伝わりますか?

2015-08-30 | 親のこと
今回の父の死や

奴のご両親の介護のことや

色んなゴタゴタがあって

奴は変わった

奴は私や私の実家にまつわる

些細なことに関わろうとする

例えば孫達がライムとの交流を

楽しんでいると感ずれば

もっとお泊まり増やそうとしたり

例えば娘らとランチの話が

持ち上がれば

野球の試合を断って参加しようと

したり。

悪く言えば無関心だった部分に

良く言えば私と娘らの交流を

見守るスタンスを

自ら交わるスタンスに変わった

逆に義両親と私との交流を

遮る

私と義両親とは会わせないように

している

意固地でそうしているのではないのは

伝わる

私にやりたいことをどんどんしろと言う

楽しいことをどんどん体感しろという


マイペースだった奴が

私のベースを第一に優先するようになった

私は悲しかったけれど

今でも介護要員だけなんて

いやだけど

義両親を愛し始めてしまった


少しでいいから

私が私であるがままを

人として

愛情のかけらでいいので

欲しいのですと

今の私は


願うだけしかできないのです。

今は伝えることができずに

いるのです


今宵のように

眠れぬ夜は

悪い女になりそうで

悪い女になりたくて

あなたには伝わりますか?


傷つかない

2015-08-29 | 親のこと
もしかして
一番傷ついたのは奴かもしれないね

暖かな揺るぎない家族を
信じていたのは奴だった?

ヤンデル(病んでる)ファミリーと
呼んでごめんと言ってた

俺思い当たることがある

点と点が繋がっていくんだ

義父が私を介護要員としてだけ
認めていたこと、悲しかった

けど、もっと悲しかったのは奴なんだね

私ね、母の事たくさん愚痴言ったけど
どんなにひどいと思ったって
愛してるの

ねぇ、あなたもそうでしょ?
点と点が繋がって
線になったって
愛しているでしょ?

奴と私、一緒なら
奴と私、2人なら
理解しあっているのなら

何があっても大丈夫な気がしてる
2人一緒ならば傷つかないよ
私たちは。

ありえない私がここにいて

2015-08-29 | 親のこと
奴は相変わらず優しいし

奴は私をあの日以外非難しないし

奴はごめんと謝って

奴は介護要員にはしないと言って

奴は自分の親からyumeを守ると言って


なんだろ?

思い出しちゃった

次女の結婚式のこと

次女は実父も奴も来て欲しいって言って

でも、私はイヤだって言って

奴に結婚式、欠席して?って言って

1人留守番させて




私ひどい人だね



奴のご両親は私が、、、なんて言って


とんだ裏切りじゃん

それなのに守られていくの?

ありえない

ありえない


普通を見失う


見失ったものを

また明日探す


奴がいて

私がいて

ライムがいる。


心が動く

2015-08-20 | 親のこと
私、心が動いた。

心が動いた瞬間をしっかりと

感じた。

何が悪い?

誰が悪い?

そんなことは関係ない。

心が動いた行き先に

奴が待っているはずだ。

絶対に待っているはずだ。

動いた先の表現の言葉を集めています。

ちょっとだけ待っていて

今夜中に集めるから

拾い集めたら

組み立て終えたら。



私はもう大丈夫だ。

強がり

2015-08-18 | 日々のこと
中村中さん作詞作曲
戸田恵子さんが歌う『強がり』
を聴く私

自分に酔っているのかしら(笑


急にため息ついたりしたら ホラねやっぱり驚くわよね
いつからだろう 強い女になってしまった
口先ばかり上手になって 本音言うのも楽じゃないわね
どうせみんな 見えてる事ばかり信じたがるのよ

あたしにだって 泣いてる夜くらいあるわって
そんな風に言ったら 今度はみんな笑うのかしら

馬鹿にされるのは癩だから 強い女になりました
笑ってないといられない みんなそうでしょ
強がり

私の声が聴こえてるなら 怒鳴ってやりたい奴もいるけど
指輪外したあの夜だって 笑うしかなかったの

だってつまづけないわよ 怖いものがないわけじゃない
今度倒れたら もう立ち上がれないかも知れないわ

言いたい言葉を飲み込んで 溢れる涙を飲み込んで
あとどれくらい こんな夜を越えるのかしら強がり

涙の数だけ私も 優しくならなきゃいけないね
明日はどこにいるかしら 笑っているかしら

笑ってないといられない みんなそうでしょ
強がり

こんな日がきてしまった 4

2015-08-18 | 親のこと

夜に聞いてみた

ねえ、あなたにとってのベストって何?

奴は自分自身と答えた

私は『最低』と言った

 

そこからはよくわからないけれど、気がつけば離婚と言われていた

 

今ならばわかるが、自分自身あってこそであり

自分があって初めて回りが見えてくるってことを言いたかったのかもしれません

 

けれど、私にとっては『家庭』あってこそという認識が強く

父の介護で家庭崩壊はないだろ?というくらいに

父を愛してはいたがまずは家庭だったわけで。

くだらないと言えばくだらない。

 

しかし、私は奴のご両親を愛してはいたが

ご両親の面倒をみていく覚悟をして再婚をしたわけだが

丸投げされて、はいよ!ってわけにはいかない。

 

結局妹さんはこない。家族の誰一人、妹もという気持ちにはならなかった。

一人娘にそんな苦労はかけたくないというわけだ。

そんな妹さんだが、骨折している義母のいる実家に

いつものようにいつもの時間に来て、ご飯を食べお風呂に入り

手土産をもらい帰って行った。ここ10数年続いている習慣をこの日も続けていた。

誰もとがめる人はいない。誰も大学病院に行ってくれない?と言えない。

当たり前に、私一人で行くことに決まっている。

 

一番悲しかったのは、義父にとって私という存在は

私を認めてくれていたわけではなく

介護要員として受け入れただけだったんだってわかったこと。

そう、孫のいる私、娘のいる私、再婚を反対しなかったのは

自分たちの介護要員がきた。ただそれだけだったってこと。

父の葬儀の翌日だろうが気にかけてくれる人は一人もいませんでした。

あたりまえに介護要員として扱われました。

 

私は大学病院への付き添いはしませんでした。

奴が会社を休んで一人で行きました。

妹さん家族はその翌週もいつものようにいつもの時間に

実家へ来て夜ごはんを食べお風呂に入って帰っていきました。

 

あれから、奴と何度も話し合いました。

奴は申し訳なかったと言っています。

ただ、私は今はよくわからなくなっています。

 

長男の嫁だから当たり前なんでしょうか?

嫁だから、父の葬儀の翌日でも付き添うのは当たり前なんでしょうか?

妹さんに頼めないのは何故なんでしょうか?

みんなでできることをできる範囲でというのは理想なんでしょうか?

みんなでっていうのは綺麗事の夢物語なんでしょうか?

 

 

 

 

 

 


こんな日がきてしまった 3

2015-08-17 | 親のこと

奴の実家についたのは10時頃

義母が自転車を押しながら帰ってきたときでした。

自転車と自転車がぶつかり転倒してしまったそうで

家に入りみるみる歩けなくなり

とにかく病院に行こうということで整形外科に

レントゲンの結果は骨盤骨折で

そのころにはとても一人では歩けなくて

会計のころには自覚していなかったが頭も打っていたらしく

腫れてきて。そうして脳神経外科へ

そこから大学病院へ行きCTをとりフィルムをもらい

元の脳神経外科へ

骨折と血腫

紹介状をもらい改めて大学病院へ行くようにと。

あいにく土日を挟んでいたので月曜日に改めていくことになりました。

義母を寝かせて夕食の用意をして

何かあれば救急車を呼ぶように言われていたので

必要な書類をそろえて私は一度帰りました。その時は6時を過ぎていました。

ライムにご飯をあげるために。

結局奴は実家に泊まり、私はそのまま家にいました。

月曜日の大学病院へは私が行くことになりました。

少し考えているうちに歩けない義母を連れて私一人で大学病院に

行くには不測の事態が起きた時に対処できないのでは?と思い始めました。

翌日奴に妹さんも一緒に行ってくれるようにお願いしました。

そうしたら、義父が行くと言い始めました。義父は数年前に脳梗塞をわずらい

年齢も80歳を超えています。二人を私一人で連れていくことに

何の疑問も感じない奴の家族に不信感を抱き始めました。

実父の葬儀の翌日の話です。

この不信感は私の間違いなのだろうか?

私が我儘なのだろうか?

わからないけれど、私は奴に声をあげてしまいました。

続きます。