。
けど、問題にしなくても深刻にならなくても生きていけます。
問題や深刻になるくらいなら自分なりの素敵な名前を意味をプレゼントすることもできます。
私たちの人生は、私たちの人生です。
がんばらなければいけない時もあるでしょう。
人生が辛い時もあるでしょう。
人一倍苦しむこともあるでしょう。
しかし、今は辛い気持ちでも数年経てば、死ぬ間際になれば、今とは違った意味をプレゼントできるかもしれません。
泥まみれになりながらでもいいんです。
鼻水垂らして汗かきべそかきでもいいじゃないですか。
そんなにお利口に、綺麗に生きられないです。
生きるとは泥臭い汗臭いことかもしれないです。
現実問題として泥まみれになり、汗臭くなってもお風呂に入らないと汚いものです。
体だけじゃないです。
心のお風呂も必要だと思います。
今日をどんな日にするかどんな意味をプレゼントするか。
そんなお風呂に入ると気持ちいいかもしれませんね。