23.5センチの足跡 日本に帰ってきた

アメリカ留学→日本一時帰国→ウガンダでボランティア→日本で起業。そんな私の足跡を綴ります。

1月28日(後半の目標)

2010-01-29 19:08:25 | 日記
朝はシャーロットとジョギングから始まった。
実は1ヵ月後にはタンザニアでキリマンジャロマラソン
を控えています。
どこまでマラソン好きなんだという感じですが
キリマンジャロを走るなんてとても贅沢だと思って
今回は5キロを遊びで走ることに。

そしてちょっとゲストハウスの別部屋を借りて
ペーパーワークをした。
学校が来週から始まるので
この休み中の進展と今後の予定のアジェンダを作成しました。
そしてトウモロコシ畑の支出表をエクセルで作成。
さらにウガンダ生活も半分切ったので
悔いのない3ヶ月にするように
学校のプロジェクトのゴールとは別に
個人的なゴールを改めてざっと10点書き留めた。


1. 出来るだけたくさんの人と交流を深めウガンダの文化の理解を深める。
2. 学校のスタッフと生徒といい関係を築き信頼関係を深める
3. 帰国後の進路をしっかりと決める。
4. ムヨンジョ学校のスタッフとプロジェクトのモニタリングシステムを築く
5. ルガンダ語で少し会話が出来るようにする
6. 心身ともに強くなる
7. やらなくてはいけないこと、やろうと思ったことを後送りしない癖をつくる
8. 今後の活動や仕事のことを考えネットワークを広げる
9. 自分の身の回りのマネージメント力の強化
10. 日記を毎日書き続ける。

以上。

残りの3ヶ月後悔しないよう、
毎日を充実させていきたいと思います。

にしても3日坊主の私が
よく日記を毎日続けているものです。笑

写真は昨日の孤児たちです。









1月27日(トウモロコシ、ついに実る)

2010-01-29 18:39:03 | 日記
今日は久しぶりにトウモロコシ畑に
モニタリングに行った。
代表生徒を連れて学校に行くと、
校長はある孤児院を訪ねたいというので
ついていくことに。
その孤児院から16人の生徒が
今度ムヨンジョに入学するらしい。
学校から歩いて10分もしないうちに
大きな門が見えた。
ジョギングの時に通り過ぎるけど
こんな大きな家があるのに気付かなかった。
中に入ると赤ちゃんから10代後半の子どもたちが
掃除をしていたり、レンガを積み上げて仕事をしていた。
ものすごい大きな敷地だ。
中に通され挨拶を交わしたのは
多分60代後半の優しそうなオランダ人のおじいさん。
ペラペラのルガンダ語で校長と生徒と会話をしている。
それもそのはず、ウガンダに住んで40年が経ったと言う。
紛争が続いていた頃から彼はウガンダで
孤児の世話をしていたらしい。
本業は哲学の教授。そして
カトリック教会の牧師でもあるという。
結婚もせず、彼の全ての愛情は貧しいウガンダ人に
注がれていたようです。

私たちの学校に生徒を送ってくれたお礼を言い、
少し世間話をした後施設を案内してくれた。
ここには120人近い孤児たちが住んでいて、
ある時は生後3時間の赤ちゃんも預かったことがあるという。
ベッドの数も半端ない。
たくさんスタッフがいるわけでもなく、子どもたちが
助け合って家の仕事をし小さな子どもたちの世話もしている。
NGOの孤児院として出なく、普通の家族と登録されていて、
家の主の    は「私は100人以上子どもがいるんだ」
ととても幸せそうに話をしてくれた。
歩いていると小さな子どもたちが私にわっと着いてくる。
かわいいな~

そんなかわいい子どもたちに別れを告げ、
トウモロコシ畑に向かった。
着いてビックリ!
トウモロコシは穂をつけ、そして
実もなり始めていた!!!
あまりの早い成長に驚いた。
が、畑の中に入り、観察をしていると
真ん中あたりのトウモロコシの成長が
悪いのに気付いた。
聞くところによるとたぶんもうこれ以上
成長しないとか。
最後に種を植えた部分だ。
少し遅く植えたため、乾期が来て枯れ始めてしまったようだ。
3分の1が駄目になってしまっていた。
初めの年なので文句は言えない結果だと、
校長は少し渋めの顔で現実を受け止めた。
そして今日は土地を寄付してくれた
生徒のお父さんと来ていたため、
近くにある彼のお兄さんの家を訪ねた。
最近日中はとても暑く、山を登り降りするのは
結構大変だった。
そして畑にランダムに育っていたマトケを
収穫したのでそれをバックにつめ
持ち帰ることに。さて、どう料理しようか・・・。

畑の後はネットカフェに行き代表生徒にパソコンを教えた。
この前メールアカウントりメールの受送信を教えたので
今日はファイルの添付、保存、
マイクロソフトワードの練習をし、
スカイプのアカウントも作った。
これで私が日本に帰っても
コミュニケーションできます。


1月26日(24歳の孤児院ディレクター)

2010-01-29 18:23:10 | 日記
今日はハナのプロジェクト先の
孤児院に見学に行かせてもらった。
ウガンダにはおよそ350万人の
孤児がいると聞いています。
そのうちの120万人程度しか
孤児院で預かられていないらしい。

実はウガンダで初めての孤児院訪問。
ゲストハウスからマタトゥで15分くらい
行き、メインロードから15分くらい丘を上がった
ところにある一軒家が孤児院だった。
ゲートをくぐるとすぐに
孤児たちがわーっとハグして
迎えてくれた。なんてかわいいんだ。
現在は16人の男の子だけがこの孤児院に住んでいる。
年齢は8歳から17歳。
みんなとてもしっかりしていて
マナーのある子達だった。
掃除をせっせとして水くみに行き、
そしてチョーク作りに励んでいた。
このチョーク作りはお金を集める方法のひとつ。
ハナの集めた募金で買った機械を使い
子どもたちは慣れた手つきでチョークを作っていた。
「いつこのプロジェクトを始めたの?」
と聞くと、
「昨日から」
!?
にしては随分たんたんとこなしていてびっくり。
チョークが乾く間子どもたちと会話をしていると
「こんにちは」
「おはよう」
「私の名前はジェシーです」
「コマネチ」
と日本語を連発する子達。しかも
コマネチ!?
なんか変な映画を見たみたいですね。笑

そして孤児院のディレクターが帰ってきたので
挨拶をしてびっくり。
若い!
見た目20歳。
実の年齢は24歳。
彼が一人でこの孤児院を築いたらしい。
いつからどうやって孤児院を始めたのか
聞いてみると彼は経緯を
ざっと話してくれた。
彼も10歳の頃に父親を亡くし
義母に育てられたが関係がうまくいかず、
15歳の頃から3年間ストリートチルドレンの
暮らしをしていたらしい。
そしてスポンサーを見つけ学校に行き始め、
20歳の頃には小さな小屋を建てて
孤児院を開いたらしい。
しかし近所の人や自治会に追い出され、
何回か場所を変えながら転々とし、
今この一軒やを借りて落ち着いたらしい。
とても自信があって、はっきりとした
目標を持っている。
こんなに若いのにたくさん責任を背負って孤児院を
運営している彼をとても尊敬した。
少し負けず嫌いな強い性格も出ているが、
ここまで一人でやってきた背景から見ると、
そのくらい強い性格でないとたぶんここまで
出来てないだろう。
そして今年中には3階建ての施設を建て、
学校と寝室とクリニックを中に入れたいと
とても大きなゴールをまっすぐに伝えてくれた。
資金は500万円相当。
今の状況からは考えられない金額だが、
それでもなんとか集めるんだと彼のアイディアを
共有してくれた。
とても頭の切れる人だ。
そしてまっすぐ自分の目標に力を注げば
周りや結果も着いて来ると信じている。
私はすぐに答えを出す人ではないが、彼の熱意に応えたくて、
週に何回か時間を見つけて
英語を孤児たちに教えることにした。

彼自信もとても過酷な人生を送ってきてる。
そして孤児たちがどんな思いか一番良く知っている。
こんなに若いのにしっかりNGOを立ち上げ
Websiteもつくり、スポンサーも集めやりくりしている
彼に私はとにかく尊敬するばかり。

年齢は関係ない。
目標への熱意としっかりとした
判断をしていけばできないことは
ない。といった彼の姿勢に
私もものすごく刺激された。

そして彼の思いは、子どもたちの目を見れば
反映していることがすぐに分かる。
だから残り3ヶ月しかないけど、
少しでも役にたちたいと思いました。


1月25日(アフリカを遠く感じた日)

2010-01-29 17:46:26 | 日記
朝に
「校長が畑のことでまじめな
話があるからすぐに学校に来るように」
とエフランスからメールが来て
畑に何か問題があったのかと
急いで学校に向かった。
学校に着くと校長は
刈った芝を片付けていた。
校長のような地位のある人が
汗をかいて労働をするのは
アフリカではとても珍しいことです。
校長がどれだけ学校を愛してるかを
こういった行為からみることができます。

早速畑のことを聞くと、
「うん、順調だよ。
ちょっと暑い日が続いてるけどね」
とあっさり。
なんだ。問題なくて良かった。
そして来週学校が始まるにあたり、
今後の動きを少し確認した。
前学期に校長に学期予定表を作成するよう
アドバイスをしていたので、
手書きではあるけど予定表を
渡された。さすがだ。
これをパソコンで打ち直し、
生徒に配ることにした。

学校のことだけではなく、
少しビジネスの話も進めた。
実は最近本気でNPOと企業のコラボを
この学校で実現したいと考えています。
今ウガンダにいるうちに
アイディアを共有していきたいと思っています。
そして日本に帰り仕事をし、勉強をし、
準備が出来たら活動を開始する予定です。
まだこの先どんな人と出会い、何があるか分からないけど、
できたら今の活動を将来に繋げたいと思います。

そして午後にネットカフェに行きメールを
チェックし、母親からの知らせで
祖父が亡くなったことを知りました。
アフリカに出発する前に
覚悟はしていましたが、自分が日本にいれなかったことが
やはり悔しかったです。
祖母が「海外に悪い知らせは届けないように
一生懸命頑張るわ。だからあなたもお父さんも
早く日本に帰って来てね」
と私の前で初めて泣いてそう言った祖母を
思い出し、とても複雑な気持ちになりました。
父はオーストラリアから急遽日本に戻りましたが、
私はアフリカというのもあり、
お葬式にも欠席することになりました。
遠くから祖父に祈りを捧げることしか出来ない
ことを思うと、アフリカの遠さが身に染みました。



1月24日(アフリカンコンテンポラリーダンス)

2010-01-29 17:19:40 | 日記
昨日の夜、メンバーの何人かがコンテンポラリーダンスを
を見に行き、すごい良かったというので
今日の夜私も見に行こうと予定を立てていました。
するとブレイクダンサーの友達から
今日が最後のショーだから良かったら来てみてと
メールが届いた。
多分同じショーだと思い
市内にある唯一の劇場に向かった。
観客はほぼ白人。
実はこのダンスグループは東アフリカの
社会問題をダンスで表現し
ヨーロッパにもツアーに行くような
プロダンサー達。

幕が上がりショーが始まった。
照明や音楽は技術不足な感じがとってもしたが
ダンス自体はとてもレベルが高い。
さすがアフリカ人。
そして彼らの鍛え上げられた肉体美に
思わず見とれてしまった。
しかも私の友達は中でも一番うまかった!
音楽やステージのセットがもっと良かれば
かなり感動的な演出。
ウガンダ人がこうやってアーティスティックな
演出が出来るのはちょっと意外でした。
説明はしにくいですがこっちの人の感情表現や思考は
ちょっと普通じゃない。
ダンサーの友達も普通に会話を出来る人だから
私の少ない現地の友達の一人。

こっちの人は声をかけてくるのはたいてい
お金目当て。
それかただムズングの彼女が欲しいだけ。
実は現地の友達多くありません。
悲しいですが、利害関係なしに
友達をつくるのはここでは本当に大変なこと。

ただUPAのメンバーとは本当に
いい友達関係を築けているので満足です。
ショーが終わった後
フィンランド人のハナと話をして
彼女のことをもっと理解できるようになりました。
フィンランドはヨーロッパのひとつですが、
南ヨーロッパと違って実は性格はアジア人に近い。
個人主義ではなく他人のことを考え、
本音と建前を弁えてる人が多いらしい。
そういった北ヨーロッパ(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、
アイスランド、そしてフィンランド)の人々を
スカンディナヴィアと呼ぶらしい。
ヨーロッパはヨーロッパでも
文化はかなり違うようです。

ウガンダに来て、ヨーロッパを学ぶ。
これもまたいい勉強です。