昨日耳にした久米さんのラジオ番組で久米さんが発した言葉に自分の中で衝撃が走った。もし、それが真実なら腑に落ちないことがあるからだ。昨日はそのエビデンス探しに立ち読みしたりしたが、スッキリしない。来週の放送で解決するのかもしれないが、何故か今スッキリしたいのだ w
昨日試食した「からすみ」お魚の卵巣 卵巣そのものにもそのプロセスにも思わず手を合わせたくなる はじめてその存在を認知したのは学生時代に耳にした さださんの歌 「大好きな【カラスミ】をわざわざ煮てダメにして~」その頃はカラスミは煮てはいけない食材くらいの意識レベルだった
我が家の食卓には「カラスミ」が提供されることはなく 社会人になり茶の湯の稽古を楽しむ中、稽古茶事でカラスミと出会うことになる この時も国産と他国産の食べ比べ大会だった
問題はどこ産かということでないことに気づく もしかしたら写仏することで見えない世界に気づかされることになる予感がする ただのなぞり書きが自分の方向性を示してくれるかもしれない 想定内の想定外の世界を導くかもしれないと思っている
学生の時に聴いた さださんの曲 何気ない日常の風景をイメージするのだか 社会への問題提起の要素も含んでいるんように思える錯覚 どんなキーワードが永続的に人の心に響くのか 無意識がなせる匠な技なのかもしれないと妄想してみる
♪桃花鳥(とき)が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に この曲を聴いて絶滅危惧について関心をもったような気がする 「償い」同様
中学時代も帰宅途中に楽譜探しに楽器店に寄り 帰宅すればラジオを聞いていた 進化していない自分に気づく なぜ「さだまさし」の曲に出会ったのだろうか問う この世界を認知せず承認していなかったらどんな自分になっていただろうかと無意味な問いかけをしてみる 必然だね