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dividion 私見

2017-04-29 05:54:53 | 日記

 tps/fpsというジャンルに、一度は、浸った覚えのある人なら、分かると思うが、基本的にPS(プレイヤースキル)が物をいう世界だということだ。

 10分間で、「勘」の良いやつは、巧く立ち回ったり、エイムができるということは、ありえないであろう。
 だが、確かに、短時間でも、センスの際立つ人間が、実力上、もの以上に物を言う場合がある。
 無論、このような極端な言い方は、たとえである。

 けれど、このたとえは、極論でもないように思える。

 我々は、そういった「現実」をまざまざと見てきているし、カンのいい経験値の少ない「ガキ」が、必死に「努力した大人」より実力を示してしまうこ となど、いくらでもあるのだ。
 我々は、痛いほどに「努力」という信仰に頼るべきなのは、無論「才能」という神の前においてである。こういう言い方は、皮肉であるが。

 方や、10時間やっても、ヘタなやつは、いつまでもヘタなままだ。
 そこに、情報の優位だとか、ロジックや分析で、優位性を示せる場合もあるだろうが、
 つまるところ実力(ps)vs実力(ps)の世界では、そんなことは、猪口才なのである。
 俺がどんなに、相手チームのアナリシスに精通していても、そのゲームに一度も触れていなければ(実力がなければ)、100%負ける。
 スキル値は、ゲーム内で加算されない、蓄積もされない。「財産」に胡坐を掻くことが許されないのだ。生命保険もない。

 レベルアップや、プレイ時間だとか経験値だとかステータス上昇だとかいった「概念」をスルーして、どんなに血眼になってスキルやマップの熟知だと かを凝らして、プレイ時間3000hだとかいって、ドヤっても、無意味である。

 最終的には、実力至上主義的に、結果を示せるという部分がある。FPSは、それまでの「積み上げ」がゲーム内でデータ化され、のちにバンクされないので、結局、プレイヤー自身の、まったく数値化できないスキルが力を示すことになる。
 
 大枚はたいてかった、強いレアカードだとか、課金して手にいれたアイドルパワーなど、紙切れとたんなるデータに等しい。
 そういったゲームも、扱い手次第で、実力差が生まれることになるので、結局、PSvspsということになる。
 場合によっては、そういった厨武器だとか、レアリティの高い武器頼みという小細工の前に、もっと低クオリティでコスパも、コストの配分の良い使いかってのよいモノが存在していたりして、結局、そういったことに目ざとく、それを運用し、「おれつえー」の幻想ブレイクするのは、PSの高い人である。無論、誰もが使う、強武器、強モンスターというのは、強いなりに凡庸性や有用性も高いことに間違いはないが、そういった存在は、大体が、メタ的に対策されまくっているのが、現状だが。メタvsメタの世界でも、結局差がつくのが、psvspsである。
 ポケモンなら、同じ、カイリュー使いでも、ヘタなやつは、なにを使ってもザコだ。

 FPSの話に戻るが、財産の蓄積など、経験値レベルアップ的なそれは皆無であり、すべて「結果」という数値で、残酷に示されるのだ。どんなに「努力」しても、「点数稼ぎ」をしても、猛者の前では、そのような小遣い稼ぎなど、雀の涙同然なのだ。
 自分の実力のない分だけ、レートは正直に示してくれる。

 むろん、武器のアンロックだとか、自分の成績のスコアの変動があるだろうが、前回動いた分だけの「努力値」なんてものは、次の試合には、まったく影響しない。まるで、運もアテにならない世界なのである。ビギナーズラックで1killあっても、10killされる世界だ。

 そもそも、単純に、おおまかなゲームは、スキル値という、指標があって、どんなにヘタでも、それをポイント化し、「点数稼ぎ」をしていれば、優位に立ち回れるという世界になっている。


 日本のRPG的な「積み上げ式」のノリになれていると、痛い目を見るということである。
 RPGなら、どんなにヘタでも100時間かければ、レベルは大体あがって、PSを補ってあまりあるほどの「力」を示すことができる。

 よくよく考えてみたら、それは、不思議な話である。

 人間は、ある日突然、スキルの勘が鈍ったり、そのスキルを維持するための維持力があってもなくても調子に左右されるときもあるし、なにもしなければ衰えるのがスキルであって、永遠にバンクできるというのは、まさに幻想的である。

 戦いは、調子が悪いときなりの、試行錯誤や、自問自答も、醍醐味の一つである。

 結句、貯金の一切ないゲームは、人を苛立たせる。FPSのオンラインが、殺伐としているのは、こういった、実力主義に敗れた死屍累々の怨念と悲鳴なのである。

 圧倒的な優位性を示す武器があるだとか、装備があるだとか、そういうことに血眼になっても、ディテールでは、ドヤれない世界でもあり、部分的にはそうであっても、埋めるべきPSという溝を埋めない限り、どんなに有用な武器を揃えて戦ってみたところで、巧い人には結局勝てないようになっているのだ。

 ファッションで、ブランド武装しても、「ファッションセンス」だとか、「生まれ持った容姿」というあらがい難い神の前では、月と鼈である。

 PS片手に、無双できる人は、いつまでもできる。
 ヘタなやつが「練習」と銘打っても、到達できない差が生まれるのが、実力の世界だと思われる。

 方や、RPG味が全面に出、ハクスラ要素の濃い、TPSがある。

 それがディビジョンである。TPSであるにも関わらず、このゲームには、PSvsPSという力関係は、ほぼ存在していないと見える。
 しかし、立ち回りだとかも大事という話もあるし、エイムの技量の差もあるだろうが、実際は、なきに等しい。
 命中率アップというタレントされあれば、エイム時点で命中率最大値なのだから、サルでもエイムできる。ゲームの仕様上。
 これは、もううまい下手というより、そういった「タレント・スキル」を知っているか、知らないなのか、という「差」であって、
 説明書を読んで、数値計算と、武器の強さ、タレントの優位性、スキルのかみ合わせだとか、そういったことに血眼になるゲームなのである。
 誰も、うまいエイムだとか、立ち回りなど、「練習」はしない。
 どうった場所に篭るだとか、敵の出現ポイントを「知っているか」という点で、優位に立つのであって、べつに、高度なアクション技術などではない。

 うまい人に、そういったアドヴァイスはあっても、「練習」するほどではない。笑
 むしろ、バカでも「知っているのか、知らないのか」で、差ができるというゲームだ。

 情弱(あまり好きなスラングではないが)が、一番、無駄な時間と労力を削ぎ、ストレスをためるゲームになっている。

 そこまで、高度で複雑でないのである。前にですぎるなとか、距離感が大事だな、とか、そういった程度でしかない。(個人的には)
 ファルコンロストだって、どこにいればよい、というコンセンサスさえ知ってしまえば、クリアは、簡単になる。
 それも、別に「知っているか、知らないのか」の世界である。
 ネームドがどこにいるか、特定の武器ドロップはどこなのか、スキルタレントの厳選をしているか、細かいスキルタレントの説明書をちゃんと読んでいるか?
 そういったことが、いかに大切なゲームなのである。
 どんなに100時間ディビジョンでエイムと立ち回りを「練習」して「努力」しても、あまり効果は期待できないだろう。
 そもそも、エイムに不安があるひとが、知るべきだったのは、エイムした時点で、命中率最大値という「スキルタレント」が存在しているのを、知っているか知らないのかの差である。苦手なら、そういった合法的チートを使えば、知っていれば使えるのである。

 しかも、スキルを最大強化で振っていれば、数値上強力なスキル攻撃となって、エイムなしの「魔法使い」だってできるゲームなのだ。
 これが、TPSといえるのか、どうかは不明だが、ユニークである。

 そこまでいうと、クソゲーみたいだが、たしかに、PSとシューターの勘、運動要素の欠片のないクソみたいなハクスラTPSではある。

 ディビジョンでの力関係は、倒れにくいビルドと、一発のデカさであって、エイムで、ヘッドショットという一発キルは、ほとんどない。
 それは、「低レベル」に対してありえるが、普通にない。
 カンでヘッドショットのうまい「エイム厨」が、ドヤる世界ではなく、いかに死なないで、一発の「威力」がでかいほうが偉い世界なのである。
 別に精密射撃などできなくても、胴に一発撃って、でかいヒットをいくらかだせば、勝てる世界だ。
 ここには、厳密な、数値という掟がある。そこに、PSは、枯れ葉のようである。

 アプデ毎の修正に乗り切れない「情弱」では、化石のように、PVPでは、かられる。
 ちょっといままで、頑張って「うまくできた」のに、だとかいった、fps的な「カン」は、まるで、蓄財と情報の世界では、無意味なのである。
 しかも、そこそこの装備や武器を手にいれるのは、それ相応の時間と、運が必要なのである。笑
 頑張っても、天に見放され続けて、いつの間にか、手に入っていれば、それでいいというのがライトユーザーの本音である。
 
 ディビジョンの世界は、PVPであれ、PVEであれ、実力主義とは、ちょっと違った力と力の示し方が存在する。
 それは、

 武器×タレント×装備×スキル×modもろもろというのを含めた上での、スキル発動のバフによって現れた明確な数値化
 vs
 同上(笑)という世界だ。

 あとは、当たったか、当たらなかったか、それでだけだ。あなたが、たまたま、チョット、ヘタだったんじゃないのか~? 程度である。
 動きの反省材料なんてなきに等しい。
 みな負ければ、大抵、どういうビルドにしようという「メタ」を考えるのだから、後出しじゃんけんのゲームなんである。

 勝負は、実は、ビルドからきまっている。通りすがりで、売った方が早いほうが、それまでである。

 ディビジョンのバトルなんてのは、サッとゴキブリのように顕れて、サッと死んでゆくだけである。あるいは生き残る。

 こんなゲームで、シールド構えてショットガンで、横着して、ガンバルくらいなら
 いっそ、もっと楽しいほかのゲームやったほうが、フェアで楽しいはずだろうとアドヴァイスしたくなるくらいだ 苦笑

 別にあのビルドに有効な立ち回りだとか、戦術だとか、心理的かけひきだとか、フレキシブルに全装備交換とか、そんな「ヒマ」ない。 笑

 なにが、面白いのだろう。だが、その圧倒的優位のために、無駄な時間を割いて、ワリのよいアプデ毎の優位な装備をかき集めてやるだけの
 ゲームだ。
 
 プレイヤーは、プレイヤー同士で争っているのではなく、「どの武器」「どの装備」「どのビルド」が強いか、あるいは、どの装備がクソだとののしりあっているのである。

 そこには、まるで、「プレイヤーなど存在しない」かのようだ・・・・・・苦笑

 あなたが、負けてしまっても、それは、大体、ビルドの問題ではない、「弾がたまたま当たらなかった」に過ぎないのだ。

 どのビルドがカスとか、上とか、そんなものは、「数値の掟」で決まっているので、知っている人は強い。
 厳密な計算に強い人も強い。
 あとは、それをラッキーで手にいれ、んで、弾こめてうつんだ。っていう流れ。

 なんとも、情弱には、キツイゲームである。

 ディビジョンは、どんなに立ち回りがうまく、TPSに慣れている「猛者」でも、ヘタっぴなレベル最高値の前では、一切、かなわないようになっている。「レベル」の前では、どんなクソガキも頂点であれる世界である。


 これは、PSvsPSの世界では、けしてない。

 ディビジョンの優位性とは、いかに、武器装備のタレント、MOD、スキルなどに「精通」しているか、という、情報戦に勝利したのち、計算算出上
積み上げたビルドという具体的に数値化された力によって、示されるということである。
 そこで、ほとんど、勝ちの半分は、手にいれているのである。

 あとは、あなたが、ちゃんと弾を被弾させられるか、よけられるかということだ。笑

 高度な駆け引き? 心理戦? そんなものは、他所でやってください。

 ならば、このゲームは、「良い武器を揃えて」「最低限の予備知識」さえあれば、だいたいは、勝てるようになっているのである。
 しかもpveとなっては、なおのことである。みんな「どこからaiがやってくるのか知っているので」安心だ。 笑
 ララエバレットが出てくるときは、みんないつも定位置で、火炎タレットと、タクティカルリンクで出町しているゲームなので、スキルも減ったくれもない。ただ、あんたに実力がないとしたら、あんたが「知らなかった」だけのことで、落ち込むことはない。練習などしなくていい。笑

 ここに、「才能のあるやつ」など、一切存在しなく、いかに、武器のディテールを知り、計算が得意で、RPG的積み上げの先にある、数値vs数値というにらめっこに、必要なディビジョンの潤滑油は、きっと、もっと対戦に、神のみぞ知る「運」ってやつを示してやるしかないのではないか。

 ラッキーパンチは、実力(ps)の中にこそあって、それこそが、醍醐味ではないのか。

 イライラして、同じステージを回り、装備厳選して、レアアイテムをあさっている、スマホ依存症のゲーマーみたいなのがいるゲームである。

 おかしなげーむだ。酷評されてるのも分かる・・・・・・
 
 だが、おれは、けっこうすきだけどね~ カドゥケウスまだかな~(プレイ時間320h)の俺でした。

例外的状況vs例外的状況

2017-04-25 13:10:45 | 日記

ある論に対して、例外的状況で反駁するという手法がある。

「東大生で失敗した人生を歩んだ人vs中卒で成功した人」

このお題目で戦わせようとするロジックというものがある。

どちらが優越でも、私にとって、構わないが、実は、そういった手法は、例外的vs例外的という構図でなされていることが多い。

この日本に、中卒の人は、そう多くない。

この日本に、東大生もまた、そう多くないのだ。

だから、この論理に参加する人は、結局、ほとんどが、他人行儀のマジョリティによって、求められたロジックなのだ。

遊びといってもいい。

そもそも、どちらも、マイノリティであって、マイノリティvsマイノリティというのは、最初から、誰にとっても一般性のない題目なのだ。

我々にとって、それは、問題の解決でも、格差社会の是正だとかいった、踏み込んだ議論よりも、プロレス格闘技を求める心があるだけであって、

それ以上ではない。

我々は、一般性を乗り越えようとするとき、例外的状況あるいはパーセンテージの低い数値によって、その一般性を乗り越えようとしてきたが、

実際、その双方が欺瞞であることは、言うまでもない。

話し合いたいのなら

2017-04-25 13:04:20 | 日記

最近、思いつつあるのは、反論や批判だけでは、どうしようもないということだ。

頑固にこびり付いたカビに対し、必死に抗議してもどうしようもないし、カビには、カビなりに繁殖するだけであって、主体もクソもないのだ。

だから、結局、そいつらに、自分でどうにかしてくださいと言ってもしょうがないので、自分で排除するしかない。

カビならそれでいいが、人はどうだろう。

相手と、窮極的に話し合いたいなどと考えるのなら、仇敵であろうと、ある程度は、尊重したり、礼儀を重んじないと、相手は、発狂するだけだ。

相手を思い通りにしたいと思うのなら、(それ自体おかしい話だが)相手を、ある程度、思いやらないと、「お話にならない」はずだ。