能登のよさこい






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石だけど

2018年08月20日 11時22分03秒 | 諸々
市杵嶋社

通 稱 石ナ権現(いしなごんげん)とか、番場の神様と崇拝されてきた
祭 神 市杵島姫命

明治25年頃迄、通称石ナ権現山に鎮座しておられ、現白山神社より約600mの峽にて毎年お祭りを行なって来たが、天候とか距離的において不便を感じ、現在地の番場へ御遷座されたとの事である。
若い連中が丸太棒で担ぎ(4人)、何組か交替で運ばれたとの事である。

傅説
 古老の話によれば、或る晩、里人の霊夢に権現様が現れ、「汝よ 我を石ナ権現山から 番場の中洲へ 速やかに遷し給え」との事で、夢のお告げを受けた里人は、早速、区長にお知らせしたところ、神主と相談し在所の寄合いをした結果、番場へ遷座申し上げることになった相である。
御遷座に際し、白山神社に於いてその奉告祭を取り行ったとの事である。

祭日について
 御遷座当時より10月18日を祭日と定め、毎年10月18日にお祭りを執り行って来たものであるが、この祭りを二度祭りと称していた。
 ところが昭和6年、白山神社が村社に昇格し、11月26日に新嘗祭を執行されることになってから、10月18日の石ナ権現さんのお祭りを白山神社において新嘗祭と同時に併せて執行されることとなり、終戦時迄続いたが、終戦後社格廃止となりたるも、新嘗祭は勤労感謝祭と名称は変わったが、11月26日(俗称大根まつりと言って11月18日にいつの日からか変更されている)にお祭りは行なわれている。

 一方、石ナ権現の祭事は、8月18日に番場で以前通り執行されることになり、現在迄続いている。
 8月18日に定めたのは、当時赤浦壮年会が在所の娯楽として、子供の相撲大会をしようとの話がもち上り、一層勧進相撲と云うことにして神主を招き、お祭りをして貰ったらと話が進み、それでは石ナ権現のお祭りの後で子供相撲をと云うことになり、その日取りを8月18日と定めたのに始まり、その慣習が今日に続いているのである。

鳥居
 鳥居は神明造りで、大正末期迄は江筋の手前番場側に建てられてあったが、その頃は、番場で盆踊りが盛んで、踊りの輪も大きくなり、自然鳥居が何かと都合悪く、現在の境内に移されたものである。
 昭和28年私の父が赤浦和誠会長をしていた際、お宮さんの木を伐り、和誠会員の奉仕で建立したものであるが、その後幾度か建て替えられものである。



現在生存している方もこの中にいらっしゃいます。