達磨の活動日報

達磨の日々の活動記録

こうなりたいな~

2009-07-30 22:21:36 | 痛日記
権力に屈せず

富に執着せず

義を重んじ

弱気を助け、強きを挫く

そんな傾奇者、前田慶次のように私はなりたい。


ちなみに前田慶次はほぼ私の理想像なのですが、私の中にも自分なりの理想像というものが有ります。それはあまりに抽象的で、なかなか言語化することが難しかったのですが、拙いながらも言語化してみました。ただ、抽象的で矛盾する人の理想を言葉でまとめるのは難しかったので、こちらはあくまで理想の一部です。
以下が私の理想(一部)です。

何者にも怯まず

自分以外の何色にも染まらず

ただ自分が正しいと思った道を真直ぐに進める人間

澱んでいる

2009-07-05 01:21:05 | 痛日記
少し前に会社の方々と飲み会を行いました。
メンバーは同じ部署の人が数人と、現場の作業者の方々。
飲み会の趣旨は現場の作業者が一人希望退職をするという事で、そのお別れ会。
ちなみにその退職される方は私と年齢が近い若い人。
会社の情勢が芳しくないので別の道を進むらしい。ただ、まだ就職先が決まっているわけではないそうだ。
最初にこれからどうするのかといった話をした後は主に会社へのぐちや、他人のうわさ話や陰口へと移行する。
退職金がいつ入るか分からない、会社の方針に納得がいかない、誰と誰の中が悪い、あの人が奥さんと別れてパートさんとくっついた、あいつの勤務姿勢が悪い等など。評論家気取りで批判否定を繰り返す。
くだらない。
評論家気取りで批判否定を繰り返す。くだらないと思うのは私だけなのだろうか?退職金の話は同情できる、システムを把握していない管理者に対して不満を感じるのも分かる。会社の方針も、今のこの情勢では不満が出るのは当たり前だと思う。でも不満ばかり言ってどうするのだろうか?少しでも良くするために自分で何か行動したのだろうか?方針の全てを把握して、それでも間違ってると断言できるのだろうか?正しい部分、自分に都合の悪い部分には目をつぶっていないか?誰と誰の中がどうとか、誰と誰が付き合ってるとか、心底どうでもいい。それが祝福や、心配する声ならいい。私もその話に加わってその人の為に祝い、または心配したいと思う。でもそれを馬鹿にしたり、見下したように語るのは何故だろう?噂好きなおばちゃんじゃあるまいし、下品にもほどがある。他人の評価にも疑問が残る。貴方はその人の業務すべてを正しく把握しているのですか?貴方は他人を否定できるほど完璧な人間なんですかと。
その話のほとんどが噂を元に語られているのがまた気に食わない。自分で確かめた情報がほとんどないのに何故そんなに語れるのだろうか?

いろいろ私もここでぐちを書いてしまいましたが、退職される方のこれからの成功を心から願っております。とても良い方でいろいろ面倒を見ていただきました。今職を探すのも大変だと思いますが、退職した事が吉と出るような人生だといいなと思います。
正直退職することが正解なのか、間違っているのか、私には分かりません。ただ少し羨ましいなと思います。あの人は決断でき、私は出来なかったからここに居る、そんな風に感じてしまいます。私はどうしたらいいんですかね?本当にそれが分からないから、もやもやした気持ちが抜けない、先の事が何も見えない。
きっと今必要な事は、何をするべきかではなく、何がしたいかという事なのでしょうね。でもそれが分からない。あまりにも漠然としていて道が見えない。
私には特別なギフトは無い。だからふらふらといろんな事を学び、いろんな事を経験した。才能がない分覚えるのに人より苦労したけれど、その分分解して噛み砕いて、整理して自分の中の力として蓄えることが出来た。その事に間違いがあったとは思わないけど、どの力もけして人並を超える事はない。何一つ極めることなど出来ず、極めることが無い為進むべき道なども無く、どこにも行く事が出来ずその場でたたずんでいるのがきっと私なのでしょう。

いろいろ書いて何が言いたいか分からなくなってきました。
まあ私は、流れる事が出来ず澱んでいる今の私をどうにかしたい、というお話でした。
そろそろ何か行動を起こさないと駄目になりそうですね。

歪み

2009-05-12 21:58:38 | 痛日記
適度に心の毒を捨てていかないと溢れそうになるのです。
基本ネガティブな人間なので。
という事で、いつも心の底にへばり付いているヘドロのような毒を吐いていこうと思います。


人生、幸せの形というのは数多くあると思うけど、実際どのようなものが幸せと呼べるのでしょうか?
成功したら幸せ、お金持ちになったら幸せ、等もあるでしょうが、私は本当に信頼のおける人間、友達、恋人、仲間といったような人たちと日々楽しく暮らせればこれに勝る幸せはないのではないかと考えています。
しかしそれらは容易く手に入るものでもなく、またそれを手に入れるための確実な手段等も有りはしません。
ならそれらを手にできなかった人間は幸せに生きていくことはできないのでしょうか?幸せになれないのなら何を目的に生きていけばいいのでしょうか?
それに対する答えが世の中には溢れていました。
幸せには生きれないかもしれないけど、楽しくないかもしれないけど、生きていく方法はあったのです。
自分に味方がいなかったとしても、世の中には敵がたくさん溢れています。敵さえいれば生きていけるのです。憎い敵、目障りな敵、殺したい敵、それらを倒すために生きることができるのです。
無関心が人を殺す。敵意しかなかったとしても人は生きていけるのです。

そう考えてしまう私は、人として致命的に歪んでいるのでしょうね。

そういえば

2009-04-06 22:50:32 | 痛日記
 そういえば今は入学式のシーズンなのね。
 私も去年の今頃入社したのか。もう一年、早いね。今年は反骨精神だけで走り抜けた1年だったような気がする。まあそのおかげで多少力は付いただろうけど。でもまだ力不足か。意地だけでは戦いには勝てんわな。
 負けたくないね~。