結禾の散歩道 ~Yufunogi-no-Sanpomichi~

自然の「めぐみ」、「つながり」に「ありがとう」を伝えたい。自然、風景、日常の事など自由気ままに掲載させていただきます。

織幡神社 【筑前國宗像郡】

2010年01月30日 01時15分48秒 | 神々&祭り

 宗像大社邊津宮(むなかたたいしゃへつみや)から北に約6㎞の所に位置し、鐘ノ岬(かねのみさき)佐屋形山(さやかたやま)小屋形山】に鎮座する織幡神社(おりはたじんじゃ)鐘崎の地名譚に関係する巨石が参道にあります。


織幡神社の拝殿
 
織幡神社の本殿と参道入口

織幡神社
 [所在地] 福岡県宗像市大字鐘崎字岬224番地 (地図
 [経緯座標] 北緯:33度53分15.83秒/東経:130度31分31.95秒
 [御祭神]
 (中座)
 武内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)
 (西座)
 住吉大神(すみよしおほかみ)三柱
  ・底箇之男神(そこつつのをのかみ)
  ・中箇之男神(なかつつのをのかみ)
  ・上箇之男神(うはつつのをのかみ)
 (東座)
 志賀大神(しがおほかみ)三柱
  ・底津綿見神(そこつわたつみのかみ)
  ・中津綿見神(なかつわたつみのかみ)
  ・上津綿見神(うはつわたつみのかみ)
 (相殿)
 天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)
 宗像大神(むなかたおほかみ)三柱
  ・田心姫神(たごりひめのかみ)
  ・湍津姫神(たぎつひめのかみ)
  ・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
 香椎大神(かしひおほかみ)二柱
  ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)【帶中日子天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
  ・神功皇后(じんぐうこうごう)【息長帶比賣命(おきながたらしひめのみこと)
 八幡大神(はちまんおほかみ)
 壹岐眞根子臣(いきまねこのおみ)

 さて、織幡神社の御由緒は…

金崎織幡大明神者、本地如意輪觀音、垂迹者、武内大臣乃靈神也。神功皇后三韓征罰之時、織赤白二流之旗、被付當神宗大臣之御手長。故神明埀迹之時得織幡之名字也。爲襲來之海路守護、海邊タマエリ
【金崎(かねさき)の織幡大明神は、本地を如意輪觀音(にょいりんかんのん)、垂迹(すいじゃく)は、武内大臣の靈神(みたま)なり。神功皇后、三韓征罰の時に、赤白二流の旗を織り、この神、宗大臣(むねのおほおみ)の御手長(みてなが)に被付(おひつ)けたまひき。ゆゑに神明埀迹の時も織幡の名字を得たりき。襲來の海路を爲(し)て守護(まも)り、海邊(うみべ)に居(ゐ)たまえり。】
~『宗像大菩薩御縁起』~

 これによると、「織幡」の社号は、神功皇后【息長帶比賣命】の三韓出兵の時に、「赤白二流之旗」を織り、武内宿禰命がそれを宗大臣【宗像大神】の「御手長(みてなが)」【旗竿。「異國征伐御旗杆」。宗像大社の神璽】に取り付けたことに由来し、海路守護の神、異国襲来守護の神として今も鐘崎の海辺に鎮座しています

 
武内宿禰命が仲哀天皇を偲んで植えたイチョウの末裔

 「御手長」に取り付けられた「赤白二流之旗」は、壹岐眞根子臣が三韓へ向かう船の前陣で、振り上げ、振り下げして翻弄し、その「御手長」を「息御嶋(おきみしま)」【現・宗像市の沖ノ島】に立て置いたと伝えられ、織幡神社は、この時の「赤白二流之旗」を祀る神社です

 以来、壹岐國(いきのくに)【現・長崎県の壱岐】の壹岐真根子臣の子孫がこれを祀り伝えているそうです。因みに壱岐の天手長神社【天手長男神社・天手長比賣神社】の社号は、この「御手長」に由来していといわれています

 また、「鐘ノ岬」・「鐘崎」の地名譚ですが…。昔、三韓から二丈八尺【約5m。明治以降の規定では約8.5m】の釣鐘を船に乗せて「鐘の(かねのせ)」【鐘ノ岬の沖】まで来た時に、龍神があらわれて、この釣鐘を欲しがり、俄(にわ)かに風波が起こり、釣鐘は船とともに海底に沈んだので、「鐘ノ岬」・「鐘崎」というそうです。古くは、「金崎」とも記されていました。


織幡神社の境内に差し込む太陽光

 文明5年(1473年)、宗像大宮司71世の興氏が、この鐘を引き上げようとして、多くの船を浮かべ、海人(あま)を海に入れて、釣鐘に大綱をかけて、船の上から車木(滑車)を使って引きましたが、この時、強い風雨に会い、海上がおびただしく震れ動いたので、釣鐘の引き上げは果たせなかったそうです

 また、黒田長政(くろだながまさ)が慶長9年(1600年)、菩提寺の崇細寺に、この釣鐘を寄進しようと企て、暴風が吹いた時に備えて、織幡神社近くの京泊に石を集て、大舟をつなぎ、釣鐘を引き上げようとしました。しかしながら、この時も俄に激しい風雨が止まず、船は破け綱も切れて失敗…

 その後、黒田光之(くろだみつゆき)、黒田綱政(くろだつなまさ)が、釣鐘を引上げようとしましたが、やはり失敗…。釣鐘の龍頭が砕け海底深くに沈み、大波が田畑や民家を襲ったそうです。この時、大波に浮び上がったと伝えられる「翁の面」が宗像大社に奉納されています。

 さらに、大正8年(1919年)に山本菊次郎氏によって釣鐘と思われる大きな石が海底から引き上げられました。黒田光之、黒田綱政の時代に投げ入れられた大石か、釣鐘そのものか…。今も釣鐘は海底か…。「沈鐘伝説」のロマンがここにあります。


「沈鐘伝説」の釣鐘?

 この釣鐘のある海上で雩(あまごひ)【雨乞】の神事をする時、御幣を海に沈め、その御幣が水面に暫く立った時は、必ず雨が降るとも伝えられています。

 

 織幡神社から眺める海の景色もとっても綺麗です。龍神さまが住むという海。なんだかいつも神秘的な光を感じさせてくれます



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