自分を嫌いな人がいます。
自分を嫌いな人は、自分に劣等感があるんだと思います。
ところで劣等感はいつ持ったのでしょうか?
いつ自分が嫌いになったのでしょうか?
考えてみますと不思議なものです。
子供の頃から劣等感があったのでしょうか?
子供の頃の前の赤ちゃんの頃から劣等感があったのでしょうか?
そんなわけないです。
赤ちゃんの頃から劣等感があるわけないです。
私は、赤ちゃんの頃から劣等感があった、という人を知っていますか?
そんな人知らないでしょう?
では、いつから自分を嫌いに、自分に劣等感を持ち始めたかというと簡単なことなんです。
それは、子供の頃から繰り返し、繰り返し自分を嫌いになれ、自分に劣等感を持て、という感じ方を強制されてきただけなんです。
子供の頃ですから周りの大人たちにです。
だから、自分が嫌いな人、劣等感のある人は自分がそう思っているように感じるけど、そうではなくて、自分を嫌いになる、劣等感を感じる感じ方を繰り返し強制されてきただけなんです。
悪者は、あなたではない。
子供の頃から繰り返し自分が悪いと感じる感じ方を強制されてきただけなんだよ。
悪いのは、あなたではない。
では、どうやって自分を好きになるか、劣等感を克服するか。
それは、自分には無条件に価値があると思うこと(信じること)。
私は、無条件に喜び愛される価値があると思うこと(信じること)。
私は、存在するだけで無条件に周りを幸福に喜ばせていると思うこと(信じること)。
信じるというと宗教のように感じますが、ようは子供の頃から繰り返し自分を嫌いになるように、劣等感を持つように信じこまされてきたんです。
なのでその逆をやればいいわけです。
信じ込ましたのは子供の頃のあなたの周りの大人かもしれない。
けど、今は何を信じてもいいのに子供の頃の繰り返し強制された感じ方を信じている。
もう、何を信じるかは自由なのに。
あなたの子供の頃にいた数人の大人に繰り返し強制された感じ方を今あなたの周りにいる大人もあなたに自分を嫌いになるような感じ方を強制している錯覚をしている。
そんなことないのです。
相手に何を言われて、されても、どう感じるか、どう考えるかは私たちの自由なんです。
誰も「こう考えろ」とか「こう感じろ」とはいってないのです。
「こう考えろ」とか「こう感じろ」と言われている気がしているだけなんです。
あなたと同じようなことを言われてもされてもケロッとしている人もいれば、そもそも話を聞いていない人もいるように誰もあなたに「こう考えろ」とか「こう感じろ」なんて強制してないのです。
自分を嫌いになるような感じ方を信じてきた。
自分のこういうところに劣っているという劣等感があると信じてきた。
もう、自分を嫌いになることはない。
もう、劣等感に苦しむことはない。
あなたは無価値でもなけれ無意味でもない。
純粋なあなたは子供の頃、周りの大人のすること言うことを素直に信じた、信じ込まされてきただけの話。
それを信じるのをやめると自分は自分が好きなままだった、大好きなままだったことがわかります。