福岡県朝倉市の麻氐良山(まてらさん)には麻氐良布神社(まてらふじんじゃ)が鎮座しています。
麻氐良布神社
[所在地] 福岡県朝倉市杷木志波5458(地図)
[経緯度] 北緯33度22分39秒/東経130度46分8秒
[御祭神]
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉册尊(いざなみのみこと)
月夜見尊(つくよみのみこと)
天照大御神(あまてらすおほみかみ)
素盞嗚尊(すさのをのみこと)
事代主尊(ことしろぬしのみこと)】
天照國照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)
齊明天皇(さいめいてんのう)
天智天皇(てんちてんのう)
明日香皇子(あすかのみこ)【筑紫君薩夜麻(つくしのきみさちやま)】
日本書紀に「齊明天皇【天豐財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)】7年(661年)5月9日、天皇が朝倉にお移りになったとき、朝倉社(あさくらのやしろ)の木を切りはらって、天皇のお住まいの宮殿【朝倉橘廣庭宮(あさくらのたちばなのひろにはのみや)】を造営したので、雷神が怒って宮殿を壊し、宮殿内に鬼火が現れ、大舎人や天皇の近侍も病死する者が続出した。」と記される「朝倉社」は麻氐良布神社とされています。
五月乙未朔癸卯天皇遷居于朝倉橘廣庭宮是時斮除朝倉社木而作此宮之故神忿壞殿亦見宮中鬼火由是大舎人及諸近侍病死者衆
【五月乙未(きのとひつじ)朔癸卯(ついたちみづのとう)、天皇(すめらみこと)朝倉橘廣庭宮(あさくらのたちばなのひろにはのみや)に遷(うつ)り居(うつ)します。この時に朝倉社(あさくらのやしろ)の木を斮除(きりはら)ひて、この宮(みや)を作(つく)る。かれ神(かみ)忿(いか)りまして殿(おほとの)を壞(こほ)つ。また宮中に鬼火(おにび)見(あらは)れき。これに由(よ)りて大舎人(おほとねり)及び諸(もろもろ)の近侍(ちかくはべるひと)、病(やみ)て死(まか)れる者(もの)衆(おほ)し。】
~『日本書紀 卷廿六』~
同年7月24日に齊明天皇も朝倉橘廣庭宮で崩御され、8月1日に皇太子【中大兄皇子(なかのおほえのみこ)。後の天智天皇《天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)》】が齊明天皇の喪をつとめ磐宮(いはせのみや)に戻られた宵に、朝倉山の鬼が大笠を着けて喪の儀式を覗いていた」ともあり、「朝倉山」は麻氐良山に連なる山々といわれています。
秋七月甲午朔丁巳天皇崩于朝倉宮
八月甲子朔皇太子奉徙天皇喪還至磐宮是夕於朝倉山上有鬼著大笠臨視喪儀衆皆嗟怪
【秋七月甲午(きのえうま)朔丁巳(ついたちひのとみ)、天皇、朝倉宮(あさくらのみや)に崩(かむあが)りましき。
八月甲子(きのえね)朔、皇太子(ひつぎのみこ)、天皇の喪(みも)を徙奉(ゐまつ)り、磐宮に還(かへ)り至(いた)る。この夕(よひ)に朝倉山(あさくらやま)の上(うへ)に鬼あり。大笠(おほかさ)を著(つ)け喪儀(みものよそほひ)を臨視(のぞみみ)る。衆(ひとびと)皆(みな)嗟怪(あやし)ぶ。】
~『日本書紀 卷廿六』~
麻氐良布神社の別当寺の普門院(ふもんいん)から柿農園を抜けるように歩くと、麻氐良山が見えてきます。
上宮の階段のすぐそばには「十九社」の祠があります。「十九社」とは、延喜式に記される神社のこと。上座郡の小社「麻氐良布神社」を除く10社がお祀りされています。
宗像郡四座並大
宗像神社三座 並名神大
織幡神社名神大
那珂郡四座並大
八幡大菩薩筥崎宮名神大
住吉神社三座並名神大
糟屋郡三座並大
志加海神社三座並名神大
怡土郡一座小
志登神社
御笠郡二座並大
筑紫神社名神大
竈門神社名神大
上座郡一座小
麻氐良布神社
下座郡三座並大
美奈宜神社三座並名神大
夜湏郡一座小
於保奈牟智神社
~『延喜式 卷第十』~
麻氐良布神社上宮や参道(登山道)は、木漏れ日にあふれ、清らかな風が吹き、日・月・星の神聖な気があふれているような場所でした。ぜひ一度、訪れてみてくださいね。
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