鉄道模型のワイズ模型店ブログ

MICRO ACE 2025年以降 新製品 のご案内!

 今回は、MICRO ACE 2025年以降 新製品 ED71 16号機/47号機 シールドビーム・161系 特急 「とき」・クモユニ81001 湘南色 大垣電車区・DE10 1511号機 JR貨物中央研修センタータイプ/1701号機 シルフィード色・105系0番代 「懐かしの105系カラー」・485系 「シルフィード」・オシ16 2006 青のご案内でございます!

 台風1号が接近中です。離れていましても油断なされないように最新の情報にご注意くださいませ。

 ご予約商品の商品情報を更新いたしました!

 今回は、MICRO ACE 2025年以降 新製品 のご案内でございます!

A0142 ED71 16 一次型 シールドビーム
A0143 ED71 47 二次型 シールドビーム
A0800 161系 特急 「とき」 9両セット
A1174 クモユニ81001 湘南色 大垣電車区
A1444 DE10 1511 JR貨物中央研修センタータイプ
A1445 DE10 1701 シルフィード色
A1884 105系0番代 「懐かしの105系カラー」 2両セット
A3953 485系 「シルフィード」 3両セット
A9339 オシ16 2006 青

 MICRO ACEからも久しぶりにED71が登場いたします!

A0142 ED71 16 一次型 シールドビーム
A0143 ED71 47 二次型 シールドビーム

 国鉄ではかねてより全国の主要幹線の電化を促進していましたが、地方線区においてはより低コストな地上設備で電化可能な交流電化方式を採用することとなりました。交流電化方式では車両側で交流から直流への変換を行う必要があり、様々な方式による比較検討が行われた結果、1959年より東北本線初の量産交流機関車として製造されたのがED71です。
 ED71は、北陸本線向けED70に続いて1959年に登場した交流50Hzに対応した、東日本地区専用の交流電気機関車です。交流から直流への変換に水銀整流器を用いる方式が採用され、定格出力2,040kW、定格引張力16,500kgを誇ります。
 55両が製造され、一次型の1~44号機(内1~3号機は試作車)と二次の45~55号機に区分されます。後期型とそれ以前では外観上は側面ルーバーの配置や屋根上配管に差異があります。
 登場後、福島機関区に配置され、東北本線の交流電化の進捗に大きく貢献しました。
1961年に仙台まで電化開業した際には黒磯~仙台間のほぼ全ての客貨牽引の運用を担っており、20系ブルートレイン「はくつる」や重連での1000t貨物列車の牽引などその活躍は多岐に渡りました。

 2次形は、1962・1963年に製造されたグループで、45~55号機が該当します。
 クリル式駆動装置を半吊り掛け式に変更し、車体側面のルーバーの形状を変更しました。

 その後、東北本線は、電化延伸が続きましたが、標準型として登場したED75が主力となり、ED71は、整流器の凍結の心配もあり、運用区間は東北本線 黒磯~小牛田間に限定されることとなり、寝台特急の牽引もED75に譲ることとなりました。
 後に、テールライト変更(正面運転席側のみ外はめ式に)・1970年以降、水銀整流器のシリコン整流器へ変更・1977年以降、ヘッドライトのシールドビーム2灯化などの改造が順次行われました。
 その後もED75増備で、活躍の場が狭められ、末期には、黒磯~福島間の旅客列車牽引や、福島~白石間上下貨物列車・福島~金谷川間上り貨物列車の補機運用などで活躍を続けていましたが、東北新幹線開業に伴う東北本線の運用の変更や老朽化などで、1982年11月に運用離脱して引退し、廃形式となりました。

 往年の東北本線南部を再現するのに欠かせないED71を約20年ぶりに生産いたします。
 ヘッドライトは、点灯式です。
 前後とも、運転席側のテールライトが外はめ式に改造された姿を実物に即して再現いたします。
 誘導員手すりを別部品化し、解放テコを取り付けてグレードアップいたします。
 ヘッドライトは電球色LEDで点灯いたします。

 16号機 一次型 シールドビーム
 A0140 ED71 4 1次型(2005年1月出荷)を基にしたバリエーション製品です。
 シールドビーム2灯化改造が行われた前面を新規作成いたします。
 田の字に配置されたルーバーを持つ側面、屋根上配管の差異などA0143ED71 47号機とは作り分けます。

 47号機 二次型 シールドビーム
 A0141 ED71 45 2次型(2005年1月出荷)を基にしたバリエーション製品です。
 後期型では少数派だったシールドビーム2灯化改造が行われた前面を新規作成いたします。
 ルーバーと採光窓が横一列に並んだ側面、屋根上配管の差異などをA0142:ED71 16号機と作り分けます。

◇ ご注意 ◇
 部品共用のため一部実車とは異なる部分があります。
 ライトスイッチは搭載しません。
 テールライトは点灯しません。


オプション
室内灯 非対応
カプラー 非対応

 是非、交流区間でのED75や、ED78・EF71などとと共に各種客貨車列車の先頭として、485系や583系・455系を始めとする電車や、交直地上切り替えの黒磯駅でのEF58やEF65などの直流機との並びなどをいかがでしょうか?

 上越連絡の初代「とき」161系が登場時の姿で登場いたします!

A0800 161系 特急 「とき」 9両セット

 国鉄では長距離優等列車の電車化という世界に類を見ない試みを1958年のモハ20系(のちの151系)で成功させ、東海道線の昼行特急は続々と151系で運転されるようになっていました。また派生系列の準急型モハ91系(153系)や日光線向け抑速ブレーキ付特別準急用157系などの登場により、一躍電車王国としての地位を確立した国鉄では、次の課題として太平洋側と日本側を最短距離で結ぶ、上越線における特急電車運転を研究することになりました。
 当初は151系を編成短縮の上で投入する計画でしたが、連続勾配区間において主電動機の熱容量を超過するなどして試運転列車が立ち往生した結果を受け、151系の車体と157系の電装品を組み合わせた設計の新系列161系が誕生し、1962年から待望の特急「とき」として田町電車区に配置されデビューしました。
 161系はわずか 15両のみが登場した少数派でしたが、1965年以降は出力強化、歯数比変更などで181系化され、151系の転用グループ・181系新製車とともに長らく越後路で活躍する姿が見られました。181系では、161系改造車は、40番台となりました。
 このため、161系としては、1965年に形式消滅しました。
 161系は、9両編成と予備車6両の構成で運用されていました。降雪時の前方視認性向上や田町電車区での151系との識別のため、ボンネットに赤帯が入れられました。
 1964年に東海道本線での第一富士脱線事故対応のため、157系との混成編成での運転などもありました。
 1966年に、中央東線「あずさ」充当のため、低床トンネル対策として、クハ181は、運転台屋根上前灯・補助警笛・マーカーランプが撤去され、モハ181・モロ181のパンタ折り畳み高さを低下させる改造が施工されました。

 製品は登場直後の9両編成で、運転室屋根上のヘッドライトやマーカーランプなど、晩年の上越線181系とは異なる魅力に溢れています。

 特急「とき」は、上野~新潟間東北本線・高崎線・上越線・信越本線経由の特急列車です。
 1962年に、161系により1日1往復の運転が開始されました。配置区は田町電車区です。
 1964年に、東海道新幹線開業に伴い余剰となった151系が181系0番台に改造され、「とき」増発に充当されました。
 1965年に161系が181系40番台に改造されました。
 1967年に、上越線完全複線化が完了し、スピードアップが図られると共に一部列車の東京乗り入れが開始されました。
 1969年に、「とき」用編成は運用移管が行われ、田町電車区から新潟運転所へ転属しました。
 1970年に、急行「佐渡」からの格上げが始まりました。
 1972年に、増発と自由席車の設定開始と、エル特急指定が行われました。
 1973年に、東北・上越新幹線建設工事に伴い、東京乗り入れが終了しました。
 1974年に、183系1000番台の充当が開始されました。配置区は、新潟運転所上沼垂支所です。
 1978年に、181系使用列車における食堂車営業が終了しました。
 1981年に、在来線特急で初めて自由席車に禁煙車が設定されました。
 1982年に、上越新幹線開業に伴い、廃止となり、列車名は上越新幹線に引き継がれました。この際、183系1000番台の転属や、サロ181 1100番台の転用改造、181系の検査期限切れなどが重なり、幕張電車区所属の183系0番台の応援を得ても所要数が確保できず、一部列車での減車や列車そのものの運休なども発生しました。
 また、「とき」廃止に伴い、181系の定期列車としての運用も終了しました。

 多くのご要望にお応えし、161系電車がNゲージ完成品で久々に登場いたします!
ヘッドライト・テールライト・前面表示器は、点灯式です。
 A0802 161・157系 特急とき 9両セット(2005年4月出荷)を基に、161系で統一された編成をモチーフとした製品となります。
 モロ161・モロ160の扉脇の等級表示は「1」を印刷いたします。
 パンタグラフ脇の避雷器はカバーなしのLA15型を装着いたします。
 ヘッドマークは、白色透過素材製で、「とき/朱鷺/TOKI」を印刷済です。
 保安標記が車体に掲出される前、信号炎管が設置される前の姿となります。

オプション
室内灯 幅広室内灯(G0001/G0002/G0003/G0004)
カプラー マイクロカプラー 密連・黒(F0001)

 是非、165系「佐渡」や夜行「天の川」などの上越線優等列車や、EF58・EF15・EF16など、同時期に活躍した上越線の様々な車両と共にいかがでしょうか?

 クモユニ81の大垣電車区時代が登場いたします!

A1174 クモユニ81001 湘南色 大垣電車区

 戦後の運輸省鉄道総局では東海道線客車列車のラッシュ対策として高効率化を図り、世界でも前例の無い長距離列車の電車化に着手しました。従来は都市内や近郊輸送の手段であった電車に客車列車の車体と接客設備、新式のブレーキ装置などを組合せ、1949年に「湘南電車」として登場したのが80系です。

 塗装デザインは、警戒色として、オレンジの黄かん色とグリーンの緑2号のツートンカラーの「湘南色」が採用され、その後に登場した113系や165系にも引き継がれています。
 80系は、1958年までに、652両が製造され、東海道本線のほか、上越・東北・高崎・日光・信越・中央・身延・飯田・山陽線など幅広い区間で活躍しました。

 0番台の1次型車のクハ86は、正面3枚窓でしたが、1950年に登場した2次型からは、2枚窓の特徴的な姿となり、「湘南型」スタイルが確立する事となりました。
 100番台は、1956年に登場し、耐寒能力とシートピッチの拡大などが行われました。
 300番台は、1957年に全金車体を採用し、長距離準急運用運転にも対応した装備を有して登場しました。

 登場当初は初期故障が頻発しましたが対処が行われ、安定性が確保されると共に評価が向上しました。
 1950年からは、準急運転を開始し、1957年からは、東海道本線準急「東海」東京~大垣間・「比叡」名古屋~大阪間などの長距離運用にも投入されました。

 80系は速達性能と居住性から非常に好評を博し、1955年頃の東海道線東京口では、2等車を2両組み込んだ10両編成を基本に、付属5両編成と郵便・荷物電車のクモユニ81を連結した最大16両編成で活躍し、当時の電車列車としては世界最長を誇りました。80系電車の成功により、後の151系や新幹線の登場に繋がり、現在につながる日本の鉄道技術の発展に大きな功績を残しました。

 東海道本線を中心に長距離・長大編成で活躍を始めましたが、153系・111系などの後継車両の登場に伴い、地方線区への転用が1960年代に始まりました。これに伴い、1965年以降、サロ85の2等車サハ85への格下げ改造や、短編成化で不足する先頭車のためのサロ85・サハ87の先頭車化改造によるクハ85などが登場すると共に一部の車両は他の旧型国電との併結対応改造なども施工されました。

 また、1956年以降に更新修繕が、1973年以降にアコモ改善工事が順次施工されました。
 直流電化区間各線で活躍しましたが、新型車の投入に伴い、1983年までに営業を終了し、1985年に形式消滅しました。

 クモユニ81は、1950年に6両が製造された80系用の郵便・荷物電車です。当時の郵便・荷物電車が老朽化した旅客電車の改造によって賄われていた中では異例の新造車で、前面形状や塗装を含む外観デザインは、80系(2次型)と揃えられました。
 田町電車区に配置され、1955年頃の東海道線東京口では80系電車が10両編成を基本に、付属5両編成とクモユニ81を連結した最大16両編成で活躍、当時の電車列車としては世界最長を誇りました。
 クモユニ81は、1961年から更新工事を受け、前面窓がHゴム支持になるなどの外観上の変化が生じました。1962年頃からは、大垣電車区に転属し、東海道本線名古屋口で活躍が見られました。
 3両は、飯田線用として、1963年に、浜松工場で全室荷物車のクモニ83形100番台へと改造され、豊橋機関区に配置され飯田線で引退まで活躍しました。
 その後、クモニ83 100番台に改造されなかった3両のクモユニ81は、1968年までに2両が岡山運転区・1両が松本運転所北松本支所に転属し、1981年の引退まで活躍し、廃形式となりました。
 松本運転所北松本支所に転属した003は、大糸線用として青22号に塗装変更され、「海坊主」の愛称で呼ばれました。
 クモニ83 100番台に改造された車両は横須賀色に塗り替えられ、旧型国電と編成を組んだり、17m級のクモニ13とコンビを組んだりして活躍しました。


 多くのご要望にお応えし、80系湘南電車の郵便荷物電車を単品でセレクトいたします。
ヘッドライト・テールライト ・前面表示器は、点灯式です。
 動力車です。
 A3984 80系湘南色 1・2次型 更新車 増結4両セット(2009年7月出荷)を基に、時代設定を再検証したバリエーション製品です。
 車両更新工事施工後の1961年より後の姿を再現いたします。
 1962年頃からの大垣電車区配置時代、前位よりの避雷器が撤去された姿となります。
 検査標記は「38-3 浜松工」を印刷いたします。
 保安装置(ATS)装備前、車体標記が入れられていない姿となります。
 他車種との連結を考慮し、両エンドともアーノルトカプラーを装備し、ゴムタイヤの取付を省略いたします。
 ヘッドライト・前面列車番号表示は、電球色で、テールライトは、赤色で点灯いたします。

◇ ご注意 ◇ 部品共用のため、一部実車と異なる部分があります。

オプション
室内灯 幅広室内灯(G0001/G0002/G0003/G0004)
カプラー マイクロカプラー 密連・黒(F0001)

 是非、中京地区で活躍したクモユニ81を中央西線や関西本線・高山本線の非電化列車などと共にいかがでしょうか?

 DE10に個性派の2両が登場いたします!

A1444 DE10 1511 JR貨物中央研修センタータイプ
A1445 DE10 1701 シルフィード色

 DE10は1966年から製造された、国鉄を代表するディーゼル機関車です。
牽引力と軸重制限を両立させるために特殊構造の3軸台車が採用され、AAA-Bと言う軸配置が採用され、国鉄ディーゼル機関車では初めて動軸数が5軸になると言う珍しい軸配置を持ち、エンジン1機のため、セミセンターキャブ方式となり、特徴的な外観を有しています。
 汎用性が高く、708両が製造され、全国各地へ配属されました。
 増備途中で機関出力強化が行われ1000/1500番台へと変更されました。
 500/1500番台は、入れ換え・貨物列車牽引用としてSG非装備機となります。
 また、派生形式として重入れ替え用のDE11・除雪用DE15なども製造されました。また、私鉄向けにも同型車が製造されたり、国鉄/JRからの譲渡車も登場しています。

 貨物駅での入換、本線での貨物列車牽引から、旧型客車や50系客車を牽引して旅客列車の先頭に立ち、全国各地で活躍する姿を見ることが出来ました。

 JR貨物での更新工事を受けた車両や旅客会社では塗装変更なども行われています。

 東京貨物ターミナル駅に併設されたJR貨物中央研修センターは同社保有の研修施設です。EF210 やEH500などといった主要な機関車のシミュレーターや内部構造の理解のために加工された実機の他、溶接などといった技術面や各種機器の訓練設備も備え、貨物列車の運行に関わる総合的な教育を行うための施設となっています。
 主に入れ替え用として全国に配置された中型ディーゼル機関車DE10型の研修用として、1993年ごろより同施設内にはDE10 1511号機が設置されています。周囲には見学用の足場が設置されボンネットが一部欠き取られているなど研修施設ならではの加工が施されていますが、同機の特徴はボディがJR初期に登場した電気機関車に準じた濃淡のブルーとライトグレーに塗装されていることで、数多くのバリエーションがあるDE10の中でも唯一の存在として知られています。

 1990年、JR東日本新潟支社に団体の他に小グループでも利用できるイベント用車両として登場したのが485系「シルフィード」です。非電化区間への乗入を考慮しクロ484 1にディーゼル発電機を設置し、塗装を合わせた専用のディーゼル機関車として長岡運転所配置のDE10 1701号機が用意されました。
 磐越西線などの非電化区間の牽引に活躍し、2001年6月の485系シルフィードの引退後もDE10 1701号機は、シルフィード色のまま残り485系シルフィードを改造した「NO.DO.KA」の牽引や客車ジョイフルトレインの牽引などで活躍しましたが、2004年に引退しJR貨物へ移籍し、東新潟機関区に配置され、2005年の全般検査施工時に一般色に復帰し、2010年に愛知機関区に転属、2013年に廃車されました。

 ヘッドライトは、点灯式です。ON-OFFスイッチは搭載しません。

 1511 JR貨物中央研修センタータイプ
 DE10の中で唯一、初期のJR貨物電気機関車に準じた塗装を纏うDE10 1511号機を製品化いたします。
 初期型台車・タブレットキャッチャー保護板・扇風機カバーの無い屋根上など、初期型DE10の特徴をできる限り再現いたします。

 1701 シルフィード色
 さまざまな運用に対応するためDE10 1701号機を動力付単品で発売いたします。
 「シルフィード」牽引の他に客車ジョイフルトレイン各種との組合せにも好適です。
 A3950 485系 シルフィード+DE10 1701 4両セット(2009年7月出荷)を基にしたバリエーション製品です。
 台枠側面にエンド標記・保安標記・検査標記などを印刷いたします。
 「シルフィード」ヘッドマークが付属いたします(ユーザー取付式)。

◇ ご注意 ◇
 部品共用のため、一部実車と異なる部分があります。
 テールライトは点灯しません 。
 1511号機 JR貨物中央研修センタータイプは、マイクロエース製DE10を元にカラーリングを再現した「タイプ」商品です。実車に施されているボンネット蓋の一部欠き取り、足場取り付け、屋根上回転灯等は再現されません。
 1701号機 シルフィード色に、485系は含まれません。

オプション
室内灯 非対応
カプラー 非対応

 是非、1701号機は「シルフィード」を始め、新潟地区の様々な列車と共に、1511号機は、実車では出来ない貨物列車の先頭でいかがでしょうか?

 105系にリバイバルカラーが登場いたします!

A1884 105系0番代 「懐かしの105系カラー」 2両セット

 105系は、地方の電化路線で使用されてきた旧型電車を置き換えるために1981年に登場しました。
 大都市圏に投入していた新性能車両ではユニット構成の電動車構成により過剰性能が懸念されたため、電動車1両でも運用可能な1M方式を採用する事とし、投入線区にあわせて機器の簡素化も図りました。車体は201系を基本とし、地方線区向けに片側3扉となっています。前面は貫通型で、窓周りを黒く塗装しており「パンダ」と呼ばれています。

 0番台は、 105系として新規製造された3扉車です。60両が製造されました。
 500番台は、103系から改造された4扉車で、1984年の奈良線・和歌山線電化開業に伴う所用分と可部線旧型国電置き換え用として登場したグループです。
 折からの国鉄改革の関係で設備投資が抑制されていたため、203系の投入によって余剰が発生していた103系1000番台を中心に改造されました。
 このため、新製車とは異なり、片側4ドアとなりました。また、クハ103 1000番台をそのまま流用したクハ105も登場しました。62両が改造により登場しました。
 0番台車と500番台車は、走行器機が揃えられていたため、混結する姿も見られました。
 100番台は、仙石線区間運転列車用として、103系0番台から改造されました。1987年に登場しましたが、落成日が国鉄最終日となっています。2両編成2本4両が登場しました。

 その後、JR西日本に承継された車両は簡易冷房も含め全車冷房化されました。
 新製車の3ドアグループの0番台は、体質改善工事が施工され、他のJR西日本30N更新車と同様のリニューアル改造が施工されました。
 塗色も地域色への変更が行われました。
 500番台は、2021年に運用を離脱し、廃区分番台となりました。

 JR東日本に承継された車両は仙石線で活躍を続けましたが、1998年に廃車され、100番台は、廃区分番台となりました。

 2022年に、下関総合車両所運用検修センター所属の2両1編成K-02編成に対して広島・山口県で多く見られた新広島色のアイボリー地に赤と青の帯の「懐かしの105系カラー」を復刻しました。2024年現在も下関近郊の山陽本線・宇部線・小野田線で活躍しています。

ヘッドライト・テールライト・前面表示器は、点灯式です。
 A3687 105系広島色 3扉+4扉 3両セット(2021年7月出荷)を基に、各標記をあらためたバリエーション製品です。
 運転室屋根上のベンチレーターが無い姿を再現いたします。
 車番は、JR西日本書体、所属表記は「広セキ」を帯と同じ青色で再現いたします。
 床下機器・台車は、灰色で再現いたします。

◇ ご注意 ◇ 部品共用のため、一部実車と異なる部分があります。

オプション
室内灯 幅広室内灯(G0001/G0002/G0003/G0004)
カプラー マイクロカプラー 密連・灰(F0002)

 是非、クモハ123と共に宇部・小野田線で活躍を続ける姿をこの機会にいかがでしょうか?

 「NO.DO.KA」に続いて、「シルフィード」も薄型室内灯対応で登場いたします!

A3953 485系 「シルフィード」 3両セット

 国鉄を代表する特急電車の485系は、(1964年に登場した481系交直流特急電車を先駆けとし、1968年に交流の50/60Hz両電化区間を走行可能にする事を目的として開発され、1,453両が製造されました。北海道から九州まで、四国を除く全国各地で地域間輸送に大きく貢献しました。
 また、四国にも臨時列車としてではありますが入線した実績もあります。
 先頭車クハ481のスタイルは、ボンネット形から始まり、前面貫通形の200番台を経て、非貫通の300番台で完成されたスタイルとなり、国鉄特急の顔として親しまれました。
 また中間車のモハ484/485・サロ481・サシ481は、1972年からクーラー形式が変更となり屋根上のスタイルが大きく変わっています。
 こうして、在来線特急網拡充に貢献した485系ですが、新幹線開業や新型車両へのバトンタッチにより、最後に残ったジョイフルトレイン改造編成が廃車となり、2022年には、形式消滅しました。

 また、国鉄末期から民営化後は塗装変更や接客設備の改造・短編成化のための先頭車化改造など様々な変化を見せております。
 派生形式として、信越本線横川~軽井沢間碓氷峠EF63協調運転対応の489系が登場しています。

 JR東日本では、1990年代には従来活躍していた客車方式のジョイフルトレインの増強や後継車両として、485系を基に改造・車体新造などを行う形でジョイフルトレインが数多く登場しました。

 485系「シルフィード」は1990年に登場したJR東日本新潟支社の欧風ジョイフルトレインです。これは、1988年に「サロンエクスプレスアルカディア」が火災事故で運用離脱したため、代替の意味もありました。
サロ189形の改造名義ですが再使用された部品はわずかで車体は新製されており、先頭車に「パノラマエクスプレスアルプス」と同様の展望室が設置されたことが特徴です。外板塗装はアイボリー・ベージュをベースにライトグリーンとバイオレットの帯を配したさわやかなものになりました。室内は横3列のリクライニングシートが1350mm間隔で配置されたゆったりとしたものになっています。また各車両にはテレビモニターを搭載し、前面展望の放映やカラオケなどが提供可能となっています。
 非電化区間への乗入を考慮しクロ484 -1にディーゼル発電機を設置、塗装を合わせた専用の非電化区間用牽引機として、DE10 1701号機が用意されました。新潟近郊の他、各地の団体列車で活躍しましたが、2001年6月のさよなら運転をもって引退し、設備はそのままで普通車に格下げされました。その後、カーペット電車「NO・DO・KA」に改造されています。

 2001年6月のさよなら運転を最後に引退した「シルフィード」を改造して2001年10月に誕生したのが「NO.DO.KA」です。主な改造点は、展望室以外の座席を撤去して床をカーペット敷きに変更し、トイレを増設し、当時は珍しかったラッピングフィルムを使用した外装の変更を行っています。床下の発電用エンジンなどは残され、ディーゼル機関車の牽引で非電化区間への乗り入れが可能です。引き続き、上沼垂運転区に配置され、畳敷きの「お座敷列車」とは異なった内装が好評を博し、新潟近郊の他、首都圏や東北地方へも度々運用されました。「シルフィード」から数えて25年以上、「NO.DO.KA」としても15年以上活躍しましたが、老朽化のため2018年をもって引退しました。

 ヘッドライト・テールライト・前面表示器は、点灯式です。
 多くのご要望にお応えし、「NO.DO.KA」に続き「シルフィード」も薄型室内灯応に改良し、構造上点灯化が難しい展望室部分も点灯可能になりました!
 A3950 485系 シルフィード+DE10 1701 4両セット(2009年7月出荷)を基にしたバリエーション製品です。
 DE10 1701号機(別売)の連結運転を考慮しモロ484のモーター抜き下回りを同梱し、連結用スカート+AEカプラーも付属いたします。
 モロ484屋根上の碍子(がいし)は緑色で再現いたします。

◇ ご注意 ◇ 部品共用のため、一部実車と異なる部分があります。

オプション
室内灯 薄型室内灯(G0009/G0010)
カプラー マイクロカプラー 密連・黒(F0001)※先頭車運転台側には取付出来ません

 是非、展望室も室内灯が使えるようになった「シルフィード」も「NO.DO.KA」と共にいかがでしょうか?

 今度は、電暖装備で常磐線系統で活躍したオシ16 2000番台が登場いたします!

A9339 オシ16 2006 青

 10系は、1955年に試作車のナハ10/ナハフ10が登場した一般型客車です。10系の特徴は軽量構造の車体構造を採用した事で、スイスの軽量客車に範を取ったと言われています。また、大型窓の採用などデザイン面でも従来の国鉄型とは一線を画し、車体構造はその後の国鉄の電車・気動車・客車の基礎となりました。
 軽量設計は、車体構造のみならず、台車や内装部材にまでおよび、木材部品のほとんどが置き換えられました。
 座席車は二等車と三等車、寝台車も二等寝台車と三等寝台車、食堂車・郵便車・荷物車などが登場しました。
 増備途中から、寝台車や食堂車などは、有休車の台枠を流用した車両も登場しました。
 画期的な軽量構造で一世を風靡した10系客車は1960年代に入ると一気にその数を増やし、さまざまな派生形式が生まれました。
 登場時は、特急列車にも充当され、「つばめ」「はと」の青大将編成や「かもめ」「はつかり」で活躍を開始しました。
 その後、全国の急行列車に充当され、活躍範囲を広げていきました。
 当時、機関車を新型にしなくてもスハ43なら3両の所、ナハ11なら4両の連結が可能と言う事で、輸送力増強に貢献しました。
 サービス改善や労務環境改善、電化の進捗に合わせ、グリーン車と寝台車・郵便車には冷房設置改造が施工され、東北・北陸方面で使用される車両には電暖追設改造が施工されました。
 しかしながら、鉄道向け軽量技術の初期の車両であるため、軽量化を追求したため、蓋板の強度不足などを要因とした老朽化が進行し、急行列車の中には座席車がスハ43に戻された列車もあります。
 その後、新幹線の開業や夜行急行の特急格上げ、20系の急行への転用などにより、座席車・寝台車共に廃車が進み、寝台車は、1982年の急行運用、1985年の普通列車運用を最後に引退し、郵便車は1986年の小荷物・郵便列車廃止により廃車となり、座席車は、事業用車としてJRに承継されましたが、1995年に廃車となり10系は形式消滅しました。

 1960年代に入り特急列車の食堂車の体質改善がある程度進行したことから、急行列車のあらたな食堂車のあり方が模索され、軽食堂やサロン室といったコンセプトで1962年に登場したのがオシ16です。
 夜行列車の寝台の設置・解体中の乗客の待避場所として、想定されました。車体中央片側にキッチンを置いた前後対称の食堂車としては前例の無い設計で、キッチンに面した部分はビュッフェ、それ以外の部分は窓側へ向いたカウンタースタイルとサロン室風の食堂となり、色彩を含めたインテリアデザインや、電気コンロ以外の電子レンジやアイスクリームストッカーなどの電化装備品でも先進的かつ意欲的な試みが注目を集めました。
 合計で6両が旧型客車の台枠に新造車体を載せるか形で、長野・高砂の両工場で、改造され、電気暖房を搭載していない0番代3両は、台車をスハ43と振替ましてTR47としました。これは、乗り心地改善を目的としています。
 電気暖房を搭載した2000番第3両は、電暖装備を追設したために、重量増加対応のためにTR47よりも軽量なTR23台車を履いていました。
 2000番台3両は、終始、尾久客車区に配置され、主に常磐線経由東北方面の急行「北斗」「十和田」などで活躍する姿が見られました
サービス人員不足の面から1972年3月を以て引退、わずか10年余りの使命を終えました。
その後、1973年に廃車となり廃形式となりました。

製品は1965年頃以降の、青15号に車体色があらためられた姿を再現しています。

 多くのご要望にお応えし、1960年代の夜行急行全盛期に欠かせないオシ16を単品で発売いたします。
 A9335 オシ16 0・2000 2両セット(2015年4月出荷)以来、9年ぶりに青色のオシ16が単品で登場いたします。
 TR23台車を装着した2000番代、昭和40年代の姿がプロトタイプとなります。
 各種標記の位置・サイズを見直します。
 検査標記は「41-6 大宮工」を印刷いたします。

◇ ご注意 ◇
 部品共用のため一部実車と異なる部分があります。
 本製品に動力車は含まれません。
 走行には別途機関車が必要です。

オプション
室内灯 幅広室内灯 (G0001/G0002/G0003/G0004)
カプラー 非対応

 是非、EF80を先頭にした「とわだ」などで上野~青森間で活躍したオシ16 2000番台をこの機会にいかがでしょうか?

   スタッフ一同皆様のご来店をお待ちいたしております!!!
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