半径500メートル以内くらいを歩いてみた。「危険」もしくはこれに類する標識が、幾つも目に付いた。危険を想定させ、注意を喚起する価値はあろう。しかし「危険」な事実、そのものを除去できないのだろうか。
やれば出来る所もあったように思われてならない。およそ人間が構築したものは、地震と違って、あらかじめ対応できるもののほうが、圧倒的に多いのではなかろうか。
物理的な「危険」は目でみても、耳で聞いてもわかるが、知らないうちに進行している、世の中の危険な空気というのも、たしかにあるのだろうなあと、不図思った。
やれば出来る所もあったように思われてならない。およそ人間が構築したものは、地震と違って、あらかじめ対応できるもののほうが、圧倒的に多いのではなかろうか。
物理的な「危険」は目でみても、耳で聞いてもわかるが、知らないうちに進行している、世の中の危険な空気というのも、たしかにあるのだろうなあと、不図思った。