23.5センチの足跡 日本に帰ってきた

アメリカ留学→日本一時帰国→ウガンダでボランティア→日本で起業。そんな私の足跡を綴ります。

2月20日(ざーざ降り)

2010-02-24 17:13:27 | 日記
朝はずーっとざーざー降り。
よしよし、これで3日は水が止まらないですむだろう。

孤児院を訪ねる予定でしたが雨がひどいのでキャンセル。

夜に市内にでかけ、
少し安めのインディアンレストランで
ほぼUPA全メンバーで食事。

はい、今日はそれだけです。

2月19日(真実の大切さ)

2010-02-24 17:04:53 | 日記
朝にアイシャの小学校に行く予定でしたが、
まだ自分の中で答えが見つかっていなかった。
これ以上足を踏み入れるべきか、引くべきか。
とりあえず校長に今朝はいけないことを伝え、
ペーパーワークをしていた。

そしてまたUPAメンバーとアイシャの話をしていると、
彼も
「この国は嘘をつくのは当たり前でそれはもう文化なんだよ。
だからいいことをしてもだまされる、まさに
恩を仇で返すような国だよ。僕も嫌な経験をたくさんした。
その文化を覆すのは不可能だし、
彼女をカウンセリングする必要があるんじゃなくて、
それは君自信の願いじゃない?」
と厳しくコメントされる。
そしてクロも昨日私が母子手帳を確認したことに対して
君の役割はなんだと思ってるんだ?
その行動はすごい間違っているよと
厳しく言われた。
これ以上君が足を踏み入れたところで何ができる?
彼女を変えることは不可能だよ。
と言われ、私は黙るしかできなかった。

分かったと言って部屋に入り
涙が流れた。
彼らの言うことも分かるけど、
なんとなく私は諦めがつかなかった。
アイシャはまだ12歳。
校長もアイシャが彼女の将来を無駄にしないように
私たちがしっかりとしたケアーをしようという彼の熱意
も侮辱されたようですごく悔しくなった。
そして嘘がどんなにこの国の発展を遅らせているかを
改めて感じ、このままでは何も変わらないと感じた。

私はどうしたらいいか分からなくなって
私のことを良く知っている日本の友達に
電話をして相談にのって貰った。
私の気持ちを理解してくれたので
少し気持が楽になった。
そして同時に私はマザーテレサでない現実も
受け止めなくてはいけない。
今の私には全ての助けを受け入れるキャパはない。
長い目でみてBetterな答えを出していかなくては
いけないことを学びました。

気持が楽になったところで
校長から電話があった。
近くまで来ているから少し話そうと。
心配してくれていたみたいですね。

今日の他のボランティアスタッフからの
厳しいコメントの話をし、正直悩んでいていたことを話すと
校長は、
「彼らはアイシャのこの問題の一面も見ていないんだよ。
私はこの国で生まれ育ち、4校もの学校を建て、
生徒たちを見てきた。そして君は私と一緒に活動をして
たくさんの問題を一緒に見てきたはずだよ。
彼らよりも私たちの方がこの問題に関して
いい対処を出来ると思わないかい?」と自信を持って
言った校長。
そして母子手帳を見せて欲しいと言った事は
私は間違っていたかと聞くと
「君ははあの時真実を知る権利があった。
ここまでアイシャが君を騙そうとしたわけだから、
君の目で本当のことを確かめる必要があったはずだ」
と言ってくれた。
「この国は偽りだらけで政府はもっとひどい嘘をついているから
この国は発展していかないんだよ。
自国の政府は私の学校に1000シリング(50円)
も寄付しないけど、日本から来たあなたはこんなにムヨンジョを考え
寄付までしてくれる、それがこの国の現状だよ。
けれど私は本当のことしか言わないし、
真実と向き合う大切さを知っている。
アイシャにもそれを気付いて欲しい。
時間はもちろんかかるけど、少しずつこの国を
変えていきたいんだ。それには真実を伝え合うことが
必要なんだ。」
と、またもや感心というか感動するような言葉ばかり。
彼もたくさん騙されてきたという。
でもそこから目をそらしていたら何も進まないという校長。

一旦アイシャの問題から身を引こうと思ったけれど
校長と話をしてもう少し様子を見ることにしました。
彼の熱意も応援したい。

今回の件は私にとってとても重いできごとだけど
いい面でも悪い面でもこの国の人たちの
理解が深まってきている証拠だと
思います。
そしてこういった経験をできることに感謝をしたいと思います。


2月18日(アイシャの母親と対面)

2010-02-24 16:56:03 | 日記
学校は午後からだったので
いつものようにジョギングをしてから
授業の準備。
5、6年生に日本の産業について授業。
今年のクラスはなかなか鋭く、
たくさん質問がくる。
いいサインです。

授業の間電話が何度も鳴っていた。
アイシャなのは分かっていたので
授業が終わって電話を取ると
母親と今家にいるから来て欲しいとのこと。
怪我したとかなんとかいっているけど、
それよりも私は母親という言葉に?マーク。
母親は亡くなったはずじゃ?
とりあえず校長に言って
一緒に再度家を訪ねることに。
校長は他の予定があったらしいが、キャンセルまでして
協力してくれた。

家に着くとアイシャがにっこり笑って家に通してくれた。
とても大きくて家具もしっかり揃っている家だった。
5分ほどリビングで待っていると
若い妊娠した女性が出てきた。
母親か?
ルガンダ後で校長と彼女が話をし始める。
私が、「あなたはアイシャの母親ですか?」
と聞くと彼女はうなずいた。
そしてアイシャに「あなたの母親は誰?」
と聞いても何も答えない。
「あなたの夫と娘さんからあなたが亡くなったと
聞いてます。」と正直に伝えた。
もう私は何が偽りで何が真実が分かりません。
家族関係に問題があるのは分かるけど、
親子を目の前に本当の親子か分からないなんて
悲しすぎます。
本当のことが分かれば私の学校の寮に入れられると言っても
アイシャからは反応なし。
学校に行かせたいですか?行きたいですか?
と聞くと二人ともうなずく。
どうしたらこのお母さんが本当のお母さんだって分かるの?
といったら母子手帳のようなものがあるという。
それ、良かったら見せてくれる?
と、かなり失礼な質問をしたが、ここまで来たらどうしても
確かめたかった。
いいですよと引き出しから出してきたノートを見ると
確かに彼女もそして父親も血の繋がった
両親だった。
アイシャ・・・。
よくも実の母親の前でこんなことができるものです・・・。
嘘のレベルが違う・・・。
とにかく学校に入れさせることは出来るけど、
この家族状況をしっかり把握しないといけないから
明日アイシャの小学校に行こうと
行って今回はアイシャの家を後にした。

ゲストハウスに帰りクロと
新しく来た30歳のドイツ人、キャスティンに
この話をすると、
「で、どうするの?まだ関わるの?」
と。
私としてはもう少し様子を見たいと
話すと二人はあきれている様子が分かった。
私が尊敬する2人なだけに
この反応には少し悲しくなった。
そして本当にどうしていいか分からない。

ウガンダには助けを求めている人はたーくさんいる。
嘘つきのアイシャを追いかける時間があったら
他の子を助けたほうがいいのかもしれない。
でも可能性はあるはず。
そして私のキャパも考えなくてはいけない。

は~~~


2月17日(ジンジャ旅行第2弾)

2010-02-24 16:45:28 | 日記
今日は2度目のジンジャ旅行。
チャールズ社長と校長とクロ、そして運転手の5人で
ジンジャのカラガラとブジャガルの滝を
見せてくれるという。
その前にパイナップル農場に連れて行ってくれた。
この農場ではヨーロッパのNGO団体が
ドライパイナップルを作る技術を教え、
農園を支援しているため、
規模は小さいが乾燥パイナップルが
作られていた。
農薬の使われていないパイナップルを天然干した
まさに天然無添加ドライパイナップル。
試食をさせてくれたので
味見。
そぼーくな味だけど私はかなり気に入った。
ウガンダのパイナップルは真面目にすごい
美味しいです。
南アジアで食べるパイナップルを超えます。
出来れば日本に持ち帰りたいほど。
乾燥していたら持って帰れる!!!
お土産に大量に持って帰ろうと思います。

そしてお待ちかねの滝。
あれ?滝というより濁流。
落ちたら命はないと思います。
ナイル川、自然の力はやはり偉大です。
途中でナイル川から釣れたての
魚をまたまた購入。
贅沢な旅です。

帰って早速魚を焼いて夕飯に。
うまい!!!!

チャールズ社長、ありがとう!!


2月16日(信頼関係そしてチームワーク)

2010-02-24 16:35:14 | 日記
今日は7時半に最初のクラスがある日。
眠い目をこすりながら学校に行った。
昨日の夜は遅くまで宿題の採点をしていたので
ちょっと疲れていました。
宿題の内容は冬休みの思い出のエッセイ。
2ヶ月間の休みの間生徒が何をしたのかとても興味があったので
英語力試しも兼ねてこの宿題を出した。
大体の生徒は家族と家で過ごし、親戚に会い、
ビクトリア湖に旅行に行った話が多かった。
そして新しいノートとバックを買ってもらった
というコメントも多かった。
そして次に多かったのが親戚の死。
5人に1人くらいの生徒が、叔父や叔母、そして母親を亡くした
と書いてある。
私がウガンダに来てから知り合いや知り合いの親戚が
亡くなったケースはかなり多い。
やはりこの国は死と隣りあわせだとふと感じました。

放課後トウモロコシプロジェクトと今後の
活動について話し合うため
校長、ジュリエット、そして代表生徒を集め
ミーティングをした。
今回トウモロコシ畑の募金で集まった金額は
15万円相当近く。
生徒は思わず拍手。
協力してくれた人たちの人数は30人以上。
生徒も校長たちから拍手が起こる。
私1人の寄付から始まったこのプロジェクトが
今は30人もの支援を受けている喜びはやはり大きい。
そして私の親戚の団体がムヨンジョに継続的な
支援を提案してくれていることを伝えると
さらに拍手。
シンプルな企画書を出したいから
支援金を何に当てるか話し合う。
今回の募金でトウモロコシ畑は数年継続するに
十分な金額です。その後は学校の資金でやっていけるはずなので
もし新たに支援金を受け取れるのであれば
本を買いたいと言う。
これには私も賛成です。
給食の次に学校に大切なのは本、教科書です。
学校が使っている教科書は1990年代より前の
物が多い。
そしてもちろん生徒は教科書などありません。
読書用の本もあれば嬉しいという校長。
もし、この案が通ったらかなり前進します。
ムヨンジョの将来はきっと明るい!!
と先生と生徒を励まし解散。

すると代表生徒のジミーが私を大通りまで送りがてら
こう言った。
「先生、実は先週からムヨンジョから別の学校に
転校しようと思っていたんだ。今年度、僕の友達はみんな
ムヨンジョを去っていた。先生が気に入らなかったり
次の学年に上がれなかったから。そんな友達の意見を聞いてて
僕もムヨンジョを去ろうと思った。でも先生が今日ミーティング
があると言っていたのでちょっと判断を待つことにしたんだ。
そして今日のミーティングで答えが出た。
この学校に希望があること、
そして先生たちが学校のことをしっかり考えていることが分かった。
だから僕、ムヨンジョに通い続ける。
それだけ、じゃーね!!」と去って言った。

いきなりこの学校で一番積極的なジミーの口から
転校と聞き驚いたが、彼もまだ若い。友達がいきなり
いなくなったら彼だって気持が揺らぐだろう。
それでも今日のミーティングでムヨンジョに残ることに
決めたという彼の答えに私はただ嬉しかった。

このプロジェクトメンバーとは特別な
関係を築けていると思います。
信頼関係をはじめ、一緒に協力し
励まし合うチームワーク。
4年間過ごしたアメリカでも築けなかったこの感覚。
ウガンダで築きつつあります!