
消えた航跡・はじめに
私の勤めていた株式会社カナサシ重工は、平成21年3月31日、19名の新卒採用予定者へ「入社式前日」に内定の取り消しを通知した。
当時、世間でも業績不振から内定の取り消しは少なからず取り沙汰されていた。しかし、カナサシ重工の場合は入社式前日の通知とあって大きな社会問題となった。私は直接の引き金となった銀行の融資ストップ以前から平成26年3月28日まで労働組合の執行委員長を務めさせて頂いた事と、当時職場が安全担当であった事から、19名のヘルメットや安全靴を用意した関係、全員の名前から血液型まで把握していた。そのような訳で、当時の混乱は今でも鮮明に記憶している。
現在、カナサシ重工は更生法申請後にスポンサーが見つからず、倒産よりはましとばかりに人員削減を条件にM造船㈱に経営を任せる形となった。当然、船の建造に必要な技術を持った各ポジションで労働者不在の職場も発生し、私も整理解雇となった。
何故このような状況に陥ったか?
何があったのか?
私は、内定取り消しから始まった現在まで、その全てを社会へ明らかにする義務を感じた。自分だけの勉強や思い出に留めてはならない。その理由は、労働組合の奮闘や支援して下さった方々の叱咤・激励など、この5年間に得た自分なりの感動と真実を公表し、司法が認めた現状を「消えた航跡」で社会へ訴えてみたいと思う。それを只の記録として見るか、社会への訴えと捉えるかはお読み下さった皆様に判断して頂ければ有り難く、謙虚に受け止めたいと思っております。
消えた航跡
カナサシ重工の経緯
1. ありとあらゆる経験
平成21年3月31日、私はカナサシ重工労働組合、組合員110名程の執行委員長であった。私たち労組の取り組んだ5年間を報告する前に、カナサシ重工の生い立ちと中央に籍を置き、自然人(自由に働きものが言え、人々の幸の為に働く人)の為に労を惜しまない「企業再建の神様」と言われている方の存在を皆様に認識して頂かなければならない。
カナサシ重工の前身、株式会社金指造船所は造船業を本業として明治36年に大阪木津川へ創立された。その後、大阪から現在の静岡市清水区へ工場を移転したが、戦後の漁船需要の好調や造船ブームに乗り、中堅の造船所へと事業を拡大した。更に、昭和46年には豊橋へ大型ドックを建設するまでに至った。私が入社した昭和44年頃は地域でもトップクラスの賃金だった。
しかし、業界景気の高低サイクルは時代のうねりとなり色々な形で押し寄せ、労働組合分裂や会社銀行管理等の荒波となって働く者を直撃した。その後、昭和58年にKグループ入りし旧経営陣は総退陣して働く者の労働条件も少なからず改悪された。しかし、当時、経営者は変わっても末端で働く者は継続して労働し、企業存続の危機まで心配する事は無かったと思う。ところが、時代のうねりは労働者が思っていたほど甘いものでなく、経営危機が再燃し昭和63年には会社更生法申請をするに至った。そのような訳で、私達働く者はありとあらゆる経験をさせて頂いた。

2. 困った事が有ったら
株式会社カナサシ重工は今から15年前の平成11年にそれまでのKグループから離れ、独立した企業体系で船出をした。その船出をした後も私たち労働組合は昭和63年に株式会社金指造船所再生の枠組みを構築し、再建を成し遂げた「企業再建の神様」と言われたベテラン弁護士のご恩は忘れず、その後も年賀状程度のご挨拶は続けさせて頂いた。
カナサシ重工が会社更生法を申請した後、労組は企業再建の神様のところへ「ご尽力頂いた会社を又倒産させてしまった」とお詫びの挨拶に出向いた。その時、企業再建の神様は「スポンサーは現れないでしょう」「自力再建は無理でしょう」と予言した。私は肩を落として帰るしかなかった。その時、企業再建の神様はエレベーターまで見送りにきて下さり「少し待って」と引き返し本を一冊私に手渡し、「困ったことがあったら、又、相談に来なさい」と言ってくれた。
その時の私の気持ちの高低は口で言い表せないくらいであった。会議室からエレベーターまでの歩みは奈落の底であり、見送られ「困った事が有ったら相談に」の言葉を頂いたあとの舞い上がり、自分の気持ちの変化が信じられない位だった。ちなみに会社(カナサシ重工)からは誰も挨拶に来ていないと言う事であった。
3. 企業再建の神様
株式会社金指造船は昭和63年中頃、親会社であるKグループより経営の赤字脱却が見えない事を理由に資金支援の打ち切りを申し渡された。当時、社長は親会社より派遣されていたが、プロパーで社員の代表格の者が中心になり同調者と企業再建の神様を訪ねた。
その企業再建の神様へ持ち込んだ相談の内容は「親会社から資金が打ち切られる」「銀行と2ヶ月程交渉したが前へ進まなく資金不足になる」「会社更生法しか手段は無いと思うが親会社は勿論、関係先に一切相談してない」と言うものであった。
企業再建の神様は著書の中で「この時ばかりは迷った」と謙遜しているが、おそらく過去の経験と知識を頭の中でフル回転させ、より効率的な手段と新たな作戦を合体させるのに迷う事はなかったと私は思っている。
何故なら、企業再建の神様は過去に300社を超えるどの更生事案でも「再建の価値有り」と判断したなら関係者の生活保護の為、申立直後から事業の継続を必ず実行しているからである。又、ヒト・モノ・カネの織り成す人間模様から夫々の立場で不信感や疑いがあっても、最終的には関係者全員が会社再建と言った目標へ「協力する体制を作り上げて来た」という過去の実績が動かぬ証拠として存在している。

4. 何故「神様」と言われるか
株式会社金指造船所は仕事・資材・技術を親会社に委ねて来たし、今後も絶対的に必要である。金融機関にしても前金保証や資金繰りで支援は絶対に必要である。更に、金融機関と一口に言っても親会社の金融機関・地元の金融機関等4行・5行に上るが、各行の言い分が対立する。その「親会社」と「金融機関」に何の相談もせず会社更生法の申請をする。普通で考えればそのような状況下で会社再生の枠組みなど出来る訳がない。しかし、企業再建の神様は違った。
企業再建の神様についてその実績と手法はいくら挙げてもきりがないのでやめておく。詳細を知りたい方は、企業再建の神様の出版物を参照いただければ親切に再建のノウハウが紹介されている。しかし、そのノウハウを理解しても300社を超える企業再建は他の人には絶対に無理であり真似出来ない! 理由は簡単・明瞭だ。
労組の航跡を辿って行く上で、何故「神様」と言われているか、そこを理解して頂かないと説明がつかなくなるので、ほんの少しだけ紹介させて頂いた。
株式会社カナサシ重工更生法申請
1. 入社式前日、内定取り消し
株式会社カナサシ重工は平成21年4月1日に操業を一時中止した。理由は、メーン銀行から年度末に必要な資金の融資が受けられず、取引先への支払い目途がたたないと言うものであった。又、前日の31日には、新卒採用予定者19名に対し「内定取り消し」を通知していた事も明らかになった。
内定取り消しに関し、会社へその考えを求めると「倒産会社へ拘束するべきでない」「会社が倒産すれば新卒で社会へ出た若者の経歴に傷が付く」と言っていた。しかし、5年経った今、将来への希望や現在の状況を捉えた時に100点の答え(対応)は結果的に存在していなかったように思う。
当時、労組は一旦操業停止の直後にはまだ、一定の時期に話し合いで解決し企業活動は元に戻ると思っていた。しかし、事態は深刻で融資状態へ後戻りする状況になく、悪い方向にしか進まない現実を思い知らされる。又、会社も労組も報道関係からかなりの取材を受けた。
私は取材に来たAテレビ局の全国版の記者に対し「カナサシ重工の融資ストップは一時的なもので空白期間が出来ただけ」「数日で全てが元に戻り、新卒内定者も内定取り消し撤回になる」とインタビューに答えた記憶がある。その際、当該記者より「仮にそうなっても新卒者の心の傷はどうなりますか?」と質問され、答えに詰まった。新卒者の一旦傷ついた心に対する配慮を怠っていた自分を今でも情けないと思っている。当時の新卒者の皆様へ改めてお詫びを申し上げたい。

世間の「内定取り消し」に対する批判はかなり大きく、会社へ抗議の電話が殺到したと聞いている。安全担当だった私は報道関係の方々に氏名と血液型を記入したヘルメット、及び新入社員個々のサイズ別に分けられた安全靴を見て頂いた。その時、報道関係の女性記者(カメラ担当)の方が「苦しいね」「苦しいね」と言って下さったのが今でも耳の奥に残っている。その後、内定取り消しが計画的でなく悪意に満ちたものでない事が報道されると会社へ抗議の電話は来なくなり、支援を止めた銀行へ矛先が向いたと聞いている。報道関係の影響は大きく、世論は正直者の味方である事を痛感した次第です。
2. 倒産
操業停止直後、労組はやるべきことはやらねばと10日間ほど設備の保全を行った。会社と手分けして24時間体制で生産設備を守った。又、外部に対しては、市役所や商工会議所へ金融機関の早期融資の再開をお願いするよう協力要請して回った。外部の団体は大変協力的で労組のお願いに耳を傾けてくれた。又、行動もして下さった。
結局、会社は更生法の申請を行い倒産した。労組は時々の状況に応じて次なる行動を見定め、更生手続きの開始決定を頂く事が目標となった。カナサシ重工労組は企業内組合であったため、このままでは外部への働きかけに限界があると考え、産別加盟を行うよう臨時大会を開催し加盟の決定をした。
仲間に入れて頂いた当時の産別K委員長は以前から安全活動を通じての顔見知りであり、話しやすく労組の期待に100%以上応えて下さった。衆議院・参議院を介して経済産業省への申入れを始め、幾日も行政関係への行動を一緒に展開してくれた。
3. 事業管財人H氏
平成21年4月10日、更生法手続きの開始決定がされ裁判所は保全管理人の選任を行った。そして同年6月26日、更生法の適用が決定され、併せて管財人3名と管財人代理2名、計5名の管財人団が選任された。後で分かった事だが、管財人報酬は総額で年間6千万円位になると聞いた。弁護士報酬のドル箱は更生事件であるとも誰かに聞いた気がする。しかし、それらを確かめたことはないが「当たらずとも遠からず」であろう。




カナサシ重工再建の枠組みは、新聞報道で平成21年6月20日に紹介されている。その内容は「支援企業が固まり、静岡地裁から更生手続き開始決定が出される見通し」「カナサシ重工と支援企業で更生計画案を作り裁判所へ提出し、債権者に諮る」と保全管理人(管財人)は支援企業決定を明確にした。又、その5日後に事業管財人も従業員へ紹介される訳だが、その事業管財人が招かれた経緯はこうであった。
N法律事務所と言う日本で一番大きな法律事務所の代表パートナーM弁護士が大きな役割を果たした。過去の話しになるが、Sと言う県内金融関係の破綻をそのM弁護士が面倒をみた。その時に地元の弁護士も入れたいと言う事で、今回カナサシ重工の管財人になったA弁護士を引き入れた。その時の繋がりでA弁護士は「カナサシ重工の事業管財人に適任はいないか」と、M弁護士へその紹介を依頼した。M弁護士は沖縄のフェリー会社の更生事件(結果的には破産)で一緒に活動したH氏がフリーでいるはずだと考え紹介したという。
4. 管財人団の足跡
S地方裁判所は1年後の平成22年6月25日を更生計画提出期限とした。その提出期限とされた1年間の管財人団が企業再建に活動した足跡を拾ってみる。
先ず、第一は平成21年6月に支援企業が固まったと新聞発表した。8月には、3ヶ月程度でスポンサーを決めると労使協議会で発表した。労組への詳細報告は無かったが、N法律事務所・M弁護士の手引きで以前のKグループのI会長とも面談したと聞いている。しかし、どの関連も上手く行かず平成21年中は前へ進んでいない。12月の労使協議会の席上、管財人団は「スポンサー候補は数社あるが来年2月までに決まらなければ3月は厳しくなる」と平成21年を締め括っている。
私達労組は同年7月の労使協議会で会社の生産体制方針と年間の工事量計画を求めたが、明確な報告は無く、この5年間管財人団の取ってきた仕事は1件も確認していない。努力はしたと思うが、どの程度の活動か確認してない。「企業再建の神様」のところで紹介しなかったが、企業再建の神様は中央より四国や九州まで出向き、漁協や船主を個別に回り受注(仕事)を得る活動をして来た。「事業の継続」と言うことである。更に、労組は「会社更生法は計画提出・認可までの間(お金を返さずに企業活動できる期間)に体力を付けると聞いたが、カナサシ重工は体力を付けているか」と労使協議会で質問した。
管財人団の答えは、元々資金ゼロからスタートしているので、現存している事が体力であり、それ以上体力は付いていないとの回答であった。

企業再建の神様へSOS!
1. 再建のやる気、質問をぶつければ判る
平成22年になった。2月に入ってもスポンサーの決まる気配は無い。私達執行委員会もさすがに心配になって来た。理由は、H事業管財人の言動である。就任2ヶ月目位に報道関係へこう応えている。「陸機は普遍的な需要が見込める」「修繕は技術力も実績もあり定期的に仕事も入りマーケットに左右されない」「新造は大量受注で人員投入の赤字を反省し、高い技術力で将来危惧するような弱点はない」とばら色の見解を示している。
企業再建の神様のような枠組みを作り切れない時期にそのコメントを思い返すと、一般の読者と働く者に安心感を与える事だけを目的とした発表だったように思えてならない。

執行委員会はこのままでは雇用も守られなくなると判断し、N法律事務所のM弁護士を2回程訪ねた。M弁護士は「カナサシ重工とは直接関係無く、中の状況は知らない」と前置きし、「A弁護士は更生の扱いが少ない」「昨年の夏か秋ごろからN法律事務所のS弁護士を頼んでいるようだ」「更生会社はズルズルやっても駄目だ」「自力再建・スポンサー再建の二通りでの検討が必要だ」と大枠的な話しをしてくれた。その後に「カナサシ重工の管財人はファンドと話しをしているようだが通常では造船に乗り出す事は考えられない」「カナサシ重工の再建を本気でやる気が有るかどうか、質問を幾つもぶつければ判る。しかし、それが出来るのは企業再建の神様と自分だけだ」「企業再建の神様に管財人団のトップに立って頂く事がベストだ」「企業再建の神様なら銀行と喧嘩してでも話をまとめ、皆が納得出来る形を作る」「それが出来るのは企業再建の神様だけだ」「大手の企業へ勤めた人は数字で利益が出れば皆(スポンサー候補)来ると思っているが、そうではない!」といったアドバイスを下さった。さすがに、日本で一番大きな法律事務所の代表であると感心した。
しかし、結果的にM弁護士のアドバイスの通りにはならなかった。管財人は大勢必要ないと言う事と、管財人団にその気があれば再建の神様へお願いに行いったはずだが、そのような形跡は無かった。
2. 管財人交代は頭にプッツリ
執行委員会の心配も頂点に達してきた。産別を介して法律管財人へ面会をした。又、産別も一緒に企業再建の神様に会って頂いた事もある。平成22年は水面下の動きがかなり激しかった。
一連の労組活動とその考えに対する管財人団の見解はこうだった。「我々も努力している。第一船目進水の時エンジンの納入に際し、メーカーより前金を要求されたがS銀行に交渉し保証してもらった」「一年よくここまでもって来たと思っている」「管財人を交代しろと言われれば頭にプッツリ来るし、裁判所もOKとは言わない」又、産別の見解は、「現状、管財人団は動いているので辞めろとは言えない」と言うものであった。しかし、もう一面でN法律事務所のM弁護士と類似した考えも持っていたが、管財人団をその気(企業再建の神様の力を借りる)にさせることは出来なかった。
管財人団と労組の水面下でどの様な活動が有ったにせよ、その間にも職場は回転していた。働く者の気持ちは正直、且つ敏感で不安定となり連続2件の事故・災害(左手指2本の開放骨折、両足踵骨折)が発生した。労組は急遽全員集会を開催し安全啓蒙を行った。管財人団に対しても会社として全体集会で「安全第一」の指導を行って頂きたいとお願いをしたが、安全衛生旗を立てただけで全体集会は行わなかった。 又、アイドルの発生に対応すべく、管財人団が船主の決まらない1万トンクラスの船S.8126の建造指示を出したのもこの頃だった。

3. 不愉快だ!
平成22年8月、執行委員会は組合員へ「現在の管財人団にカナサシ重工の再建策とスポンサー招致の限界を感じている」「執行委員会はたとえ管財人団の交替を求めてでもカナサシ重工の再建を諦めない」を明らかにした。又、管財人団に対しては「スポンサーや企業支援スキーム不調の原因」「仕事の受注状況」「資金計画」「支援企業の計画とリミット」等6項目を文書で求めた。
それらに対し、同月の労使協議会で管財人の回答は「不愉快だ!」から始まり、委員長としての組合員への発言責任を追及した。労組の求めた文書回答もする意志はないとの事であった。この時点でカナサシ重工から離れない管財人団と企業再建の神様に託したい労組の腹を括った姿勢(企業再建の神様へSOS)が明確になった。
平成22年は管財人団のスポンサー探しと労組の心配でズルズルと進んで行った。そんな中、労組は組合員へ無記名アンケートを実施した。その内容は「管財人団の取り組み理解度」「仕事や雇用への不安度」等6項目を挙げた。組合員の回答は約50%が管財人の取り組みを知らない、理解していないと答え、仕事や雇用については80%の組合員が不安を抱えていると結果が出た。
平成22年は6月が更生計画提出期限だったが、管財人団は来年6月までの延期申請をS地方裁判所へ申請し認められた。
4. S地方裁判所へ上申
平成23年3月、カナサシ重工は最後の船を引き渡し2億円少々の手持ち資金が18億円近くまで跳ね上がった。会社再建の足掛かり最後のチャンスが来た!その18億円を企業再建の神様へ預ければカナサシ重工再建枠組みの足しになると考えた。
平成23年3月28日臨時大会を開催した。組合員にS地方裁判所へ上申を行う提案をした。しかし、あからさまに「直ぐ管財人を交代して貰いたい」とは言えない。角が立つ。「必要に応じ管財人の交代を考慮されたい」と表現した。更に、上申の仕方も「職権の発動」という形で上申したので、S地方裁判所は組合へ答えを返す義務は生じないというものであった。
臨時大会では組合員も状況を理解していたので、執行部提案に対し組合員総数82名中出席組合員62名で、裁判所への上申賛成60名、保留2名の圧倒的賛成で可決し、全組合員の署名を添付してその直後に上申した。

しかし、1回目は管財人団への遠慮から意味不明(事業の維持継続に不測ある場合適切な措置を)の文書で提出した為、明確に管財人交代を盛り込む必要があると判断し、その文書は同年4月15日付けで再上申となった。
当時の動きは実に目まぐるしかった。労組はS地方裁判所への上申に留まらず、地元自治会・市・社内協力事業所へも理解を求める活動を行った。そうした一連の行動の中でおそらく異例だと思うが、S地方裁判所へ上申する20日程前、裁判長含む3名の裁判官が労組の面会に応じてくれた。
労組は「裁判所はカナサシ重工の現状をどう見ているか」「管財人団は裁判所から破産にすればと言われたといっているが?」「管財人団はスポンサーを見つけきれず、仕事も取れない」「会社更生の経験と人脈を持つ全国レベルの管財人をお願い(推薦)したい」と質問・要望した。
それに対し裁判官の答えは、「カナサシ重工を破産にしたくなかった」と管財人団が言った破産の指示を否定したが、管財人団の活動評価と経済状況で止むを得ないというものが裁判官の見解だった。ただ、内容はともかく面会に応じてくれた裁判官の誠意は有り難かった。
5. 今後相談する
4月に入りS地方裁判所で担当して下さった書記官が変わった。今までの書記官が話しやすく親切だったので一からやり直しの心配をした。しかし、心配は不要だった。次の書記官も誠意を持って対応してくれ、信頼(話しを聞いて頂く)関係を構築するのに時間はかからなかった。
私達労働組合は未だに企業再建の神様の氏名を具体的に裁判所へ推薦してなかった。企業再建の神様にご迷惑が掛かるのではと常に心配していたからだ。しかし、書記官より具体的に文書で裁判官へ提出しなければ伝わらないと言った趣旨の助言を頂き、上申書提出の3日後に追加の提出をした。

その約1ヵ月後、S地方裁判所へ企業再建の神様を明確にした具体的文書への対応を問い合わせてみた。答えは「裁判官へ渡した」「今は受け取っておくだけ」「今後、相談する」との見解だった。私達労組は『今後、相談する』に期待を持ったが、司法に社交辞令が有るか無いか見当もつかなかった。
大震災絡みで更生計画案作成
1. 見せしめ人事
平成23年4月、管財人団は私に人事異動を発令した。安全担当から内業という製造部隊への職種転換である。
当時、製造部隊はアイドル状態で仕事は無かった。内業で鉄板を曲げる作業者3名の4月分労働時間を例にとると、合計488時間の内、実質の仕事は陸機のタンク製造応援で16時間に留まり、残りは全てアイドル(教育訓練)だった。安全担当から外し、製造部隊へ移す理由は認められなかった。又、私の直属の上司だったT安全環境室長は何の相談も受けておらず、そんなに急ぐ人事異動理由は無かったはずである。
辞令当日、H事業管財人へ人事異動の理由を文書で求めたが拒否された。一般的には組合活動の制限がないので不当労働行為ではないと言われるだろう。しかし、職場は違う。「裁判所へ上申したからだ!」「怖いね!」と噂し、本質を見抜いている。働く者に恐怖心を植え付けるやり方で、私は「見せしめ人事」と表現した。もちろん裁判所へ報告はさせて頂いた。

2. 上に立つものが手本を
平成23年は大きな出来事が続いた。時間は前後するが、3月11日東日本大震災が発生した。東北の造船所は甚大な被害を蒙り、カナサシ重工のプロパーの中にはそちらの方面と懇意にしている者もいた。そのプロパーT部長との関係が手引きとなり、東北で建造できなくなった船をカナサシ重工でという話しへ発展した。労働組合も当然の事のように働くもの同士、お互いの苦しさを打ち明け合うといった形に発展した。そういった交流の形を後押しして下さる部外者も何人か居たが割愛する。又、お互いに行ったり来たりした感動も残念だがここでは割愛せざるを得ない。しかし、私の心の支えになり今でも頼もしく思う。
この年の6月、管財人団はスポンサーが見つからない為に「東北の造船会社Yと業務提携を結ぶ」を前面に出し、自主再建で更生計画案を裁判所へ提出した。
この更生計画案には従業員の一旦全員解雇が盛り込まれていた。又、再建に向けて適切と判断される人員を再雇用するというものであった。しかし、この時は産別が力を発揮し、組合員については犠牲者(本人の意に反した退職者)を出すことはなかった。
提出した更生計画案が11月末裁判所に認可された事により、その場の破産だけは回避された。ただ、その後は手持ち資金が毎月平均1億円弱の目減り(赤字)が平成25年まで続いた。管財人報酬6千万円と第1回目の弁済金約1億2千4百万円は、その手持ち資金が無ければ支払い出来なかった。
企業再建の神様は300社を超える企業再建を経験している。その数有る経験の中で神様は、更生会社に黒字が出るまで管財人報酬を取らないところや、最後まで取らずじまいのところもあった。裁判所からは「決まっている事だから報酬は取って貰いたい」と言われたが、交渉して裁判所を説得している。
「管財人は謙虚でなければならない」「上に立つものが手本を示さなければならないのですよ!委員長!」と全体をまとめて行く者の姿勢を教えてくれた。
3. 現実を見ている組合員を尊敬
毎年10月は定期大会の開催月であり、平成23年の大会をどうするか執行委員会で協議した。その理由は、更生計画が11月末に認可される見通しなので、それへ盛り込まれた全員解雇と再雇用は11月末に実施される。この全員解雇と再雇用の課題を次の役員へ送る事は出来ない。現行の役員で対応すべきと考え、代議員会で10月の定期大会延期を決めた。
この時期は解雇・再雇用問題に加え、60歳以上をサンセイプランサービスという関係会社への転籍問題や退職者が多数出るといった様々な課題が発生した。働く者の不安や技術の劣化が目だって来た。労働組合として更生計画案の全員解雇と再雇用を認めて来たが、今になってみればそれで良かったか疑問と反省がある。
結局、労働組合の定期大会は平成24年4月に行われた。この頃は組合員総数が既に60名と目減りし、会社が更生法の申請をする前の約半数になっていた。それでも労働組合の方針と私を含む役員の継続で定期大会へ臨んだ。役員選挙の投票で驚いた事があった。信任投票は総投票数53票で53票全員が私、委員長を信任し不信任・無効票はゼロという結果が出た。
管財人団の交代を打ち出した執行委員長を100%の組合員が信任したのである。例年の信任投票では、不信任、又は白紙が数票は必ず出ていた。このような投票結果は日本中を探しても有り得ないと感動し、現実を冷静に見ている組合員を尊敬した。

4. 建造船解体と陸機譲渡
平成25年3月、管財人団は船主未定で建造させたS.8126の解体を発表した。今まで2億円のお金を費やして来たと聞いている。経営責任は大きい。
S地方裁判所へ更生会社に億円単位の損害を与えた「責任」を聞いてみた。裁判所は、管財人の細かい経営まで指図していなく、管財人の裁量の範囲に任せてあるといった答えだった。
平成25年5月、管財人団は陸機部門の譲渡を前提とした行動に出た。S地方裁判所へ了解を求め、カナサシ重工として取得した各種水槽の型式認定をテクノサービスという名前だけ残っていた100%子会社へ移転した。その1ヶ月後、外部の株式会社Sへ譲渡した。
管財人団は労使協議会で労組に対し、それらに関する意見を求めた事があった。その時、労組は産別に相談すると即答を避けたが、結論的に認めた。
しかし、有識者からは有ってはならない事だと評判が悪く、労組にも責任の一端はあると反省している。

具体的なスポンサー
1. このままで良いのか?
平成25年半ばになってもカナサシ重工へ色よいスポンサー話しは無く、会社に取って最も重要事項であるとされたスポンサー以外が労使協議会の議事録を埋めている。
カナサシ重工の再建はスポンサーが出ればと皆考えていたようだが、それは違う。
スポンサーが出て「只お金と仕事を入れれば良い」では一企業の浮き沈みでしかない。造船業界として静岡の地でどう展開するか、清水地域の産業をどうするか、地場のM造船や地域の主要企業Sを巻き込み、地域・産業界全体の視点で枠組みを展開しなければ何回も同じ事を繰り返す。その枠組みを構築出来るのは、企業再建の神様しかいないと労組は確信を持っていた。

そう言った状況の時だった、労組へ1件の問い合わせが有った。窓口はカナサシ重工のOBで「このままでは破産になる」「何とかしたいと思い、お金の段取りをして管財人団に何回か当たったが駄目だった」「労組としてこのままで良いのか?」と言った内容だった。
その場は、執行委員会で相談しなければならないと即答を避け分かれたが、全員雇用や仕事を入れる等の話だけで飛びつけなかった。大変失礼な話だが、本気の話か、ハゲタカか、労組が見抜くには無理がある。企業再建の神様やN法律事務所のM弁護士のような訳には行かない。
2. 40名程度へ要員を絞り込み
それと平行するように管財人団は8月の労使協議会で、具体的なスポンサー話しを出して来た。しかし、そのスポンサー話しは手放しで喜べるものではなかった。何故なら、問題が2点あった。
1点目は、このままで行けば来年の弁済が出来なく破産しかない。
それを理由に過去、「修繕のみなら見る」と言われ一旦は断ったところへ、先方の条件を飲む形でお願に行っている。
2点目は、40名程度へ要員を絞り込んで引き受ける。
破産よりはましとばかりに首切りを含んでも「将来に有効な手段」とした。又、「新造船は収益が出れば再生する」と新造船撤退を明言した。
労組は「犠牲者(本人の意に反した退職)は出さない」「人員削減による技術力の枯渇阻止」を打ち出した。
カナサシ重工OBから投げかけられた件について、企業再建の神様へ相談した。又、カナサシ重工のOB側に対しては企業再建の神様に会って頂きたいと申し入れた。ずるい作戦だが、労組では良い話しかその逆か、又は「労組活動とは別次元」の話しで、入り込むべきでないか判断が難しかった。企業再建の神様に見て頂く事とした。
結論から言うと、「カナサシ重工の再建には色々な方法があるでしょう」「その中で一番良い方法をとれば良いですね」と企業再建の神様は何人も拒否しないが、立ち入る事の出来ない神の領域を見せた。又、カナサシ重工のOB側は、弁護士を抱えているにも関わらず「企業再建の神様主導でなければ動かない」とまで言い始め、その抱えている弁護士さえも「労組は何故あのような大物と話しが出来るのか?」とまで言い始めた。
3. 一度失った技術は戻らない
そこで労組の腹は決まった。管財人団が進めようとしている再建策とは別の再建策として受け入れる事とした。しかし、その間にも管財人団の再建策(首切りを含む一時新造船建造の撤退)は進行して行った。
平成25年10月19日の新聞報道では「E県のM造船所とスポンサー契約をした」と発表しておりその中で、80人弱の従業員は今後の課題と報道している。しかし、労組は40人体制へと既に言われていた。又、仕事は修繕船ベースと言っているが、新造船一時撤退は造船技術の放棄を意味し、一度失った技術は元に戻らず新たな造船技術を構築して行くには50年以上かかる。
そこで労組はある行動に出た。E県のM造船へ組合員の署名を付け「管財人団へは伝えてあるが」と前置きし、「造船技術の枯渇阻止・首切り反対を前面に、修繕のみでの再建方針が変更出来なければ手を引いて頂きたい」と言った趣旨の手紙を送った。間髪を入れずM造船側より管財人団へ抗議が来た。M造船の抗議は当然である。
労組の考えなど寝耳に水の話しであり、管財人団にお願いされてカナサシ重工の再建を再検討し、E県から出向いて来たのである。言い換えれば労組の思惑(企業再建の神様による再建の枠組み切望)と管財人団考えの違いによる被害者であった。それが分かっていながら手紙を出さざるを得なかった事を当時から申し訳なく思っていた次第である。

管財人団からは手紙に対する問責を促され、産別からは謝罪文を書くよう要請された。私はその時、「その場を繕うような書き物でごまかしたくない」「時期が来たら全てを説明する」「そうしなければ本当の信頼関係は出来ない」とそれらに応じなかった。M造船にはこの場で改めてとばっちりのお詫びを申し上げたい。
4. 「首切り」一切の協議に応じず
平成25年暮れは労組にとって自己嫌悪に陥るほど最悪の出来事が重なった。S地方裁判所は管財人団の更生計画変更計画案を認可の方向で進んだ。つまり、働く者の首切り策が進行しており、私達の訴え(企業再建の神様による再建の枠組み、見せしめ人事等)が認められなかったと言うことである。
当然、労組としては「首切り」を前提とした一切の協議に応じない考えを表明した。又、カナサシ重工OB側は新造船を入れるので組合員を全員雇用し、職人が足りないくらいなので労組の首切り反対を応援した。そして、労組のために弁護士を探しはじめた。
そして、労働関係に一流の弁護士をと行き着いたところが、産別本部の顧問弁護士で労働界では右に出る者は居ないといった著名なT法律事務所のM弁護士だった。M弁護士は動きが早く、スポンサー会社の弁護士とコンタクトを取り、労組とカナサシ重工OB側、及びスポンサー会社の代表との会談設定を早々と段取り付けてしまった。
ここで私は大きな失敗をした。首切りの協議には応じないとしながら、スポンサー会社と会談を持つ事は首切りの条件闘争へ入った事になると途中で気が付いた。しかし、時すでに遅く、全ての段取りが会談の方向でまとまっていた。それでも私は駄々をこねるように土壇場でキャンセルした。
産別本部の顧問M弁護士に大恥をかかせてしまった。お詫びを電話でしたが、お目にかかってお詫びをしなければならないと思っている。大人の世界では有り得ない事を仕出かした次第である。

更生計画変更計画案
1. 事前協議の協定違反
管財人団は更生計画変更計画案を作成し債権者を回り、S地方裁判所へ提出した。しかし、そこに労組との協定違反が発生した。
管財人団は平成22年7月に労組と事前協議の協定をしていた。その内容は「会社が更生計画案を提出する際には事前に組合と協議する」と言うもので、管財人団と労組の双方が文書へ調印していた。その事もS地方裁判所は知っている。
平成25年12月24日、管財人団は希望退職の募集を発表した。その内容は、希望退職へ応募しても受理するか否かは会社が決める。又、応募しない者に対しては応募の打診(応募しなければ整理解雇通告する)を行うと言うものであった。それは指名解雇と同じで、好き嫌いが罷り通るものであった。ここまで働く者の思いを無視されたらストライキしかないと執行委員会は考え、臨時大会を開き「ストライキ権確立」の提案を組合員へした。その臨時大会では半数以上の賛成を得てストライキ権は確立した。
その後、管財人団は退職して貰いたいが希望退職に応募しない労働者を11名に絞り、応募の打診を行った。そして、希望退職勧告に応じない者3名へ整理解雇を通告した。
平成26年へ年が明けた。S地方裁判所は管財人団が提出した更生計画変更計画案を認可した。カナサシ重工OB側は即時抗告を行ったが、東京高裁で却下され更生計画変更計画案は確定した。
2. 全ての責任は委員長
労組は指名解雇3名の撤回と協定違反の謝罪を求め同年1月10日、管財人団へ16日にストライキを行う旨の通告書を提出した。管財人団はその間にも私(委員長)以外の2名への希望退職応募の説得を続け、1名がやむなく応募した。
平成26年1月15日、労組は定時後(17:30)からストライキ突入の説明全員集会を開いた。組合員の意見は賛成・反対の二つに分かれた。その時点でもう1名が希望退職へ応募したので私(委員長)一人だけが整理解雇の対象となった。
しかし、組合員の中には過去、会社の組織攻撃を記憶している組合員もいて「会社は肩たたきをやってきた」「働く者がこのまま何もやらないでは今後、働く者の意見は出せなくなる」つまり、会社のやりたい放題を働く者が認めた事になると言う意見を出した。

ストライキ突入の説明全員集会、時間は夜8時を回っていた。外では産別の三役(委員長・書記長・組織部長)が待機しているという緊迫した状況であった。組合員には家庭を抱えた奥さんもいるので、「執行委員と会計監査・正副支部長を残して帰宅して頂いたら」との意見を受け、ストライキ当日の朝に組合員へ指示を出すことで一端散会した。
しかし、協議の人数が減っただけで2時間程同じような論議をした。私は委員長としての決断が必要と判断した。最終的なまとめを行うに際し、責任の所在を明確にする必要を感じ、全て委員長が責任を持って決定をする事にした。当たり前の事だが、あえて委員長の全責任を強調した。組合員がストライキ後に会社の仕返しを心配しているとすればその不安を取り除く必要がある。
3. 1時間の時限ストライキ
委員長としてストライキ賛成・反対の思いを勘案し、1時間の時限ストライキを残った役員へ提案し、「委員長一人の責任で決断した。他の組合員に一切責任は無い」との見解を示し、まとめた。その場にいた全員が納得した。
産別三役と話しをするに至ったのは11時頃になっていたと思う。カナサシ重工労組の為に忙しい中、夜遅くまで待たして申し訳なく思った。
話しは前後するが、会社はストライキの前日に職場を回りストライキ実施の妨害をしている。その妨害とは、有給休暇の届け出用紙を持って職場を回り、ストライキ当日の有給休暇取得強要を行ったのである。
通常の有給取得率は全体で4%程度だが、ストライキ当日は組合員ベースで30%の取得率に跳ね上がっている。又、ある組合員には「ストライキへ参加したら首だ」と脅している。その管理職と言われた組合員を把握しているがここでは明らかにしない。裁判所へは双方の実名入りで届け出てある。


16日ストライキ当日、早朝7時30分より抗議集会を行い8時より9時まで組合事務所へ詰めて頂いた。
ストライキ前の抗議集会には、産別や地域の労働団体など10名近くが応援に駆けつけてくれた。今の時代に時代遅れとも受け取られがちなストライキへの応援は有り難く、挨拶も頂き大変心強かった。
4. 国の基幹産業組合も応援
ストライキ行動でも組合員に感動した事がある。ストライキ説明の全員集会でスト突入へ反対をしていた組合員がいた。しかし、いざ突入となったら会社の妨害を撥ね退け、ストライキ突入前7時30分からの抗議集会と8時からのストライキ双方へ参加していたことである。
個人の考えは主張しても「全体で決まったときは共に行動する」が労働組合のルールであり理想だが、実際に行うとなるとどれだけの人間が出来るか疑問がある。口で理想を言うのは簡単だが、人間苦しくなると本当の姿が出る。
ストライキ突入の2週間後、国の基幹産業であるJ労働組合が激励に駆けつけてくれた。やはり働く者同士は通じるものがあり、整理解雇となって一人だけで組合事務所にいた孤独感を癒された。「檄」の寄せ書きは今でも組合事務所に張ってある。感謝の気持ちを返す方法と言葉が見つからず、礼儀を欠いたままだと思うと耐え難いものがある。

私の整理解雇は1月15日だったので、ストライキ当日(16日)は整理解雇となった第1日目であった。結果的に解雇反対闘争のストライキは、私一人の整理解雇撤回闘争の形になったが、闘争の中で理想の組合員像も見せて頂いた。
平成26年3月28日カナサシ重工労組は臨時大会を開催し、私は委員長を辞任した。今後、私が去ってもカナサシ重工労組の組合員は労働者の権利を主張し、労働者いじめは許さない闘いを継続出来ると思っている。
私を取り除く事は簡単かもしれないが、弱いものいじめをすれば第二・第三の指導者が現れ、永遠にそれを取り除く手間が発生する。
残った皆様は大変でも、清水地域の活性化の為に安全第一で頑張って貰いたい。今の私には祈る事しか出来ない。
消えた航跡・あとがき
消えた航跡は、弁護士・清水直先生の「企業再生ドラマ」「あきらめるな!会社再建」「企業再建の真髄」、及び静岡新聞を参考にさせて頂いた。後は自分の記憶と手持ちの資料を紐解いたので正確さに欠ける部分は有るかも知れないが、大きな違いはないと考える。又、残念ながら、当初考えた半分程しか記載出来なかった。
ストーカーと言う言葉が有る。私は「企業再建の神様」に対して勝手に手紙を送り、会って頂きたいと訪問した。相談料をお支払いしていればビジネスだが最後まで1円も支払っていない。ストーカー行為そのものであった。
労組がたまに儀礼的な静岡茶を持参する。何処へでも礼儀としてやっている事だが、企業再建の神様は「持って来ないで」と言う。労組の気持ちだからと受け取って頂くようお願いすると「皆の組合費でしょ」と言われた。働く者への心使いに感動した。その姿勢は凡人でないと思った。やはり、神様である。
管財人団が行って来た施策とカナサシ重工の再建策は、司法が全てを受け止め協議して決定した事である。どの様な理由を付けても、私の組合活動が制限された事実を消す事は出来ない。管財人団が整理解雇で設定した「年齢制限の61歳」は私の年齢であった。

平成26年4月26日
お元気でいらっしゃますか?
こんな文章を上げていらっしゃったのですね!今の職場の部下に火災の悲惨さを見せようと船舶火災の画像を調べていてたどり着きました。私は携帯が川に泳ぎに行って行方不明になり連絡先全てを失ったのですが、宜しければ気が向いた時があるなら、一回ご連絡を頂けますか?以前と電話番号は変わっていません。
宜しくお願いいたします。
※私、今でもKGHSさんと付き合いがあります。気のいいおじいちゃんになっていますよ。