もう一つ、齋藤社長の御人なりを示すお話をさせて戴きます。私が東北リコーで、製造本部長を仰せ付かっていた時の話です。製造本部の傘下には、資材・購買部門もありましたので、メインの取引先には、少なくとも年一回は、取引先企業のトップにお会いすることを、本部長の大事な仕事の一つとしていました。当然岩機ダイカストの齋藤社長にも面談にあがります。
このようなとき、齋藤社長は、自らいろいろお話することは少なく、どちらかというと、こちらからの質問や相談に答えて、お話するというパターンが多いトップでした。
ただ、例外がありました。齋藤社長が自ら口火を切ることが有ります。「白幡さん、最近嬉しいことがありましたよ。仕事が増えて、現場が手狭になって、そろそろ何とかしなければと考えていたら、製造のリーダークラスが話し合ってね、不要不急なものを整理して、レイアウトも見直して、まっさらなスペースを確保してくれたんだよ。将来はともかく、当面はこれでしのげそうだよ」と、現場を讃えて、嬉しそうにお話しされます。
もう一つ、齋藤社長は、自社の協力会社にも常に気配りをされていました。特に岩機ダイカストを辞めて独立した協力会社への気づかいはいろいろあったようです。そんな協力会社の事例です。「先日。元社員で独立して、当社の部品加工を請けおってくれている会社の社長が来てね。齋藤社長、最近御社以外の注文も増えて、従業員も増員した。まごまごしていると御社より他社の仕事が多くなるよと言って、帰って行ったんですよ」と、本当に嬉しそうに話してくれました。別な協力会社の社長からも、お話を聞いたことが有りますが、協力会社への齋藤社長の気配りは、生半可なものではありませんでした。東北リコーの資材・購買部門の長として、学ばされました。
これ以外にも、みやぎ工業会でも齋藤社長には平成20年(2008年)~平成27年(2015年迄)副会長として、お忙しい中お務め戴きました。感謝に堪えません。まだまだお話ししたいことは沢山あるのですが、戴いた時間を大幅にオーバーしておりますので、この辺で止めます。私に取っての先輩であり、同僚・仲間、そして教師・先生でもありました、齋藤様の心からのご冥福をお祈りいたします。(お別れの会での私の拙い話は、以上です)
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