実は、帰京した当日・3月14日の勤務終了後、その足で東京駅に向かってしまった。
到着したのは、それを逃したら生涯2度とその姿を見られなくなる時刻の 10 分前。
9・10 番線ホームは立錐の余地もない大混雑。僕は 7・8 番線ホームから、その姿を見守っていたが、発車前にホームに停車していた EF65 や 24 系 25 形 11 連を見渡すことは叶わなかった。
ただ、最後の長い汽笛を発し、最後の発車を無事に果たした 101 列車・寝台急行銀河・大阪行きの、東京駅 10 番線を去りゆく姿は、しっかり目に焼き付けることだけは出来た。
その同じホームに、2日前の殆ど同じ時間、そして当日の朝 6:47、僕は確かにそこに居た。
最後の銀河往復の出発の瞬間と、お別れとなった最後の下車の瞬間に。
その道中の模様を、簡単に記しておこうと思う。
水曜日(3/12)の勤務をやや早めに切り上げて、自宅経由で東京駅に向かい、到着したのが発車 30 分以上前。いつもなら、入線時刻のかなり前...のはずだった。しかし、10 番線ホームにあがると、何と既に入線していた。やはり、最後だからと云うことで、写真撮影で混雑することを見越して、今回の処置を執ったのだろうか。
この手の事象がある度に、毎度その舞台で繰り返されることだが、列車の先頭と最後尾は押すな押すなの大混雑。警備員がロープを張って「黄色い線から下がって下さい!」と激しく怒声。停車中の車両の出入口付近では、ドアや方向幕、号車番号サボを撮影する鉄道ファンや一般カメラマン、報道陣、帰宅途中のサラリーマン、乗車予定の家族連れが順番コに行儀良く順次撮影している。昔日に比べて、カメラマンのマナーはだいぶ向上したようだ。否、昔日から問題のある人物は例外少数だろうと思うが、鉄道ファンの華々しく活躍する舞台が減ったため、マナーの悪い者の存在も昔ほど目立たなくなった...というだけなのかも知れない。
列車の歴史に関して、ここで詳しく述べることはしない。詳しい成書やサイトは沢山あるので、そちらを参照していただければと思う。
個人的には、学術関連の活動でも、仕事上でも、趣味でも、公私共々色々と世話になった思い出深い列車であり、関西方面の出張や遠征で重宝した貴重な戦力・戦友でもあった。端的に、個人的には、今回のダイヤ改訂による寝台急行銀河に対する今回の仕打ちは、重大な痛手である。感傷に浸ると共に、今後どうしようか...と頭を抱えているというのが正直な所感である。
時代の流れには抗えないのかという以上の無念さを感じる。
色々と思うところを抱えつつ、最後の銀河往復の旅が始まった。
時に定刻、23:00 。東京駅 10 番線。ガタンという衝撃も、いつもより穏やかに感じられた。
最後の往路の夜。翌日のダイビングの都合もあり、寝なければいけない。
しかし、わき上がる気持ちもあり、ここ数ヶ月の悩みその他もあり、なかなか寝付けない。
ベッドに横になって、記憶が消えたのが、多分静岡を過ぎてから。
ふと、目が覚めると途中の熱田で運転停車。貨物列車を先に行かせて、静かに発車。
そこから名古屋に着くまでは、また眠れず。運転停車中の名古屋駅のホームは、営業時間中並に明るかった。発車後、ベッドに戻り、一眠り。
でも、再度目が覚めると、もう米原発車直後。大津到着直前の車内放送再開は、すっかり目の冴えた状態で耳にした。
ダイビング目的では、新大阪で乗り継ぎが必要。
終点の大阪まで行きたいのはヤマヤマだったが、都合により終点到着の 6 分前につく新大阪で下車。去りゆく 101 列車を、結局最後の最後まで、新大阪駅 18 番線ホームにて見送ってしまった。
道中の東京、品川、横浜、大船、小田原、京都、新大阪などでは、立派な撮影機材を手にしたカメラマンの方々多数。また、帰宅途上 or 通勤途上?のサラリーマン多数。今回の事件が、単なる鉄道ファンの感傷で片付けきれないものであることを物語っているように、僕には思えた。
さて、新大阪到着後。
前回、ここで乗り継いだときには、時間的余裕をかなり感じて、駅構内の立ち食いソバ屋で朝食を済ませたものだった。今回は、そんな余裕を余り感じられなかった。
そのままソバ屋の前を素通りして、11 番線へ。乗り継ぐ 51M・特急スーパーくろしお1号は未入線だった。勿論、前回同様、乗ったのは2号車(自由席・禁煙車)。ただ、前回利用時と違って、和歌山寄りの先頭車は展望のグリーン車(クロ380)ではなかった。
新大阪を出た 51M は、暫くは東海道本線(京都線区間)と併走し、淀川を渡ってから徐々に逸れていく。暫くは複線区間を走るが、梅田貨物駅構内の前後で単線に。大阪環状線の福島が見えてくると、やがて上り坂を駆け上がって、野田を横目に環状線としばし併走。西九条から環状線に。西九条では桜島線のホームを通過する。新今宮でダブルクロスを渡って関西本線の線路に入り、最初の停車駅・天王寺へ。初めてこの 51M に乗車したときには、阪和線ホームに「きのくにシーサイド」の編成が入線しているのが見えた。
天王寺から乗客激増で、一挙に満席に。とはいえ、立ち客が出るほどにはならず。ビジネスマン的な客が鳳や和歌山で下車してからは、のんびりした道中だった。前回同様、特急らしいスピードで走るようになったのは、阪和線の鳳を出てから。和歌山を出てからは、振り子式の本領発揮。とは言え、振り子式の宿命とも言えるが...直線区間の多い阪和線内では横揺れも多少感じた。
紀勢本線は、和歌山から紀伊田辺までは複線。しかし、その割には列車密度が低い。典型的な特急街道である。海側の座席に陣取っても、海岸線や海原を楽しめる区間は限られているが、当日は天候もよく、景色は楽しめた。ただ、ホントは少し居眠りしたかったのだが、天王寺からとなりの席に座ったご老人の話し相手をしているうちに、寝る時間を逸してしまったw
白浜到着、定刻の 10:10。到着ホームは前回と異なり2番線。跨線橋を渡らずに済むのは、ダイビング機材を抱えている者にとっては有り難い。勿論、精算窓口(の前で集札業務をしていた女性駅員)に申し出て、乗車券と特急券に無効印を押してもらって、使用済み乗車券を持ち帰れるサービスを受けた。
ここまでの経路:
東京 23:00 ー(101レ;寝台急行銀河|東海道本線)ー 7:12 新大阪 7:35 ー(51M;特急スーパーくろしお1|東海道本線・大阪環状線・関西本線・阪和線・紀勢本線)ー 10:10 白浜
駅を出場後、お迎えの車が居るかな?と見渡してみたが、それらしき人はおらず。
51M には、天王寺からダイバーと一目で分かる客が2人乗り込んできたが、関係なかったようで。数分後、当日のバディとなる女性氏からお声がかかり、曰く「現地までタクシーでご一緒」とのこと。因みに彼女も新大阪駅で銀河の撮影をしてきたとのこと。彼女は今回利用した大規模都市型ダイビング店の関西地区某店の会員さんである。
#蛇足。南紀白浜でダイビングをして、バディが女性だったのは今回が初めて。
南紀白浜での現地サービス、利用するのは実は今回が2年弱ぶり3回目。ドライスーツで白浜の海に入るのは今回が初めて。平日と云うこともあり、お客さんの数は非常に少なく、某大型ダイビング店での客は僕とその女性の2人のみ。2人と当日お世話になったガイドさんとの間で共通の知り合いが数人にて、その話で盛り上がったり。
さて、ダイビングの方だが、行ったポイントは下記の2ヶ所。
沈船
http://www.aquamarineshirahama.co.jp/drams/map/wreck.html
カバネ→臨海ビーチ
http://www.aquamarineshirahama.co.jp/drams/map/kabane
ボートダイビング2本なのだが、2本目はボートで入水しビーチで出水という、普段は余り経験しないスタイルだった。
同時期の伊豆の海だと、どうしても春濁りで視界が悪いのが一般的。しかし、・・・
今回のダイビングデータはこちら:
経験本数:247、248
地点:紀伊(和歌山・白浜町)・南紀白浜
ポイント:(1本目)沈船
(2本目)カバネ→臨海ビーチ
気温:17 ℃
天候:曇り時々晴れ
水温:16 ℃
視界:(1本目)10 ~ 14 m
(2本目) 6 ~ 9 m
潜水時間:(1本目)39 分 12:10 → 12:49
(2本目)52 分 13:36 → 14:28
水深:(1本目)最大:17.3 m 平均:14.0 m
(2本目)最大: 9.7 m 平均: 5.8 m
どうですか?>マイミクのダイバーの皆様
3月でこれだけ見えれば、充分ではないですか?
2本潜ってお昼御飯。そこでの世間話では、大父の話もした(→、一部の方々しか通じない表現で、恐縮です)。AAA のログブックの体裁、白浜の現地ガイドの方には、かなり好評を博した様な心証だった。コンパスチェックやタンク残圧の欄が存在することには、結構感心されたっけな。
時間的余裕があれば、やはり1泊して楽しみたかった。
そこは関西有数の温泉街、関東近郊での熱海に比肩する一大リゾート地、南紀白浜。
ダイビング後の温泉も楽しめるし、時間的に余裕などあれば、観光も楽しめる。
今回は、残念ながら準日帰り。
現地サービスの復路の送迎で、主要観光地をドライブするのが精々だった。それでも、真夏のビーチリゾート・白良浜、温泉街、2大エンターテインメントエリア(関西電力白浜エネルギーランド、及び南紀白浜アドベンチャーワールド)、南紀白浜空港など、主要な拠点は一通り見てきた。
是非とも次回は泊まりで、友人も連れてきますとご挨拶して、南紀の海をご一緒した皆さん(ガイドさん、バディさん)ともしばしのお別れ。
白浜から復路のくろしおでは、疲れが出て殆ど寝てしまった。
気がつくと、阪和線の長居。そこから復路下車駅の天王寺まではアッという間だった。
夕食の場所を探索しようと、天王寺の駅構内をうろうろしていたが、めぼしい店が見当たらず、結局大阪駅まで向かうことに。往路は西九条まわりだったので、復路は森ノ宮・京橋まわりにした。
大阪で途中下車。なお、ダイビング機材は、現地サービスから宅急便で自宅宛配送にしてもらった。
阪急5番街(HEP FIVE)の観覧車を見に行って、その乗り場のあるフロアにある某ラーメン屋で夕食。ここは入口にある真っ赤なマッコウクジラのオブジェが名物である。時間が許せば、天王寺のスパワールドで入浴してから向かおうとも思ったが、2時間強の利用時間ではやや勿体ないかと判断して今回はパスした。
なにより、復路の銀河のことで、やや気持ちが高ぶっていたせいもあった。
落ち着かないので、21:00 には既に大阪駅 9・10 番線ホームにたどり着いてしまっていた。
前回利用したときには、11 番線ホームが存在して、北陸方面行きの特急列車などはそこから出ていたが、駅改良工事などの関係もあって、今はその残骸が一部残るのみ。現在は現行 9・10 番線のホームを大幅延長し、その京都寄りを普通・快速・新快速に、神戸寄りを特急用に使用...という変則的な運用を行っている。
102 列車・寝台急行銀河・東京行きの入線は、22:16 頃。
待ち時間は、とても長かった。その間に、ここでも、名残惜しい方々多数。カメラマンと帰宅途中の一般客で、ホームは徐々にごった返してきた。その直前には、3・4 番線ホームが、やはり今回のダイヤ改訂で消える別の寝台特急「なは・あかつき」の目当ての鉄道ファン及び一般客で大混雑だった。列車最後尾のロープと警備員の大声も、夜の東京と同じ。
復路の寝台券&急行券だが、残念ながら禁煙席のそれを取れなかった。
そんなわけで、車内は居住性最悪。おかげで、殆ど寝れなかった。そうでなくても、喫煙者の毒々しい紫煙と歓談する家族連れや仲間達、酔っぱらい達で、当日乗車した8号車は最悪の五月蠅さだった。しかも、寝台内部では禁煙という車掌のアナウンスに従わない乗客も多数...。
一時避難していた8号車のデッキや7号車の寝台エリアの、静かで空気の綺麗だったこと...。
しかも、7号車先頭よりの上段の寝台(17 番・上)は、実は終点の東京まで空席だった...。何なんだよ...。(-_-;)
まぁ、そのお陰というか何というかで、復路は名古屋発車後まで起きて車窓を楽しむことが出来たけれど、気分は半分ブルー。禁煙車と喫煙者とで、乗客のマナーがこれほどまでに違うとはね・・・(喫煙自体がマナー違反だというわけではないので、念のため)。
豊橋通過後から熱海到着直前までは、身体のことも考えて寝台で横になったが、起きてからは荷物一式を抱えて、起きて7号車に避難していた。
小田原を過ぎると、停車する各駅にカメラマン多数。大船でも横浜でも、ホームの端は大撮影会の装いだった。そして、・・・。川崎を過ぎて、大森の手前で急停車! 何が起こったか、山勘ですぐ分かった。線路内に立ち入った不届きな鉄道ファンのせいで、列車が急ブレーキ。不幸中の幸いにして、その不届き者にも、機関車や客車にも怪我はなかったとのことだが、こういう輩のせいで良識ある多くの鉄道ファンに迷惑がかかるのかと思うと、最後の最後までブルーな復路の旅だった。
102 列車は5分遅れで、東京に到着。
やはり、9・10 番線ホームは、カメラマンと通勤途上の一般客で溢れかえっていた。
何度も愛用した、愛着ある列車との別れ。それが、多重の意味でこんな淋しいことになったのは、大変残念なことだ。
それだけに、スッキリお別れ出来た気分になれず、最後の最後に、最終の銀河の送別に、ふと気がついたら東京駅に向かってしまったのかな...と、今にして思う。
復路の経路はこちら:
白浜 16:30 ー(80M;L特急くろしお 30|紀勢本線・阪和線)ー 18:31 天王寺 時刻不詳ー(列番不詳|大阪環状線(森ノ宮経由))ー時刻不詳 大阪 22:22 ー(102 レ;寝台急行銀河|東海道本線)ー 6:47 東京
この車中泊2日の準日帰り旅行、もう生涯2度と出来ない。
ダイビング趣味で、寝台夜行列車を利用して南紀方面に行くことも出来ない(白浜からの復路だけなら、まだサンライズ瀬戸&出雲があるけれど)。
何より、関西に用があるとき、前日夜遅くまで東京で活動して、翌朝すぐに関西の目的地で活動できて、夜しっかり寝れて翌日に備えられる、そんな便利な列車の世話になることも、もう2度と出来ない。
痛手であると共に、淋しいことだ。
4年前、大阪で学会発表をしたとき、その復路も銀河だった(その時は、都合により、往路は新幹線だった)。
何度もあった神戸や京都、大阪などでの若手研究者の集まり(生化若手夏の学校、生物物理若手の会夏の学校)でも、何度も銀河のお世話になった。
それ以外でも、様々な用事で銀河のお世話になった。
もう2度と、関西方面の重要な仕事上の用事や、大事な趣味の用事などで、この便利な移動経路を使うことは叶わない。
さようなら。
愛すべき、そして大事な生活基盤だった、夜行の寝台急行列車、銀河。
最後の銀河乗車の復路。
その到着直前、車内アナウンスの末尾は、概略以下のようなものだった。
「58 年間の長きに渡り皆様にご愛用いただいた、寝台急行・銀河号でございますが、この度のダイヤ改訂により、運行を終了することになりました。長い間、ご愛用、ご支援を戴き、誠にありがとうございました。」
車掌の声は高ぶり、喉には何かが詰まっているかのようだった。
到着したのは、それを逃したら生涯2度とその姿を見られなくなる時刻の 10 分前。
9・10 番線ホームは立錐の余地もない大混雑。僕は 7・8 番線ホームから、その姿を見守っていたが、発車前にホームに停車していた EF65 や 24 系 25 形 11 連を見渡すことは叶わなかった。
ただ、最後の長い汽笛を発し、最後の発車を無事に果たした 101 列車・寝台急行銀河・大阪行きの、東京駅 10 番線を去りゆく姿は、しっかり目に焼き付けることだけは出来た。
その同じホームに、2日前の殆ど同じ時間、そして当日の朝 6:47、僕は確かにそこに居た。
最後の銀河往復の出発の瞬間と、お別れとなった最後の下車の瞬間に。
その道中の模様を、簡単に記しておこうと思う。
水曜日(3/12)の勤務をやや早めに切り上げて、自宅経由で東京駅に向かい、到着したのが発車 30 分以上前。いつもなら、入線時刻のかなり前...のはずだった。しかし、10 番線ホームにあがると、何と既に入線していた。やはり、最後だからと云うことで、写真撮影で混雑することを見越して、今回の処置を執ったのだろうか。
この手の事象がある度に、毎度その舞台で繰り返されることだが、列車の先頭と最後尾は押すな押すなの大混雑。警備員がロープを張って「黄色い線から下がって下さい!」と激しく怒声。停車中の車両の出入口付近では、ドアや方向幕、号車番号サボを撮影する鉄道ファンや一般カメラマン、報道陣、帰宅途中のサラリーマン、乗車予定の家族連れが順番コに行儀良く順次撮影している。昔日に比べて、カメラマンのマナーはだいぶ向上したようだ。否、昔日から問題のある人物は例外少数だろうと思うが、鉄道ファンの華々しく活躍する舞台が減ったため、マナーの悪い者の存在も昔ほど目立たなくなった...というだけなのかも知れない。
列車の歴史に関して、ここで詳しく述べることはしない。詳しい成書やサイトは沢山あるので、そちらを参照していただければと思う。
個人的には、学術関連の活動でも、仕事上でも、趣味でも、公私共々色々と世話になった思い出深い列車であり、関西方面の出張や遠征で重宝した貴重な戦力・戦友でもあった。端的に、個人的には、今回のダイヤ改訂による寝台急行銀河に対する今回の仕打ちは、重大な痛手である。感傷に浸ると共に、今後どうしようか...と頭を抱えているというのが正直な所感である。
時代の流れには抗えないのかという以上の無念さを感じる。
色々と思うところを抱えつつ、最後の銀河往復の旅が始まった。
時に定刻、23:00 。東京駅 10 番線。ガタンという衝撃も、いつもより穏やかに感じられた。
最後の往路の夜。翌日のダイビングの都合もあり、寝なければいけない。
しかし、わき上がる気持ちもあり、ここ数ヶ月の悩みその他もあり、なかなか寝付けない。
ベッドに横になって、記憶が消えたのが、多分静岡を過ぎてから。
ふと、目が覚めると途中の熱田で運転停車。貨物列車を先に行かせて、静かに発車。
そこから名古屋に着くまでは、また眠れず。運転停車中の名古屋駅のホームは、営業時間中並に明るかった。発車後、ベッドに戻り、一眠り。
でも、再度目が覚めると、もう米原発車直後。大津到着直前の車内放送再開は、すっかり目の冴えた状態で耳にした。
ダイビング目的では、新大阪で乗り継ぎが必要。
終点の大阪まで行きたいのはヤマヤマだったが、都合により終点到着の 6 分前につく新大阪で下車。去りゆく 101 列車を、結局最後の最後まで、新大阪駅 18 番線ホームにて見送ってしまった。
道中の東京、品川、横浜、大船、小田原、京都、新大阪などでは、立派な撮影機材を手にしたカメラマンの方々多数。また、帰宅途上 or 通勤途上?のサラリーマン多数。今回の事件が、単なる鉄道ファンの感傷で片付けきれないものであることを物語っているように、僕には思えた。
さて、新大阪到着後。
前回、ここで乗り継いだときには、時間的余裕をかなり感じて、駅構内の立ち食いソバ屋で朝食を済ませたものだった。今回は、そんな余裕を余り感じられなかった。
そのままソバ屋の前を素通りして、11 番線へ。乗り継ぐ 51M・特急スーパーくろしお1号は未入線だった。勿論、前回同様、乗ったのは2号車(自由席・禁煙車)。ただ、前回利用時と違って、和歌山寄りの先頭車は展望のグリーン車(クロ380)ではなかった。
新大阪を出た 51M は、暫くは東海道本線(京都線区間)と併走し、淀川を渡ってから徐々に逸れていく。暫くは複線区間を走るが、梅田貨物駅構内の前後で単線に。大阪環状線の福島が見えてくると、やがて上り坂を駆け上がって、野田を横目に環状線としばし併走。西九条から環状線に。西九条では桜島線のホームを通過する。新今宮でダブルクロスを渡って関西本線の線路に入り、最初の停車駅・天王寺へ。初めてこの 51M に乗車したときには、阪和線ホームに「きのくにシーサイド」の編成が入線しているのが見えた。
天王寺から乗客激増で、一挙に満席に。とはいえ、立ち客が出るほどにはならず。ビジネスマン的な客が鳳や和歌山で下車してからは、のんびりした道中だった。前回同様、特急らしいスピードで走るようになったのは、阪和線の鳳を出てから。和歌山を出てからは、振り子式の本領発揮。とは言え、振り子式の宿命とも言えるが...直線区間の多い阪和線内では横揺れも多少感じた。
紀勢本線は、和歌山から紀伊田辺までは複線。しかし、その割には列車密度が低い。典型的な特急街道である。海側の座席に陣取っても、海岸線や海原を楽しめる区間は限られているが、当日は天候もよく、景色は楽しめた。ただ、ホントは少し居眠りしたかったのだが、天王寺からとなりの席に座ったご老人の話し相手をしているうちに、寝る時間を逸してしまったw
白浜到着、定刻の 10:10。到着ホームは前回と異なり2番線。跨線橋を渡らずに済むのは、ダイビング機材を抱えている者にとっては有り難い。勿論、精算窓口(の前で集札業務をしていた女性駅員)に申し出て、乗車券と特急券に無効印を押してもらって、使用済み乗車券を持ち帰れるサービスを受けた。
ここまでの経路:
東京 23:00 ー(101レ;寝台急行銀河|東海道本線)ー 7:12 新大阪 7:35 ー(51M;特急スーパーくろしお1|東海道本線・大阪環状線・関西本線・阪和線・紀勢本線)ー 10:10 白浜
駅を出場後、お迎えの車が居るかな?と見渡してみたが、それらしき人はおらず。
51M には、天王寺からダイバーと一目で分かる客が2人乗り込んできたが、関係なかったようで。数分後、当日のバディとなる女性氏からお声がかかり、曰く「現地までタクシーでご一緒」とのこと。因みに彼女も新大阪駅で銀河の撮影をしてきたとのこと。彼女は今回利用した大規模都市型ダイビング店の関西地区某店の会員さんである。
#蛇足。南紀白浜でダイビングをして、バディが女性だったのは今回が初めて。
南紀白浜での現地サービス、利用するのは実は今回が2年弱ぶり3回目。ドライスーツで白浜の海に入るのは今回が初めて。平日と云うこともあり、お客さんの数は非常に少なく、某大型ダイビング店での客は僕とその女性の2人のみ。2人と当日お世話になったガイドさんとの間で共通の知り合いが数人にて、その話で盛り上がったり。
さて、ダイビングの方だが、行ったポイントは下記の2ヶ所。
沈船
http://www.aquamarineshirahama.co.jp/drams/map/wreck.html
カバネ→臨海ビーチ
http://www.aquamarineshirahama.co.jp/drams/map/kabane
ボートダイビング2本なのだが、2本目はボートで入水しビーチで出水という、普段は余り経験しないスタイルだった。
同時期の伊豆の海だと、どうしても春濁りで視界が悪いのが一般的。しかし、・・・
今回のダイビングデータはこちら:
経験本数:247、248
地点:紀伊(和歌山・白浜町)・南紀白浜
ポイント:(1本目)沈船
(2本目)カバネ→臨海ビーチ
気温:17 ℃
天候:曇り時々晴れ
水温:16 ℃
視界:(1本目)10 ~ 14 m
(2本目) 6 ~ 9 m
潜水時間:(1本目)39 分 12:10 → 12:49
(2本目)52 分 13:36 → 14:28
水深:(1本目)最大:17.3 m 平均:14.0 m
(2本目)最大: 9.7 m 平均: 5.8 m
どうですか?>マイミクのダイバーの皆様
3月でこれだけ見えれば、充分ではないですか?
2本潜ってお昼御飯。そこでの世間話では、大父の話もした(→、一部の方々しか通じない表現で、恐縮です)。AAA のログブックの体裁、白浜の現地ガイドの方には、かなり好評を博した様な心証だった。コンパスチェックやタンク残圧の欄が存在することには、結構感心されたっけな。
時間的余裕があれば、やはり1泊して楽しみたかった。
そこは関西有数の温泉街、関東近郊での熱海に比肩する一大リゾート地、南紀白浜。
ダイビング後の温泉も楽しめるし、時間的に余裕などあれば、観光も楽しめる。
今回は、残念ながら準日帰り。
現地サービスの復路の送迎で、主要観光地をドライブするのが精々だった。それでも、真夏のビーチリゾート・白良浜、温泉街、2大エンターテインメントエリア(関西電力白浜エネルギーランド、及び南紀白浜アドベンチャーワールド)、南紀白浜空港など、主要な拠点は一通り見てきた。
是非とも次回は泊まりで、友人も連れてきますとご挨拶して、南紀の海をご一緒した皆さん(ガイドさん、バディさん)ともしばしのお別れ。
白浜から復路のくろしおでは、疲れが出て殆ど寝てしまった。
気がつくと、阪和線の長居。そこから復路下車駅の天王寺まではアッという間だった。
夕食の場所を探索しようと、天王寺の駅構内をうろうろしていたが、めぼしい店が見当たらず、結局大阪駅まで向かうことに。往路は西九条まわりだったので、復路は森ノ宮・京橋まわりにした。
大阪で途中下車。なお、ダイビング機材は、現地サービスから宅急便で自宅宛配送にしてもらった。
阪急5番街(HEP FIVE)の観覧車を見に行って、その乗り場のあるフロアにある某ラーメン屋で夕食。ここは入口にある真っ赤なマッコウクジラのオブジェが名物である。時間が許せば、天王寺のスパワールドで入浴してから向かおうとも思ったが、2時間強の利用時間ではやや勿体ないかと判断して今回はパスした。
なにより、復路の銀河のことで、やや気持ちが高ぶっていたせいもあった。
落ち着かないので、21:00 には既に大阪駅 9・10 番線ホームにたどり着いてしまっていた。
前回利用したときには、11 番線ホームが存在して、北陸方面行きの特急列車などはそこから出ていたが、駅改良工事などの関係もあって、今はその残骸が一部残るのみ。現在は現行 9・10 番線のホームを大幅延長し、その京都寄りを普通・快速・新快速に、神戸寄りを特急用に使用...という変則的な運用を行っている。
102 列車・寝台急行銀河・東京行きの入線は、22:16 頃。
待ち時間は、とても長かった。その間に、ここでも、名残惜しい方々多数。カメラマンと帰宅途中の一般客で、ホームは徐々にごった返してきた。その直前には、3・4 番線ホームが、やはり今回のダイヤ改訂で消える別の寝台特急「なは・あかつき」の目当ての鉄道ファン及び一般客で大混雑だった。列車最後尾のロープと警備員の大声も、夜の東京と同じ。
復路の寝台券&急行券だが、残念ながら禁煙席のそれを取れなかった。
そんなわけで、車内は居住性最悪。おかげで、殆ど寝れなかった。そうでなくても、喫煙者の毒々しい紫煙と歓談する家族連れや仲間達、酔っぱらい達で、当日乗車した8号車は最悪の五月蠅さだった。しかも、寝台内部では禁煙という車掌のアナウンスに従わない乗客も多数...。
一時避難していた8号車のデッキや7号車の寝台エリアの、静かで空気の綺麗だったこと...。
しかも、7号車先頭よりの上段の寝台(17 番・上)は、実は終点の東京まで空席だった...。何なんだよ...。(-_-;)
まぁ、そのお陰というか何というかで、復路は名古屋発車後まで起きて車窓を楽しむことが出来たけれど、気分は半分ブルー。禁煙車と喫煙者とで、乗客のマナーがこれほどまでに違うとはね・・・(喫煙自体がマナー違反だというわけではないので、念のため)。
豊橋通過後から熱海到着直前までは、身体のことも考えて寝台で横になったが、起きてからは荷物一式を抱えて、起きて7号車に避難していた。
小田原を過ぎると、停車する各駅にカメラマン多数。大船でも横浜でも、ホームの端は大撮影会の装いだった。そして、・・・。川崎を過ぎて、大森の手前で急停車! 何が起こったか、山勘ですぐ分かった。線路内に立ち入った不届きな鉄道ファンのせいで、列車が急ブレーキ。不幸中の幸いにして、その不届き者にも、機関車や客車にも怪我はなかったとのことだが、こういう輩のせいで良識ある多くの鉄道ファンに迷惑がかかるのかと思うと、最後の最後までブルーな復路の旅だった。
102 列車は5分遅れで、東京に到着。
やはり、9・10 番線ホームは、カメラマンと通勤途上の一般客で溢れかえっていた。
何度も愛用した、愛着ある列車との別れ。それが、多重の意味でこんな淋しいことになったのは、大変残念なことだ。
それだけに、スッキリお別れ出来た気分になれず、最後の最後に、最終の銀河の送別に、ふと気がついたら東京駅に向かってしまったのかな...と、今にして思う。
復路の経路はこちら:
白浜 16:30 ー(80M;L特急くろしお 30|紀勢本線・阪和線)ー 18:31 天王寺 時刻不詳ー(列番不詳|大阪環状線(森ノ宮経由))ー時刻不詳 大阪 22:22 ー(102 レ;寝台急行銀河|東海道本線)ー 6:47 東京
この車中泊2日の準日帰り旅行、もう生涯2度と出来ない。
ダイビング趣味で、寝台夜行列車を利用して南紀方面に行くことも出来ない(白浜からの復路だけなら、まだサンライズ瀬戸&出雲があるけれど)。
何より、関西に用があるとき、前日夜遅くまで東京で活動して、翌朝すぐに関西の目的地で活動できて、夜しっかり寝れて翌日に備えられる、そんな便利な列車の世話になることも、もう2度と出来ない。
痛手であると共に、淋しいことだ。
4年前、大阪で学会発表をしたとき、その復路も銀河だった(その時は、都合により、往路は新幹線だった)。
何度もあった神戸や京都、大阪などでの若手研究者の集まり(生化若手夏の学校、生物物理若手の会夏の学校)でも、何度も銀河のお世話になった。
それ以外でも、様々な用事で銀河のお世話になった。
もう2度と、関西方面の重要な仕事上の用事や、大事な趣味の用事などで、この便利な移動経路を使うことは叶わない。
さようなら。
愛すべき、そして大事な生活基盤だった、夜行の寝台急行列車、銀河。
最後の銀河乗車の復路。
その到着直前、車内アナウンスの末尾は、概略以下のようなものだった。
「58 年間の長きに渡り皆様にご愛用いただいた、寝台急行・銀河号でございますが、この度のダイヤ改訂により、運行を終了することになりました。長い間、ご愛用、ご支援を戴き、誠にありがとうございました。」
車掌の声は高ぶり、喉には何かが詰まっているかのようだった。
mixi のコラムより:
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=44&id=435560
経緯をご存じない方々は、こちらを。
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yokodon%"FreeTibet" 2008年04月13日 23:54
関連の写真をアップ。
マイミクさん限定だが、フォトアルバムの「さようなら、寝台急行銀河」と「06年8月・一路南紀」が関連のもの。後者は一昨年夏の遠征旅行の時のものだが、新大阪 or 大阪ー白浜の参考と云うことで。
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Jee 2008年05月08日 17:21
yokodon@mayqueen さんへ
興味深く読ませて頂きました。
17番と言うと、一番端の個室みたいなところですね。
実は、102レは大阪駅まで見送りに行きまして、その際に9号車に録音機を着けました。
再生していると、高らかな警笛と共に列車が停止して行くのがわかりました。
ほんとにマナーのなってないファンには憤りを感じます。
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yokodon%"FreeTibet" 2008年05月09日 01:09
>Jeeさん
コメントありがとうございます。
3/13 大阪発 102レの件、少しでもお役に立てたようで何よりです。
録音機の件、ちょっと興味深いので、宜しかったらその経緯などご紹介いただければと思います。
7号車 17 番席、お察しの通りです。車内の全 34 席のうち、そこだけ向かい合わせ(4人分のボックス)になっていない2席ですね。
僕の乗り鉄現役時代も『現場』でそう感じていましたが、鉄道ファンのマナー問題の件、全く仰る通りです。'97 夏の北海道一周の道中、たまたま機会があって、函館本線の C62-3 を見に行ったときにも、悪質な鉄道マニアに嫌がらせを受けて迷惑したことがありました。他、色々です。
こういった連中のせいで、鉄道ファン一般が白い目で見られるのかと思うと、不愉快ですよね(#迷惑なのは一部だけであるという旨、分析的に理解して欲しいなとも一方で思いますが)。
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Jee2008年05月11日 21:21
> yokodon@mayqueenさん
録音機はですねぇ、あまり大きな声では言えないんですけど、9号車のTM下に張り付けて、東京で知り合いに回収して貰いました。
こういった点では私もマナーの無いファンかもしれません。
機関車に一番近い位置だったので、警笛がよく録れてました。
あと、京都発車直後はトンネル内で、機関車のモーター音も録れていました。
車内における東と西の違いは、スリッパだけではなくてハンガーの置き方も違うんです。
西はハンガーを毛布に立掛けますが、東はベットに伏せて置きます。
あとは細かい所で諸々あります。