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OLの日常をざっくばらんに綴っていきます🌸

コロナウイルスに感染しました。

2022-08-21 15:03:50 | 日記
こんにちは、今日もOL。です。

題名の通り、実は先日コロナウイルスに感染してしまい
自宅療養しておりました。

今日は実体験に基づくリアルなお話を共有させていただけたらと思いますので、
お辛い方は閲覧をお控えください。

順を追ってお話していきますと
まず症状が発症するまでについては
発熱する直前まで体調に違和感はなく
いつも通り元気に生活をしていました。

私の勤めている会社は、在宅でも出社でも日々自由に選択できる環境なので
発熱があった前日は出社、発熱した当日は在宅で仕事をしていたのですが
出社をする際は抗原検査を実施しているため
もちろん前日時点では陰性で全く感染を疑う余地がない状態でした。

ですが、発熱当日はいきなり体温が上がり始め
38℃、39℃・・と、あっという間に高熱になり
次第に喉の痛みも出始めて数時間前からは想像できないほどに
体調が悪化していきました。

私はモデルナのワクチンを3回接種していましたが、
熱は最高で39.5℃、
唾を飲み込むことが難しいくらいの喉の痛み、
頭痛、
主に上記の症状が強く出ました。

高熱でありながら、喉の痛みがひどく水分が取れない、
一人暮らしで病院に連れて行ってくれる人もいない、
公共交通機関は使用できない、
絶望的な状況で不安が大きくなり
人生で初めて#7119に電話をしました。

#7119とは、病院へ行くか救急車を呼ぶか迷ったときに相談できる
救急安心センター事業で
医師もしくは看護師が電話に出てくれるので
迅速かつ適切な判断で対応をしてくれます。

正直電話をかけるまで相当悩みましたが
そのくらい史上最高につらかったので電話をしたことは後悔していませんが

呼吸困難で息苦しくなっていないこと、
トイレにも行けないくらい横たわった状態から動けない状態ではないことから
救急搬送対象にはならず、発熱外来を受診してくださいとの事でした。

正直病院を探すことすら困難な状態でしたので
今度は都の発熱相談センターに電話をし
(最後の気力を振り絞る思いでしたw)
受診可能な病院を教えてもらいました。

対応してくれた方は深夜にもかかわらず、とても優しく対応してくださって
ホッとしましたが、肝心の教えてくれた病院が空いていなかったり電車を使わないと行けない場所だったりで結果的には活用出来ませんでした・・😂 
皆さんも最終決定は自己判断で、自分の目で見て確かめた方が良いかと思います。

私の感染時期が運悪く、祝日かつお盆シーズンだったので
病院探しにはかなり苦戦しましたが
本当にたまたま歩いて行ける範囲の小児科が空いていて
PCR検査が受けられるとのことだったので
予約をして受診し、PCR検査を受けました。

PCR検査は鼻に棒を突っ込む方法でしたが
即陽性の結果が出たため、すぐに病院から保健所へ陽性者登録の連絡がいき、
薬をもらって帰宅しました。
※ご存知の方も多いと思いますが、コロナウイルス陽性だった場合の薬は公費負担になるので無料です。

帰宅後はもらった薬を飲みつつ、ただ横になるだけで
本当に何もできません。
水分を取るために起き上がるのも、トイレに行くのも億劫なくらい
弱りました。

熱が高く、喉も痛いので食欲が湧かず
丸2日は何も食べられなかったですが
さすがに3日目くらいからお腹が空いてきて
解熱剤が効いている間に作ったお粥を食べましたね🍚

コロナウイルスに感染したら、各所に報告が必要になるので
少しでも動けるうちに手続きをしておくことをお勧めします。

例えば、COCOAのアプリをインストールしている方は
アプリで陽性登録をする、
My HER-SYS(厚労省コロナ感染者等状況把握管理システム)に連絡を入れる、
会社に感染を報告をする、などです。

あと私がお勧めしたいのは、
自宅療養サポートセンターの食料品配送で
段ボール2箱分びっしりと食べ物・飲み物を配送してくれるので
食料調達が難しい状況ではとっても助かります。
Webフォームもしくは電話のどちらからでも難しい手続きなく申込めるので
ぜひ頼ってみていいと思います。
※食料のほかに、パルスオキシメーターの無料貸出もできるので
自宅療養の方は日々の健康観察の指標の一つとして持っておくとより安心だと思います。

感染から丸3日は身動きが困難な状態でしたが、
私の場合は4日目あたりで少しずつ回復しだしてお風呂にも入れるようになりました。

喉の痛みと鼻詰まり(3日目あたりから症状に加わりました)が
計7日間程度続きましたが
処方してもらった薬が無くなる頃にはちょうど治りました。

心配される後遺症については、
後遺症なのか正直よく分からないのですが
鼻詰まりはなくなったはずなのに現在もずっと鼻声で
そこだけがちょっと心配ですね💦

私はよく潔癖症と言われるくらい、日ごろから感染対策には
気をつけながら生活をしていました。

少しでも外出した日は、家に入ったらすぐに洋服を脱ぎ
手洗いうがいをして先にお風呂に入るようにしていましたし、
買ってきた物は除菌シートで拭いてから保管して
携帯も出先から帰ってきたら毎回拭いていました。

そこまでしていても感染してしまうコロナウイルスの感染力は
やはり凄まじいものだと
実際に感染して身に染みて感じました。

体感したことのない辛さでしたが、救急搬送対象ではないと知った瞬間、
もっと酷い症状の方がいるのかと思うと
正直ゾッとしましたし
毎日危険と隣り合わせの患者様に寄り添う医療関係者の方も
大変なご苦労だと痛感致しました。

何かの記事で読んだことがありますが、
~毎日休む間もなく一生懸命働いている医療関係者が診療するのは
行動制限せず飲み会などで遊んでいた人たちだ~
という言葉はとても胸に刺さりました。

みんながみんなそうではないことは重々承知していますが
自分中心の考えをせず、思いやりを持った行動こそが
誰かの心を救うのではないかと思います。

現在療養中でお辛い方、
後遺症に苦しまれている方、
感染した家族をサポートする方、
毎日多くの方を助けてくださっている医療従事者の皆様、

多くの方がこのコロナウイルスと闘っていると思います。

今回の私の記事に影響力はないですが、
些細なことでも良いので何かをきっかけに
社会や周囲の人に思いやりを持った生活をする人が
増えてくれると嬉しいなと思います。

本日も、お忙しいなかご覧いただきありがとうございました。

今日もOL。

 











真の友達とは?

2022-08-06 15:47:07 | 日記
こんにちは、今日もOL。です。

今年は梅雨があっという間に終わり、毎日厳しい暑さが続いていますね。
読者の皆様、いかがお過ごしですか?

本日は『真の友達とは?』をテーマに、お話ししていきます。

このテーマに決めた理由としましては、
私自身が現在進行形で友人関係に悩んでいるからです。
私事で恐縮ではございますが、少しだけ、お付き合いいただけますと幸いです。

皆様は『真の友達』と呼べる人がいますか?

私は幼い頃から人間関係の構築が苦手で、
なかなか友達に恵まれずいじめを受けることも多々ありました。

人間関係の構築が苦手と言っても、人と話すことは大好きで
周りの方からは話しやすいと言っていただけることが多く、
私自身も日頃から相手に緊張感を与えないような人でありたいと思っているので、接し方には特に意識をして生活をしています。

ただ中学生の頃はいじめのピーク時で、陰口や無視、ハブられることが日常茶飯事で、教室の机に「死ね」と書かれているのを見つけた時は絶望しましたし、確か上靴もなくなったことがあった気がします。

ドラマのような話かもしれませんが、現実にもあるんですよ~😓
(今だから笑って言える話ですが、よく自殺しなかったなと今でも時々当時の自分を褒めたくなりますw)

学年のほとんどの人がこの状況を知っていたので、もちろん私を気にかけると自分にまで飛び火がくると思ったのでしょう、手を差し伸べてくれる子などおらず、理解してくれる先生方が唯一の救いでした。
とにかく部活と勉強、習い事を頑張って、大人たちを味方につけて、
同級生たちを見返すために高校は有名な進学校へ入学しました。

高校では心機一転、いい思い出ができるような学生生活にしたい思いでいっぱいでしたが、現実はそう甘くはなく、周りの子の学習レベルが高いことで私は全然授業についていけませんでした。
そのため授業中は当てられてもいつも答えられなくて先生に呆れられたり、
テストもこれまでに見たことのない点数が続いて補修を受けることも多かったので

『あの子は勉強が苦手』
『どうしてうちの高校に入れたんだろうね』

という目で見られていることに段々と気付き始め、
学校では何をしていても委縮するようになりました。

当時お付き合いしていた彼氏がいたのですが、
その彼氏は私に何一つ嫌な顔をすることなく勉強を教えてくれたり、
部活終わりに話を聞いてくれたり、いつもそばに居てくれた人で、
自分を大切にしてくれる人を大切にしたいと思った私は、
あまり同級生とは連まず1人で過ごすか、その彼氏と一緒に居ることが多い高校生活でした。

なので実質、大学生になるまで1人も友達という友達が出来たことがありません。

ですが、有難いことに大学ではやっと友達が出来ました。
嬉しくて嬉しくて、
ずっと大事にしようと思った当時の記憶は今でも鮮明に覚えています。

そして、ずっと心配をかけてきた両親にも自信を持って
「友達が出来た」と報告できた日には涙が溢れました。

大学からの付き合いなのでもう7年目になりますが
社会人になっても、その友達とは定期的に会っていて
仕事の話、恋愛の話、会うと話が尽きなくてつい夜更かししがちになりますが、その時間さえもとても幸せに感じています。

順風満帆に見えるこの生活に、何の不満があるのだろうと
疑問を感じられた方がいらっしゃると思いますが
ある日をきっかけに少しずつ疎遠になってしまったのです。

その出来事をお話する前に、
少しだけ私の性格についてお話させてください。

なぜ私にこれまで友達が出来なかったのかにも繋がりますが、
私自身かなりの完璧主義でこだわりが強く、曲がったことが大嫌いで
自分にも他人にも厳しいところがあります。

持っている資格やスキルは、好きを追求したうえで獲得したものであって
地位や名誉、競争に勝つためではありません。
特に幼い頃は、関係のない母まで
「教育熱心であれこれさせて、すごいわね」と
嫌味を言われたこともあったようで(大人になってから知りましたw)
俗に言う鼻につく子どもだったのではないかなと思います。

同級生からは妬まれることが多く、
「またあんたなの?」なんて言われることが結構ありましたが
当時はうまくコミュニケーションを取ることが出来なくて
「結果までの過程を知らないくせに」と
尖った考えしか持てなかったのが実際のところです。

ただ、大学で出会った友人は、これまで出会った子たちとは違って
妬むのではなく、努力や真面目さを認めてくれて
それを言葉にして表してくれる子たちだったので
その素直さに心打たれただの友達というよりは尊敬する対象に変わりました。

そして、いつも気が張っている自分の息を抜かせてくれる場所へとも
変化していきました。

こんな過去を持つ私にとっては
大げさでもなんでもなく、本当に大切な存在でした。
こんな自分と友達になってくれて
認めてくれたことに感謝して
どんどん思い入れが強い相手になりました。

嬉しいことは一緒になって喜びたいし、
悲しいことは一緒になって悲しみたいし、
間違っていることは間違っていると伝えたいし、
ただ顔色を伺って同意することばかりが真の友達ではないと信じて
自分にも恥ずかしくないように接してきたつもりでした。

でも何でも言える相手だと甘えてしまっていたせいか
お節介が過ぎたり空気が読めなかったりして
呆れられてしまったのか
会う頻度は減り、連絡もなくなりました。

いい歳でありながら、
友人関係で悩むことになるなんて思ってもいなかったですし
壊れることのない自信があった人たちだからこそ
戻り方が分からなくなってしまいました。
心に穴が空いてしまった感覚です。

元通りになれるか分からないですが、
戻れなかったとしても
陰からみんなの幸せを願っていたい、
綺麗事に聞こえますがそれでもいいと思える存在です。

このメッセージが友人に届くことはほぼ確でありませんが
もし同じような気持ちになったことがある方や
大切な人の顔が思い浮かんだ方は
例えその想いが本人に届かなくても
その瞬間にきっと意味があると思います。

今日も、お忙しい中ご覧いただきありがとうございました。

今日もOL。