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麻原彰晃死刑執行2018/7/6・オウム13人囚~刑執行完結(7/26)・麻原ファミリー[松本知子・松本麗華]の画策乱・上祐史浩戦略

2011年09月03日 23時07分52秒 | Weblog
21900文字数

麻原彰晃の三女アーチャリー[松本麗華]で出版本し全国公開による布石

麻原彰晃王国の七人衆⇔麻原彰晃・松本麗華・松本知子・上祐史浩が影響力保持
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【麻原彰晃・松本智津夫】2018/7/6金曜日午前8時死刑執行
2018/3/14拘置所7人移送⇒2018/7/6に7人死刑執行を完結
オウム死刑確定者13人で残り6人。

2018/7/26⇒残る6人のオウム死刑囚全員の刑執行
13人すべてが死刑完終了=死亡
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オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間
2018/7/15AERA.dot

地下鉄サリン事件など、オウム真理教の一連の事件で死刑が確定、麻原彰晃元死刑囚ら教団幹部7人の死刑が執行されて1週間が経過した。麻原はじめ、元死刑囚らの執行時の様子が次第に明らかになってきた。

「死刑執行の2、3週間前から『刑場の清掃がはじまった』という話が聞こえてきました。死刑がある前には、必ず念入りに数回、清掃があるのです。そして『テストもやっている』という声も入りました。テストというのは、死刑執行の装置、踏み台などが正常に作動して落ちるのかなど、確認作業をすることです。拘置所の職員の間では、正直、自分たちが担当になるかならないか、緊張感がありましたね。今回はオウム真理教の死刑囚であることは、容易に想定できましたから」(大阪拘置所関係者)

死刑執行された2018/7月6日、麻原元死刑囚は、毎朝7時の起床に合わせて、東京拘置所の独居房で目を覚ましたという。その後、朝食をすべて食べて食器を戻してほどなく、

▼刑務官から「出房」という声がかかった。

日常、運動も拒否し、独居房から出ることがない麻原元死刑囚。刑務官の声にも、ほとんど反応しなかった。だが、この日は複数の刑務官が麻原元死刑囚の独居房に入り、

▼「連行」と声をかけ、連れ出した。

通常、収容者が使用しない通路を通って、麻原元死刑囚は刑場へと向かったという。そこには「万が一」に備えて、複数の刑務官が通路には立ちは警戒していたそうだ。その時、麻原元死刑囚はさしたる反応がなかったという。

刑場の前にある「教誨室」で椅子に座るように促された、麻原元死刑囚。

▼「今日、お別れの日がきました。教誨、どうしますか」

教誨とは、死刑執行前に、僧侶や牧師から講話を受けること。そう聞かれたが、無反応で何も語らない麻原元死刑囚。設置されている、仏壇に手を合わせることもなかったという。何度も、同じことを聞かれたが、何も答えなかったという。

▼遺書を書くかと聞かれたが、それにも
「……」と返事はなかった。

「麻原元死刑囚は、普段は一日中、独居房の壁にもたれかかり、うつろな顔でボーっとしているだけ。しかし、3度の食事は食べます。この日、教誨室で死刑執行を知った時は、本当か?という感じで、キョトンとして信じられないという表情だったそうです」(法務省関係者)

▼そして、遺体や遺品の引き取りについて尋ねられたが、そこでも答えはなし。

そこで、刑務官が妻や長女ら、家族を具体的にあげて聞いた。
「四女」そう麻原元死刑囚は、話したという。
ハッキリ聞こえなかったので、再度、刑務官が

「四女でいいのか?」
「四女なんだな?」と何度か確認すると、うなずいたという。

そして、刑務官が両脇を抱えるようにして、麻原元死刑囚を刑場の前にある「前室」に連れて行く。線香がたかれ、そのにおいが充満した「前室」で拘置所の所長が麻原元死刑囚に指揮書を読み上げて、死刑執行を告げた。

「麻原元死刑囚は、暴れたり、声を発することはなかった。だが、前室で目隠しをされ、両足を固定されたときには死刑が現実のものとわかったのか、顔がやや紅潮してみえたそうです」(前出・法務省関係者)

そして、麻原元死刑囚は刑場へと消えたという。

この日、東京拘置所では麻原元死刑囚だけではなく、遠藤誠一元死刑囚と土谷正実元死刑囚も執行された。
「通常、死刑執行は1日に2人まで。3人というのは異例です。麻原元死刑囚の執行の間に次の準備に取り掛かかり、とても慌ただしい状態でした。土谷元死刑囚は、執行前から精神的に安定しない日々で、執行を告げられてかなり驚いていたそうです」(前出・法務省関係者)


大阪拘置所では、井上嘉浩元死刑囚と新実智光元死刑囚の死刑が執行された。
「井上元死刑囚は死刑執行が近いと思っていたのか、独居房でもせかせかした感じでいろいろノートに書いていましたね。新実元死刑囚は大阪拘置所に移送された後、毎日、獄中結婚した妻が面会に来てくれるのを心待ちにしていた。面会室では新婚のカップルのようにみえたという。だが、新実元死刑囚は精神的には、落ち着かない日々で、ソワソワしていて、『どうなるのだろう』とこぼすこともあった。東京拘置所では、独居房で瞑想したそうだが、大阪拘置所ではそんな余裕もなかったようだ」(大阪拘置所関係者)

井上元死刑囚は、死刑執行の直前、最後の言葉として、自分の両親に
「心配しないでと伝えてください」
「ありがとうございました」と述べた。
「こんなことになるとは思っていなかった」

その言葉の意味が、オウム真理教に入信し、麻原元死刑囚と行動をともにしたことのなのか、それとも最近になって再審請求をしたので、まだ死刑執行はないと思い込んでいたのか、詳細はわからない。そして、2人の刑務官にはさまれるようにして、自ら刑場に歩を進めたという。
その遺体は、両親に引き取られて、故郷で荼毘に付されたという。

死刑執行には、検察庁の幹部が立ち会う。一般的には、高等検察庁の部長クラスが選ばれるという。
「死刑当日、執行に立ち会った幹部は検察庁に戻るなり、足元に塩をまかれてお清め。すぐ自宅に帰ったそうです。さすがに、そのまま仕事はできませんよね」(ある検察庁の幹部)

残る6人のオウム死刑囚の執行は年内とされている。

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騒がず静かに麻原死刑執行と違う話。
◇ ◇ ◇↓↓(抜粋)。
2018/9/22東洋経済online/一橋 文哉

麻原の執行当日の様子を、立ち会った刑務官らの話に基づき再現しよう。

「何をする。バカヤロー」
午前7時に独房で目を覚ました麻原は朝食をきれいに平らげた後で突然、刑務官に出房を促され、運命を悟ったのか思わず「チクショー」という叫び声を上げた。刑務官に両腕を抱えられ、うす暗い廊下を歩いて、執行前に僧侶らの説諭を受ける教晦室に入る。

「松本智津夫君。残念ですが、法務大臣から刑の執行命令が来ました。お別れです」

拘置所長がそう伝えた途端、麻原の身体が激しく震え出した。彼は教誨を受けず、遺言も残さなかったが、遺骨の引取先としてすでに教団から離脱した四女を指定したという。

《麻原は午前8時過ぎ、抵抗することなく執行された》と報じられたが、実は激しく動揺し、「何をする。バカヤロー」と泣き叫び、刑務官が後ろから羽交い絞めにしてやっと目隠しをし、後ろ手に手錠をかけ、4人がかりで死刑台の上に立たせてロープを首に巻き付けた。

執行直前、麻原はブルブルッと身体を震わせて手足を力いっぱい突っ張り、
ゴクッと生つばをのみ込んだという。
麻原の遺体は3日後に火葬された。
◇ ◇ ◇↑↑
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麻原彰晃が遺体引き渡しに四女を選んだ理由
オウム元幹部・上祐氏が語る
2018/7/14 AERA.dot /AERA編集部・作田裕史

松本元死刑囚の遺骨をめぐり、四女と「妻・三女陣営」が対立している。オウム元幹部の上祐史浩氏が本誌インタビューで「内紛」の真相を語った。

オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚の遺骨の行方に、
日本中の注目が集まっている。

松本元死刑囚は執行前、遺体の引き渡し先については、四女とする意向を示したとされる。四女は昨年2017/11月に両親との相続関係を断つ申し立てが認められたと明かし、長らく教団からも離れた生活を送っている。

四女は、代理人を務める滝本太郎弁護士のブログを通じて「指名を受けた私自身が大変驚きました。しかし、それは実父の最後のメッセージなのではないかと受け入れることにします」と表明した。ただ、遺骨を手元に置くことは「身の危険を感じる」として、海への散骨を希望しているという。

●妻・三女ら共同で異議

それに異議を唱えるのが松本元死刑囚の妻と次女、三女、長男、次男だ。5人は上川陽子法相と東京拘置所長あてに遺体の引き渡しを求める要求書を提出。「(松本元死刑囚の)精神状態からすれば、特定の人を引き取り人として指定することはありえない」と主張した。

三女は一部メディアのインタビューに応じ、母親(妻)が遺骨を引き取るべきだとした上で「父の神格化のために遺骨を利用することはない。後継団体があるから誤解が続く。解散してほしいとすら思う」と教団との関係を否定した。ただし、公安調査庁は妻と三女がオウム真理教の後継団体であるアレフに関与していたとみている。

妻でも三女でもなく、教団や家族から離れた四女の名を挙げた松本元死刑囚の「意図」はどこにあるのか。彼女たちを間近で見てきたオウム真理教の元幹部で「ひかりの輪」代表の上祐史浩氏は、「麻原は詐病だったという前提ですが」と前置きした上で、こう語る。
「実は、宗教的なステージは妻や三女より四女の方が高い。麻原が三女に『今は(年長の)おまえの方が力が強いが、そのうち逆転する時も来るぞ』と言ったと四女から聞いたことがある。麻原は妻か三女のどちらかを選べば、二人とも自己主張が強いからトラブルになると考えたかも。

■実際に麻原が最後に接見したのは四女であり、
麻原が死後の自分を四女に託したいと思った可能性はある」

●後継教祖巡り代理戦争

今回、遺骨の引き渡しを求め共同戦線を張った妻と三女は、これまでも共闘と対立を重ねてきた。

「旧アレフの分裂騒動の際、麻原の妻と三女が共同して私を追い出した。そして3年前、今度は妻と三女が教団内で対立して、袂を分かった。結果的に妻は今のアレフを裏から支え、三女はアレフから離れた。ほぼ同時に分派した『山田らの集団』は、アレフより三女の考えに共鳴していると推察されます」(上祐氏)

二人の対立は、2013年にアレフ内で次男を教団復帰させたかった妻に対して、三女が反対したことに端を発する。三女に賛同した幹部信徒らは次々に処分され、15年には「山田らの集団」という分派が生まれた。後継教祖として次男を推す妻と、長男を擁する三女によって「代理戦争」のような状態が続いていたのだ。

2017年12月現在の人数
▼Alephアレフ=1470人
▼ひかりの輪=150人
▼山田らの集団=30人

「最初は長男も次男も三女の下にいました。強い性格の三女は弟たちを束ねたかったのだと思います。約15年前、まだアレフにいた私に三女は『今のうちに厳しくしておけば、(長男、次男は)将来的に私に従うよね』と言いました。その後、長男は三女の下に残る一方、次男は何らかの理由で母親の元に移った。これで、教団内のパワーバランスが大きく変わった。次男は麻原が認めた後継候補であり、ダライ・ラマに次ぐ(チベット仏教の序列2位の)パンチェン・ラマの生まれ変わりだとアレフでは信じられていた。その次男を後継教祖にすることを否定した三女は、麻原を否定したと批判されて、アレフの主流派ではいられなくなった」(同)

最も懸念されるのは、遺骨が信仰強化に利用されることだ。髪の毛や血液から風呂の水まで、オウム真理教時代から松本元死刑囚の体は信者から神聖視されてきた。上祐氏は言う。
「公共の安全から考えれば、理想は四女の代理人が主張する海への散骨だと思います」

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麻原元死刑囚、執行7分前に残した“不吉な遺言”の謎
2018年7月10日ZAKZAK(夕刊フジ)
 
死刑が執行されたオウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚=執行当時(63)=の遺体が2018/7/9日午前、東京都内の葬祭場で火葬された。麻原元死刑囚が執行直前の「遺言」で指名した四女(29)が遺骨を引き取ることに決まったが、妻(59)や三女(35)らは反発している。遺族間の骨肉の争いをきっかけにオウム残党が暴発する恐れもあるとみて、公安当局は警戒を強めている。

麻原元死刑囚と土谷正実死刑囚=同(53)=の遺体を乗せたとみられる車両は2018/7/9日朝、都内の火葬場に入った。

8日放送の日本テレビ系「真相報道バンキシャ!」によると、麻原元死刑囚は執行7分前の6日午前7時53分ごろ、東京拘置所の職員に遺体や遺品の引き受け手について聞かれ、
「ちょっと待って」と言ってしばらく黙った後、「四女」と答えた。職員が四女の名前を出して確認したところ、うなずいたという。

四女は7、8日には代理人の滝本太郎弁護士とともに東京拘置所を訪れている。麻原死刑囚の遺体と対面したほか、今後の遺体や所持品の引き取りについて協議したとみられる。滝本弁護士は夕刊フジの取材に「全てノーコメントなんで、すいません」と述べた。

滝本弁護士のブログには四女のコメントも掲載されている。麻原元死刑囚について《一度の死刑では足りないほどの罪を重ねましたが、彼を知る人間の一人として今はその死を悼みたいと思います》とする一方、幹部6人の死刑執行については否定的な見解を示した。

四女は989年に静岡県富士宮市の教団施設で生まれた。
2歳ごろに旧上九一色村に移り、
3歳で立位礼拝(りついらいはい、立ち上がったり体を床にはわせたりする修行)を2時間こなすなど、修行三昧の日々を送ったという。

麻原元死刑囚の逮捕後、家族は関東の教団施設などを転々としたが、四女は16歳で家出した。
2007年4月にはジャーナリストの江川紹子さんが四女の未成年後見人となったが、同年2007/9月には後見人の辞任許可申立書をさいたま家裁に提出した。江川さんは生活費や住居を提供するなどの支援を行っていたが、四女が麻原元死刑囚を「グル」と崇める気持ちや宗教的な関心が深まっていたことを辞任の理由に挙げている。

10年には「松本聡香」(仮名)名義で『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか 地下鉄サリン事件から15年目の告白』を出版した。
産経新聞の15年のインタビューでは家出した当時の心境を「父の娘であることで生きていくのがいやになった。被害者の賠償に充てられるべきお金で生活したくない」とし、麻原元死刑囚について「自己愛が強く、詐病で自分を守っているのだろう」とも話していた。昨年2017/10月には自分の推定相続人から両親を除外するよう横浜家裁に申し立て、認められた。

麻原元死刑囚は妻との間に2男4女をもうけたとされるが、現在は一族から決別したはずの四女を遺体の引き取り手に指名した理由については謎が残る。

妻と次女、三女、長男、次男の5人は連名で麻原元死刑囚の遺体引き渡しの要求書を上川陽子法相に提出。要求書は、麻原元死刑囚の遺体を「祭祀(さいし)の対象となるもので、慣習上、その承継者の第一は配偶者である」とした。妻側の代理人は「(麻原元死刑囚の)精神状態からすれば、特定の人を引き取り人として指定することはあり得ない」と疑問を呈した。

オウムの後継団体「アレフ」にも近いとされる妻は、次男と行動を共にするが、教団内で「アーチャリー」と呼ばれていた三女は次女、長男と行動を共にしている。

三女は1995年に麻原元死刑囚が逮捕された後には教団の後継者といわれる「法皇官房」のトップとして教団宣伝のアニメやビデオ作りを担当、「正大師」の肩書をもつ最高幹部の一人だった。
2015年に『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』を出版するなどメディアへの露出も多く、今月2018/7/3日にはツイッターで《オウムに悪いところはたくさんあった。私もオウムへは入らない。でも、いいところもあった》と表明している。

麻原元死刑囚の遺骨や遺品が後継団体の正当性を示す象徴になる可能性があるとみられるなか、公安当局が懸念するような内部抗争が激化しかねないのが実態だ。

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執行直前「こんなことになるとは」井上嘉浩元死刑囚
FNNニュースフジテレビ7/11(水)

先週死刑が執行されたオウム真理教元幹部・井上嘉浩元死刑囚が、執行の直前、「こんなことになるとは思っていなかった」と、死刑となることへの後悔ともとれる言葉を残していたことがわかった。

教祖の松本元死刑囚の側近中の側近で、地下鉄サリン事件で総合調整役とされた井上元死刑囚は2018/7/6日、大阪拘置所で死刑が執行された。

関係者によると、井上元死刑囚は執行の直前、担当刑務官から「ご両親に何か伝えることはないか?」と聞かれ、「お父さんお母さん、ありがとうございました」「心配しないで」と答えたうえで「こんなことになるとは思っていなかった」と、事件を起こしたことで死刑となることへの後悔ともとれる言葉を残したという。

そして、最後に「まずは、よし」と述べたという。

一方、松本 智津夫元死刑囚は、執行の7分前に、担当の刑務官から遺体や遺品の引き渡しについて問われると、「ちょっと待って」と少し黙り、刑務官から「誰でもいい、妻や子どもたちがいるでしょう。どうする?」と問われると、沈黙のあと、「遺灰は四女に」と意思を示したという。

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オウム:松本元死刑囚、執行直前の様子「ちょっと待って」
2018年7月26日毎日新聞

オウム真理教元代表の松本智津夫元死刑囚が東京拘置所内で刑を執行される直前の様子が、関係者への取材で判明した。

それによると、松本元死刑囚は今月(2018/7)6日朝、単独室で起床して朝食をとった後、やってきた刑務官に部屋から出るよう促された。連れて来られたのは死刑囚が執行の告知を受ける「教誨(きょうかい)室」。この場で、言い残したいことがないか確認され、希望すれば教誨師と話すことなども可能とされる。

刑務官に執行を告げられ、教誨をどうするか聞かれた松本元死刑囚は無言のままだったという。「教誨は不要」と判断した刑務官は遺体の引き取りについても尋ねた。それでも黙っていたため、改めて声をかけると、松本元死刑囚は「ちょっと待って」としばらく考えるような様子を見せたという。刑務官が妻や娘たちの存在を挙げて回答を促すと、小さな声で「四女」と返答。刑務官が聞き返すと四女の名前を口にし、さらなる念押しに対してもうなずいたという。

元死刑囚の遺体は2018/7/9日に東京都内で火葬された。四女は遺骨を引き取る意思を示し、四女の代理人弁護士は「太平洋での散骨」を望む意向を表明した。一方、妻や三女らは「(元死刑囚の生前の)精神状態からすれば、特定の人を自分の遺体の引き取り人として指定することはあり得ない」として、妻への引き渡しを求めている。

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7人のうち5人の遺体が親族に オウム元死刑囚
2018年7月10日

死刑が執行されたオウム真理教の元死刑囚7人のうち、5人の遺体を、教団とは関係のない親族らに引き渡すとみられることがわかった。

松本 智津夫元死刑囚(63)の遺体は、2018/7/9日に火葬されたが、遺骨の引き渡し先に指名された四女の意向で、現在も、遺骨は東京拘置所で保管されている。

また、遠藤誠一元死刑囚(58)の遺体は、オウム真理教の後継団体アレフ側に引き渡された。

一方、ほかの5人の死刑囚の遺体は、教団とは関係ない親族らに引き渡されるとみられ、このうち井上嘉浩元死刑囚(48)については、両親により、浄土真宗の寺で葬儀が営まれたという。

【7人死刑執行2018/7/6金曜日】
麻原彰晃⇒4女⇒海に散骨予定
遠藤誠一⇒アレフ
5人⇒教団とは関係ない親族へ

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オウム真理教・麻原彰晃らの「死刑」はどのように執行されたのか
2018/7/12(木)Flash/2018 Kobunsha

7月6日、オウム真理教の元代表である麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚はじめ、7名の元教団員の死刑が執行された。

麻原死刑囚は、13人の死者と6000人以上の負傷者を出した「地下鉄サリン事件」(1995年3月)をはじめ、「松本サリン事件」(1994年6月)、「坂本堤弁護士一家殺害事件」(1989年11月)といった一連の事件において、27人もの命を奪い、2006年に死刑が確定。

現在までに、幹部・信徒ら192名が起訴されており、
このたび死刑が執行された7名のほか、6名の元幹部の死刑が確定している。

それにしても、死刑はいったいどのような手順で執行されるのだろうか。

作家・坂本敏夫氏の著書『元刑務官が明かす死刑のすべて』(文藝春秋)によれば、死刑執行の基本手順はこうだ。

(1)死刑執行命令が刑事局で起案され、関係部局でチェック
(2)大臣官房、事務次官、副大臣のチェック。起案文書に押される印鑑の数は30を超える
(3)法務大臣の最終決裁により、命令は高等検察庁を経由して死刑場に届けられる

死刑場は高松を除く高等裁判所の所在地の拘置所または刑務所に設けられている。処刑方法は絞首刑で、検事と所長、さらに僧侶などが立ち会い、医師が死亡を確認する。

かつて、坂本氏は本誌の取材に答え、死刑執行当日を再現してくれている(2010年9月14日号)以下に、再掲載する。

午前7時に起床。点検の後、麦飯、味噌汁、味付け海苔、生卵の朝食をA死刑囚は全量食べた。Aは今日が死刑の執行日だということをまだ知らない。

AM8時、刑務官らがそれぞれの配置についた。3人の刑務官がAの独房前に行き、扉を開けた。「残念ですが、お別れのときがきました」。突然の呼び出しにA死刑囚は狼狽し、大声を出して暴れる。

Aは今日が執行日だということを初めて知らされる。なかには腰を抜かして動けなくなる者や、気絶する者もいるという。騒ぎが舎房内全体に広がらないうちに、素早く連れ出すことが大事だ。

AM8時15分、刑務官に抱えられるようにして、A死刑囚は教誨(きょうかい)室に入れられた。中には教誨師、所長、処遇部長などのほかに立ち会いの検事、検事事務官らが待っている。正式な死刑執行命令が到着し、所長が執行宣言を下す。

「ただいまから刑を執行する」

Aの前にペンと紙が置かれた。ここで遺書を書くことができるが、Aはすでに舎房内で遺書をしたためていたため辞した。供物の果物、お茶とお菓子を差し出されることもあるという。

AM8時40分、教誨室を出ると、A死刑囚はいよいよ前室へ連れていかれる。

「担当さん、長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました」
Aは90度近く頭を下げた。

「あとのことはちゃんとしてやるから、心配するな。奥さんにも立派に逝ったと伝えてやる」

Aの目から涙がしたたり落ちた。
Aはここで教誨師に“最期”の言葉を発した。

「先生、被害者の方たちの魂をお救いください。お願いします」

教誨師が答える。
「よく言えたな。お別れだ」

AM8時50分、刑務官3人がAを取り囲んだ。両手を体の前に伸ばし、手錠が掛けられ、さらに目隠しをされた。所長や検事らは立会室へ移動し席に着く。

執行室と前室とを遮っていたカーテンが開けられ、Aは抱きかかえられて、ロープの真下に立った。すかさず膝の下を縛る。

「歯を食いしばっておけよ。心の中で経を唱えればいい顔で死ねる」
執行官が話しかけながらAにロープを掛け、留め金を持って縛った。

AM9時、ボタン室にいる3人の刑務官に向かって、指揮官が水平にした片腕を下におろした。「押せ!」という合図だ――。

執行ボタンを押すのは3人で、同時にボタンを押すことになっている。3つのうち、どれが繋がっているかわからないよう配慮されている。

こうして、Aの下の床が抜け、断末魔とともに地下階の天井から宙づりのようにぶら下がり、死刑が執行される。

今回、7名の死刑が同時に行われたということは、この儀式を7回繰り返したということだ。麻原死刑囚は遺言の時間を拒否したというが、はたして、どんな思いを抱えて死刑台を上ったのだろうか。

・死刑執行=午前8時
・現実に縛り首によって死ぬ=午前9時

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【三女・アーチャリー「“秘”講演会」で明かされた麻原彰晃の拘禁生活】
(1)面会を177回以上断られた
2016/10/27アサ芸プラス

昨年3月(2015/3/20)、麻原彰晃の三女として実名による自伝を出版し、世間を驚かせた「アーチャリー」。それから1年半余りを経て、彼女は再び秘密裏に行われた「講演会」の場に姿を見せた。そこで語られたのは、オウム裁判への不満、拘置所の「父」の姿だった

「被害者の方々が大勢おられるので、私が事件に触れてお話しするのはどうかと思いますが‥‥」
こう言って、とつとつと語り始めたのは、オウム真理教(現・アレフ)麻原彰晃死刑囚(61)の三女で、ホーリーネーム「アーチャリー」こと松本麗華氏(33)である。
昨年、初めて実名を明かしてつづった著書「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」(講談社)を刊行し、話題となったのは記憶に新しい。

2016/10月5日、村上正邦元参院議員が主催する、企業の幹部らを招いた限定的な勉強会にゲスト(三女アーチャリー)として登場。
長年オウム問題を取材し、アーチャリーと交流がある映像ジャーナリスト・森達也氏が同席した。いわば“秘”講演会の席で、アーチャリーは次のように続ける。

「父と最後に話したのは、21年前の5月。私が12歳になったばかりの時でしたが、その時の父と逮捕後の父がどうしても関連性を持って認識できなくて、いまだに何が起こったのか、自分の体の中で飲み込めていない状態です。このような話をすると『被害者の方をどう思っているんだ』というお話をいただくんですけれど、それについては非常に難しい問題で‥‥」

麻原死刑囚がオウムの教団施設「第6サティアン」で逮捕されたのは、95年5月16日。まさにアーチャリーが12歳の時である。
逮捕された父親と事件後、東京拘置所で初めて面会したのは04年9月のことだったが、逮捕から9年の時を経て、麻原死刑囚の精神は崩壊していた。麻原死刑囚は呼びかけにまったく反応がなく、突然、自慰行為を始めるなどの奇行を見せる。

アーチャリーは、次のように回想した。
「複数の精神科医に鑑定をしていただいたんですけども、父は重度の『昏迷』状態にあり、心神喪失であると、皆さんは判断されました。昏迷な状態というのはよくわからないんですけれども、心身ともに、自己表現ができる内部刺激が感応しない状態というふうに言われています。私がいきなり『お父さん、わかる?』と大きな声で叫んでも反応しません。そういう父の姿を見るのがつらくて、毎日面会に行くことはできませんでした」

その後、麻原死刑囚と会うことも困難になってしまう。彼女はこう言った。
「控訴が棄却されたあとから、父の姿は8年以上、見ることすらできていません」
これについて森氏が質問し、アーチャリーが答える。
「ただ、確定死刑囚の場合でも、家族は面会できるんだけど‥‥理由は?」
「以前は『呼びかけに反応しない』『動こうとしない』という理由でしたが、最近はもう(拘置所サイドから)、ただ『面会できません』ということが多くなって」
2016/9月23日にも面会を申し込み、『面会できません』のひと言で断られてしまったという。いわく、
「08年から177回以上も断られているんです」
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三女・アーチャリー「“秘”講演会」で明かされた麻原彰晃の「拘禁生活」!
(2)麻原死刑囚の状態とは?

ここで森氏が麻原死刑囚の「重度な昏迷状態」について口を挟み、補足解説した。
「つまり弁護団としては、控訴趣意書を出せないんです。なぜ出せないか。控訴趣意書は本人に控訴するという意思がないと書けない。でも麻原は、まったくコミュニケーションができないんです。『治療させてくれ』と弁護団は申請したんですが、(裁判所が)受け付けない。弁護団は自分たちで精神科医を呼んで、診断書を手に『もう一度、精神鑑定をしてくれ』と。その結果、裁判所は(精神鑑定に)応じます。しかしどんな内容だったかというと、『麻原は詐病である』。つまり、精神昏迷を装っている、と」

さらに森氏は、その判断の「根拠」について、次のように切り込む。
「例えば、こういった描写が(調書に)あります。この精神科医は3日間、麻原に面会したんです。1日目、麻原の目の前でボールペンを揺らすんです。でも麻原はまったく反応しない。2日目、同じようにボールペンを振ったら、麻原はそれを握った。精神科医が引っ張ったら、麻原は握ったまま離さなかった。つまり『この人はボールペンを握る能力はあるのに、1日目はそれを隠していた。実は装っていたんだ』という理屈なんですよ。納得できます?」
つまり、麻原死刑囚は「拘禁障害」の症状を呈しているのであって、訴訟能力はある。控訴する気がないのではない。そしてアーチャリーともども、控訴棄却を裁判所による「だまし討ち」だと批判したのだ。

アーチャリーは先の著書でこう書いている。
〈父が事件に関与したのかについて、今でも自分の中で留保し続けています。(中略)父は事件に関与したのかもしれないし、していないのかもしれない〉
彼女(三女アーチャリー)にとって「オウム事件」はいまだ納得できない事柄であり、納得の鍵になると信じるのが、麻原死刑囚の「治療」である。

森氏はこの件について、熱弁を展開した。
「まずは麻原を治療したうえで、あの事件は何だったのか、なぜ(一連の事件を)指示したのか、しっかりと解明していかなければならない。でなければ何の教訓にもならず、このままだと再発防止すらできないんですよ」
アーチャリーがこれに呼応する。
「昨年2015、(精神科医の)先生が『あなたのお父さん、半年もあれば治してあげられるのに』と。私はぜひとも治療をしていただきたいと思っています。そのうえで、何が起こったのか、きっちりさせたいです」

アーチャリーと森氏は、死刑執行の日を待つ麻原死刑囚の再審の可能性を捨てていないのである。
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三女・アーチャリー「“秘”講演会」で明かされた麻原彰晃の「拘禁生活」!
(3)新たな「偽装サークル」で勧誘
2016年10月27日アサ芸プラス

「講演」がひととおり終わると、質疑応答に入った。ここで麻原死刑囚の「恍惚の拘禁生活」が明らかになる。

──現在の麻原の様子を教えてほしい。
森氏「麻原は現在、障害・重病などのために通常の社会生活を営むことができなくなっている。食事はライス、味噌汁、おかず類ですが、彼は一つ一つを食べることができず、ライスの丼におかずと味噌汁をいっしょくたに入れ、混ぜこぜにしたものをスプーンで口に運んでいる状態です。風呂は週に3、4回。でも自分1人では入れないばかりか、寝ながら汚物をタレ流し、体中が汚物まみれ。なので、風呂では(拘置所のスタッフが)モップを使って麻原の体を洗い、ホースの水をぶっかけて洗い流す方法を取っています。視力はほとんどなく、音も聞こえないような状態。もう廃人同然なんです」

──お父さんのことをどう思いますか。
アーチャリー「今でも会いたいと思っています」

「廃人同然」と形容された麻原死刑囚。だが、今も彼をあがめる「信者」は絶えない。
オウムの後継団体「アレフ」が拠点を置く東京・足立区の教団施設を訪ねた。チャイムを押しても反応はない。しかし建物内には明かりがともり、人がいるのが確認できる。施設近隣の工事現場の作業員は言う。
「たまに右翼団体が来て抗議活動をしているけど、ふだんは静か。信者もできるだけ目立たないようにしているんじゃないか」

アレフから分裂し、上祐史浩氏が代表を務める「ひかりの輪」の拠点は、世田谷区内のマンションにある。区民センターの外壁には脱会を促すメッセージの横断幕があり、定期的に抗議デモと学習会を開催。地域ぐるみで「反オウム」活動が活発に行われ、マンションそばには住民による「監視詰所」が設置されている。
「ここ数年、施設への若い人の出入りを見ることが増えました」
と不安な顔を見せるのは、近隣住民である。
「深夜に独り言を言いながら徘徊する怪しい人が何人かいるんです」

元オウム信者によれば、
「麻原信仰グループはアレフ以外に、全国に最低7つある。大阪、福岡、神奈川などで麻原をあがめる人間が集まり、中には銃の密売を生業にする連中までいる」
アレフを含む「残党」の間では近年、フェイスブックを中心に、SNSを使った勧誘活動が活発化し、大学生など若い信者が増えているという。

社会部デスクが言う。
「オウム残党だとわかりづらい勧誘がほとんど。以前は『ヨガサークル』名義が多かったのが、『読書』『登山』『国内旅行』『自転車』などといったサークルに偽装するのが増えてきた」
モノ言わぬ「教祖」をヨソに、オウムは今もひそかに増殖している──。

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■「三女の本(止まった時計)は嘘ばかり」麻原彰晃四女が語る“麻原一家”の今■
2015/6/6(週刊FLASH6月16日号)

「麻原の死刑は安保法案審議中におこなわれるという情報がある。
世間の関心をそちらに向けるためだ。
しかも今年に入って死刑執行はまだない。
安倍内閣ならやりかねない」(社会部記者)

こんな話が流れるなか、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(60)の
四女・聡香(仮名26)が、本誌インタビューに答えてくれた。

四女聡香は5年前(2010)に著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店)を出版、
家族の中で唯一被害者に謝罪すべきとの立場を鮮明にしてきた。

だが、今年2015/3月、
アーチャリーこと三女松本麗華が『止まった時計』(講談社)という手記を出した。
また、ブログでも情報を発信している。

「1995/3月20日の地下鉄サリン事件後、20年の日で、取材は一段落すると思っていました。
でも、三女が本を出した事で変わった。
(三女松本麗華の)本はまったくフィクションと言っていい。
中には尊師は凄いと書いてある。
オウムを否定する言葉もない。
彼女(三女松本麗華)はオウム的な価値観の中で今も生きていると思います。
父については精神疾患を患っていると強調している。

つまりこの本は、父の死刑執行を回避する事を狙って出したのでしょう。
これを元信者さんたちが読んで信仰を取り戻すきっかけになりそうで怖いです」(四女聡香26)

麻原の家族は現在、みなバラバラで生活しているという。
➊妻の知子は次男と共に埼玉県内にあるアレフ本部の近くで暮らし、➽知子・次男group
❷次女と三女(松本麗華)と長男も近所の別宅に住んでいる。➽次女・三女(松本麗華)・長男group
❸長女と四女(聡香)は一人住まいだ。➽長女1人住まい・四女(聡香)1人住まい

公安調査庁は、
■三女アーチャリー(松本麗華)がアレフの幹部になっていると認定■、
また、麻原が亡くなった場合は、
長男と次男が新たな教祖として、教団を継承するとみられている。

長女は別として、
聡香以外は、いまだどっぷりオウムに浸かったままと見ていい。

「母親と三女(松本麗華)は絶縁状態になっています。
母親たちは今でも教団のおカネで暮らしています。
三女(松本麗華)にも取り巻きの元信者がいて、彼らの援助で生活している。
父の攻撃的な性格をもっとも継承したのは三女(松本麗華)でしたね。
だから5歳で後継者に指名された。

でも、のちに後継者は弟たち(長男・次男)に移りました。
教団は長男と次男が継承するというけど、彼ら(長男・次男)が宗教家になりたいなら、別の宗教をやるべきです。
オウムという土台の上に何を積み上げても、私は間違うと思っています」(四女聡香26)
 
かつての教団内部については?
 
「教団を支配していたのは性と暴力でした。
父は女性の幹部信者にはほとんど手を出していました。
【父の子供は全部で15人いるはずです】。

父だけでなく、
幹部の人たちにも、みな愛人がいた。

性のイニシエーションだと言って、結局、父も幹部もやりたい放題だったんです。
暴力については、脱会した信者が連れ戻された時、逆さ吊りの罰を与えられたのを見ました。
私(四女)が見た時にはすでに遺体です。
これは事件化していないはず。幼い頃でしたが、強く印象が残っています」(四女聡香26)
 
ここまで語ってくれた四女聡香。
きっぱりと教団との距離を置いているのは四女聡香だけだった。
 
(2015週刊FLASH6月16日号)
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オウム真理教勢力
▼活動地域=日本・ロシア連邦▼

2015年現在■信徒=1650人■
▼国内
出家信徒=約300人
在家信徒=約1350人
▼国外
ロシア人信徒ら=約160人

■拠点施設
▼国内=15都道府県下32か所
▼国外=ロシア連邦内に数か所

【公安調査庁公表】
2007/11月:出家500人+在家1000人=1500
2011/10月:出家400人+在家1100人=1500
2013/06月:出家300人+在家1350人=1650

出家の減少分を在家増強で補う。
2015現在の教団の資産額=6億9000万円(現金+預貯金など)
※注意=Aleph(主流派)+ひかりの輪(上祐派)=オウム真理教としている。
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■組織形態,意思決定機構■

2015現在、教団の中心的内部組織として、
➊「Aleph」の名称を用いて活動する集団
❷「ひかりの輪」の名称を用いて活動する集団

が存在しいずれの信徒も、
「オウム真理教の教義を広め,これを実現する」との共同目的を有して活動しているところ、
➊「Aleph」においては「合同会議」が、
❷「ひかりの輪」においては「役員会」が
それぞれ設置されており、麻原の意思に従い、また麻原の意思を推し量りながら、
組織運営に係る決定[決定機関]を行っている。

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■麻原ファミリーをめぐる教団運営の混乱■~妻⇔三女(松本麗華)・長男

教団は、麻原の長男・次男を「教祖」とする新体制を発表していたが(平成8年1996年/6月)、
「宗教団体・アレフ」への名称変更に伴い(平成12年2000年/2月)、「新団体は教祖を置かない」との規定に基づき,
表向きには教祖と位置付けないものの、2人[長男/次男]を崇拝の対象としていた。

しかし、
平成25年2013年/10月以降,麻原の妻(◆松本知子◆⇒改名松本明香里)は、
主流派の一部の幹部信徒と共に、《次男》を教団の活動に復帰させる事を画策した。

この計画を知った麻原の三女(◆松本麗華◆)は、
主流派の幹部信徒を仲介して,観察処分下にある教団の運営に関わらせる事に反対している!と一部の幹部信徒に伝えると共に、
この計画を進めようとする信徒らを批判する内容の文書を全国の幹部信徒に送付した(2014/1月中旬及び2月中旬)。

こうした中、
主流派の意思決定機関である「合同会議」は、三女(◆松本麗華◆)の意向に同調して行動した幹部信徒らに対し、
教団を分裂させる行動に当たるとして除名処分を行った(2014/5月)。

同除名処分をめぐって、
信徒の中には、異を唱える者も現れ,除名反対派と除名賛成派に分かれて信徒間の軋れきが顕在化し,
除名反対派の幹部信徒が,相次いで長期修行や除名処分を命じられるなど・・・

麻原ファミリーの教団運営への関与に端を発した混乱が,教団全体に波及する状況となった。
さらには,主流派が長男の誕生日に合わせて開催したイベントについて、
◆長男◆は,氏名や写真の使用差止めと計4千万円の損害賠償を求め、主流派に対して訴訟を起こしており(2014/10月)、
今後も、教団運営に影響を及ぼす麻原ファミリーの行動が注目される。

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■教団の武装化の起点・契機■~次女[3回目の再審請求]

1990年(平成2年)2月施行の衆議院議員総選挙に落選した事などを契機に教団の武装化を進めた。
▼松本サリン事件=死者8人+負傷者143人
▼地下鉄サリン事件=死者12人+負傷者3000人以上
などを引き起こし、
1995年(平成7年)5月16日に殺人及び殺人未遂容疑で麻原彰晃を逮捕⇒その後13事件で起訴され、
2006年(平成18年)9月に死刑判決が確定した。⇒2015現在東京拘置所(60歳)にいる

2015現在東京拘置所に収監されており、
2013年(平成25年)5月には、◆次女◆が3回目の再審請求を申し立てたものの、
2014年(平成26年)6月、東京地方裁判所は同請求を棄却した。
なお,同月(2014/6)、麻原の弁護人が東京高等裁判所に即時抗告している。

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▼週刊朝日2015年3月27日号より抜粋▼.dotより

●2000年/1には《長女と長男》が茨城県内で生活中の時に・・、
次女と三女(◆松本麗華◆)が信者と共に乗り込んで長男を連れ去るという事件が発生した。
教団内の権力闘争が明るみに出たほか、
(麻原彰晃の)子供たちの間でさまざまな不和が生まれた原点ともされる。

2000年(平成12年)1月に長男を連れ去ろうとした事件で、
2000/2月19日に松本麗華は逮捕され、保護観察処分となった。

●2004年には三女(◆松本麗華◆)が和光大学(東京都町田市)に入学を拒否されたとして提訴
⇒東京地裁は違法と認定した。

●長男は昨年2014/10月に「教祖となるかのように扱われた」とアレフを提訴。
教団とは無関係だと主張している。
訴状によると、アレフは、長男の誕生日に関係する催しを長男に無断で開催し、催しの中で長男の氏名を使用したという。

三女(松本麗華)も2014/12月に「アレフ幹部と認定されたのは不当」として、
国(公安調査庁)の他、1面で報道した産経新聞とアレフを訴えた(⇒しかし、訴訟状況はまだ出てない)。
長女、次女は沈黙を守っている。

※週刊朝日2015年3月27日号
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▼■松本麗華■▼

16歳の時に教団から離れ通信制の高校に入学し
大学に入学して卒業した[心理学/心理カウンセラーの勉強]。

松本麗華は、
2015現在は、次女と長男(弟)と親代わりの人χと同居している。
他の兄弟とはつながりがない。
母(松本知子=改名/松本明香里)とは断絶状態にある。

①親代わりの人χ=??知恵泉??~オウムとの関連性不明
②次女[1981年生れ2015現在34歳]
③三女=松本三女アーチャリー松本麗華[1983年生2015現在32歳]
④長男[1992年生2015現在23歳]

2015/3ニュースZEROの取材の中で、
松本麗華(31)が被害者の方に向けてのお詫びの言葉が全くなかった。
かつ麻原彰晃への溺れる愛情の表現コトバになっていた。

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麻原の家族は現在、みなバラバラで生活しているという。
➊妻の知子は次男と共に埼玉県内にあるアレフ本部の近くで暮らし、➽知子・次男group
❷次女と三女(松本麗華)と長男も近所の別宅に住んでいる。➽次女・三女(松本麗華)・長男group
❸長女と四女(聡香)は一人住まいだ。➽長女1住まい・四女(聡香)1住まい
 
◆■■■◆■◆◆■◆◆◆■■◆■◆◆◆■◆◆◆■■■■

■麻原彰晃+松本知子⇒子供6人■

▼出産順▼
➊長女
1978年生(2015現在37歳)
ホーリーネーム=ドゥルガー
❷次女
1981年生(2015現在34歳)
ホーリーネーム=カーリー
❸三女
1983年生(2015現在32歳)
ホーリーネーム=アーチャリー
本名=松本麗華
2013年7月からブログを立ち上げて麻原彰晃に関する内容を書いている。
本を出版《止まった時計/麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記》講談社1512円
上祐と同じく、民間TV・NHKに良く出演する。
❹四女
1989年生(2015現在26歳)
ペンネーム【松本聡香】で自叙伝を出版/4780円
《私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか/地下鉄サリン事件から15年目の告白》徳間書房
四女の過去では、自殺未遂やネットカフェ難民、ホームレスなどを経験した。
❺長男
1992年生(2015現在23歳)
教団から皇子の称号を与えられる。しかし・・・・

長男はアレフに対して
写真と名前の無断使用禁止を求める提訴を起こし、名誉棄損で4000万円の請求をした。
長男は現在大学3年生=関西の大学に進学した。
❻次男
1994年生(2015現在21歳)
春日部共栄中学校に合格したが、《麻原彰晃の息子》という理由だけで入学を拒否された。

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■麻原彰晃+愛人A,B,C,D,E,F....⇒6人の愛人の子■内訳=石井久子が3人+他の愛人などで3人

愛人A▼石井久子(2015現在51)
ホーリーネーム=マハーケイマ正大師⇒既に脱会した。
麻原彰晃との間に3人の子を生んでる。
3=双子+1
子供たちとは暮らしておらず、神奈川県近郊で父親と2人で暮らしている。
2000年11月に懲役3年8ヶ月の服役終えて出所。一時精神を病む。
2015現在は訪問介護の仕事しながらマンションで父親と2人暮らし。

▼飯田エリ子(2015現在50)
ホーリーネーム=サクラー正悟師⇒既に脱会?。
2002年8月に懲役6年6ヶ月の実刑を終え出所。出所数ヶ月前に脳出血。現在は都内の実家で暮す。
右半身麻痺。リハビリのため実家(府中市?)と病院を往復する毎日。
現在も後遺症が残り車イスと杖が必要な生活を余儀なくされている。

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■苦悩する松本死刑囚の25歳四女「父の死刑は絶対に執行すべき」■
2015/3/17北海道新聞

1995年3月の地下鉄サリン事件から20年を迎えるのを前に、
松本智津夫死刑囚(教祖名麻原彰晃60)の四女(25)が2015/3/17日までに共同通信の取材に応じ
「謝って済むものではないが、被害者の方には、いつも生きているだけで申し訳ないと思っている」(四女)
と心情を明かした。
松本死刑囚には複雑な感情を示しつつ、被害者にとって事件が終わらない事を挙げて
「父の死刑は絶対に執行されるべきだ」(四女)と述べた。

現在は教団と関係を絶ち、家族と離れ生活している。
松本死刑囚は地下鉄サリン事件から約2カ月後、
当時一緒に生活していた山梨県上九一色村(現甲府市、富士河口湖町)の教団施設で逮捕された。

※四女への取材場所=東京都内
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■ひかりの輪の上祐史浩の戦略■

・“麻原隠し”の一層の徹底を図る上祐派
・麻原の影響力を保持している実態に変化なし
・宗教色を払拭して観察処分逃れをもくろむ取組を継続

上祐派は。平成26年2014年に、上祐が自身の説法会や講演会などにおいて,
「『ひかりの輪』は宗教団体ではない」旨説明した上で、
報道関係者に施設の内部を公開し(2014/10月)、
特定の仏画を掲示していない事や祭壇を設置していない事をアピールするなど,、
各種メディアを活用して「脱麻原」の宣伝活動を展開した。

また、同上祐派は、「ひかりの輪」の設立(平成19年2007年)以来、
麻原や上祐が、麻原の化身であると説いた

➊釈迦牟尼
❷観音菩薩
❸弥勒菩薩

の「《三仏》の仏画を掲示してきたところ、
上祐が説法などを行う際に背景となる壁面には、
《三仏》の内、釈迦のみを掲示する事とした(2014/3月)。

しかし、
在家信徒が同上祐派の施設を訪問した際や、
聖地とする神社・仏閣などを訪問する「聖地巡り」においては
《三仏》の仏画を掲示していた事が確認されており、

これまで同様、上祐派の「脱麻原」の取組が,麻原の影響力を払拭したかのように装う“麻原隠し”である事が明らかとなった。
さらに「ひかりの輪」設立以来、
上祐が麻原のイニシエーションを継承する旨述べて導入、実施してきた宗教儀式については、外形的変更を加えつつも、
エネルギー移入を目的とする麻原のイニシエーションを維持しており、
依然として,麻原の影響下にある実態に変化がなかった。

上祐派は、メディア等を利用して、適切な組織運営をアピールしているが、
実際には、出家信徒の外部就労などによる賃金や高齢者の年金収入を吸い上げ、
出家信徒には数千円の現金だけを支給する教団特有の出家制度を維持している状況が確認されたほか、

上祐派が導入した「外部監査」と称する取組についても、帳簿検査すら行われていないなど、監査の実態を備えていないものであった。
さらに、同上祐派は地域住民に対して、活動拠点の施設を個人の自宅と装って、使用していた事も明らかとなるなど(2014/2月)、
同上祐派の組織体質が、依然として、欺まん的である事が明らかとなった。
また,同上祐派が資金源の一ッとしてきた「聖地巡り」と称する企画旅行をめぐっては、
これまでに少なくとも50回以上実施されてきたが、
同上祐派は,ウェブサイトで一般の参加者を募り、同事業の拡大を図っていたところ、
観光庁長官の登録を受けずに企画旅行を実施したとして,旅行業法違反の疑いで警視庁による捜索差押を受けた(2014/8月)。

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■オウム真理教■2015現在
拠点施設・国内=15都道府県下32ヶ所

①北海道⇒札幌施設
②宮城県⇒仙台施設
③茨城県⇒水戸施設

④埼玉県⇒北越谷・越谷大里・八潮大瀬・八潮伊勢野・大宮施設
⑤千葉県⇒野田・鎌ヶ谷施設
⑥東京都⇒西萩・保木間・足立入谷・新保木間・南鳥山施設
⑦神奈川県⇒横浜・横浜西施設

⑧愛知県⇒名古屋・豊明施設
⑨滋賀県⇒甲西・水口施設
⑩京都府⇒京都施設
⑪大阪府⇒生野・東大阪施設

⑫長野県⇒小諸施設
⑬石川県⇒金沢施設
⑭徳島県⇒徳島施設
⑮福岡県⇒福岡・福岡福津施設
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