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長い間ありがとうございました

当時55歳佐藤薫の理不尽な医学部不合格(群馬大医学部の封建制)1,2審敗訴/上告断念・ジェンダーフリーの潮流・今はむかし家政婦の半世紀・西村玲(43女)の自死・自殺と自死の区別

2011年10月25日 19時50分33秒 | Weblog
26000文字数
女性差別だけではない医学部入試
50歳過ぎた受験生は合格者平均を超えても落とされた

筆記試験は合格者の平均点より10点以上高かったのに、
面接点で落とされた女性が、東京医大の入試不正を見て
「変わらない体質」が受験生に与える影響を語ります。
2018/12/12BuzzFeed New/岩永直子

「不合格だとしても理由が納得できれば諦められる。成績以外の何が理由とされたのか、不透明なので引きずるのです」と話す佐藤薫さん。
「受験生に無駄な期待と時間を費やさせるのは社会正義に反する」と話す佐藤さん
訴訟を報じた新聞記事を前に語る

東京医科大学医学部の入試で、女性や多浪生が不利な得点操作を受けて合格人数を抑えられていた問題。
文部科学省が全国の医学部を調査した結果、他にも複数の大学で同様の点数操作があったことが明らかにされ、順天堂大、岩手医科大、金沢医科大、福岡大でも釈明会見を開く事態となっている。

13年前に群馬大医学部(2005年当時55歳)を受け、合格者平均点を10点以上も上回ったのに不合格となり、入学許可を求めて訴訟を起こした佐藤薫さん(2018年68歳)はこのニュースを聞いた時、驚かなかったという。

「医学部で、さらに私立ならば、公平な選抜は行われていないだろうと思っていたからです。私が訴訟を起こした13年前に問題が放置された結果、医学部の入試は何も変わることがなく犠牲者が出続けているのでしょう」

佐藤さんは東京医大の問題を機に、全国の医学部入試について調査を進めている文部科学省に自身の群馬大受験についても調査を求めたが、断られた。

佐藤さんが本当に年齢が理由で落とされたのかは、今も分からない。しかし、落ちた理由がわからず、今回の東京医大のような不正な得点操作が続々発覚したことで、いつまでも納得できない。
BuzzFeed Japan Medicalは、佐藤さんに自身の体験から感じた医学部入試の不透明さについてお話を伺った。

■父の看取りをきっかけに医療の世界を志す
東京都内の自宅(当時)で私塾を開いていた佐藤さんが、医学部受験に挑戦することになったきっかけは、2000年に実父の看取りを経験したことだ。
晩年、父は歩行や脱ぎ着など日常生活を送るための身体機能が衰え、もの忘れも多くなって病院のベッドに寝たきりとなったまま生涯を終えた。
「体の機能を維持するために元気なうちから働きかけることができたはずですし、精神的にもっと支えることができたら、晩年、心の問題を抱えることもなかったはず。父の死後、私は後悔で3年ぐらい夜になると涙が止まりませんでした」

母が健在だったため遺産は受け取らなかったが、母が子供たちに300万円ずつ分けてくれた。
「このお金を遊びには使いたくない。何かの形で父への後悔を生かすことに使いたいと思いました。私も50歳になり、子どもも社会人として独り立ちをし、自分の老いを感じた時です。何かを始めるならラストチャンスだと思いました」

最初は、高齢者の心身の機能を維持するためのリハビリテーションに関われないかと、理学療法士を目指して専門学校を受験した。ところが、一次試験を2位の成績で通ったのに、面接試験で不合格となった。
質問さえほとんどされなかった。

「こういう学校の入試は恣意的に選抜されてしまうのかもしれないと思いました。医師の方がもっと幅広く関われると思いましたし、国立大学の医学部ならば、そんな受験差別はしないに違いないと、家から通える群馬大学の医学部を受けることを決めました」

朝4時起きで猛勉強  3年目に平均点を10点上回ったが......
それから朝は4時に起きて猛勉強する日々が始まった。
元々、慶應大学工学部出身の理系脳で、それまで、私塾でも高校の数学や物理を教え、ニューズウィークを英語で購読しているほどだ。数学、物理、英語は問題ない。

問題は、漢文や古文や社会科系の文系科目で、通信教育の問題や過去問を繰り返し解いた。家事や私塾を続けながらの挑戦だ。

最初に受けた2003年度は不合格。
試験成績を開示請求したところ、合格者平均よりも10点弱低かった。
翌年2004も不合格。
「手応えとしてはおそらくギリギリだったのだろうと思いました。来年受けたら、きっと合格できるともう1年挑戦(2005)することにしたのです」

ところが、今度は合格したという確実な手応えがあった3年目の2005年度(55歳)
も結果は不合格だった。
「おかしいと思いました。そこでまた得点の開示請求をしたら、合格者の平均点は551.2点で、私は10点以上も上回る561.5点だったのです」

群馬大によると、
佐藤さんが受けた医学部医学科一般選抜前期日程の点数の内訳はこうだ。

医学部医学科 一般選抜前期日程
センター試験=    計450点
個別学力検査等:数学= 100点
個別学力検査等:小論文=200点
個別学力検査等:面接=総合判定の資料とする

何かの間違いではないか?
すぐに群馬大学に電話で事情を話して問い合わせると、入試担当者が出てきた。
「間違いかもしれませんから調べます」

電話を切って4時間ほど経ってから、折り返し同じ入試担当者から電話が鳴った。
その担当者は「これは個人的な意見ですが」と前置きした上で、こう述べた。
「医学部は1人の医師を育てるのに多額の税金を使うので、あなたが卒業した時の年齢を考えて、何年活躍できるかを考えた結果だと思います」

ショックだった。
3年もの間、試験に受かるように努力してきた日々は最初から無駄だったというのか?
「そんなことってあるの? 国立大学でそんなことが許されるの?と思いました。理不尽だと怒りが湧きました」

■大学を相手取り入学を認めるよう提訴
センター試験と数学、小論文を合わせた点数の平均点は合格者平均を大幅に上回っているのだから、面接で極端に低い点数がつけられたということだ。

振り返れば、グループで行う面接試験では、
終始、自分に向けられる言葉だけ棘があった。

医学部受験の動機を尋ねられ、父の終末期への後悔を語ると
「じゃあ介護でもしたらどうですか」と言われた。
年齢について触れられ、
「医学部は高齢者のカルチャーセンターとは違いますから」とも言われた。
「みんなに向けられた質問でも、私の1人手前で回答を終えられたし、面接官は私が受験することを不愉快に思っているのだなと思っていました。私の年齢が気に入らなくて、あの面接の点を低くされたのだろうと思ったのです」

試験担当者との電話を切った後、そんなことを考えながら、
「このまま放置はできない」と考えた。
家族とも話し合い、入学許可を求めて群馬大学を相手取り、前橋地裁に訴訟を起こした。

裁判では面接点やどのような基準で評価しているのかを開示するように求めたが、
大学側は「翌年の入試に差し障りがある」として一切出さなかった。

試験担当者が言った「卒業時の年齢が響いた」という発言に関しては、
大学側は、「個人的な見解であり、大学の見解ではない」と突っぱねた。

何一つ、知りたいことは明らかにならないまま、2006年10月に前橋地裁で「年齢により差別されたことが明白であるとは認められない」として、請求は棄却された。
諦めきれずに東京高裁に控訴したが、2007年3月に敗訴した。

2005年55歳医学部不合格
2006年56歳前橋地裁1審=請求棄却(原告代理人の新井弘治弁護士)
2007年57歳東京高裁2審=2007年3月敗訴

3審の【2007/4/10上告断念 ⇒ 2007/4/13判決確定】
佐藤さんは10日、上告を断念した理由について、
👉「弁護士から、上告する理由が見あたらないと説明を受けたため」とし、
👉「医師を目指して何年間も受験や裁判をしてきただけに、今は脱力感でいっぱいです」
と無念そうに話した。判決は2007/4/13確定した。
佐藤さんは「年齢の壁は予想以上に厚かった」と無念さをにじませた。

裁判の経過を報じる新聞紙面
「大学入学に壁?」「理由は年齢しかない」などの見出しが並ぶ。

そして佐藤さんは、医学部受験を諦めた。
「この裁判で他の国立大学のガードも固くなったのか、それまで面接がなかったところも面接試験を設けるようになっていました。裁判が終わって57歳になり、私も疲れていましたし、再び別の大学を受けたとしても公正な評価をしてくれる保証はない。受かっていたのかもしれないと思いながら夢を諦めた辛さは、今でもずっと引きずっています」

■東京医大の不正入試 「あの時のままだ」
忘れてしまおうと、医学部入試の勉強に使った資料や裁判の書類を全て捨て、夫の定年退職と共に私塾の講師も辞めた。

田舎に引っ込み、家庭菜園や編み物を楽しんで穏やかに生きていた今年8月、東京医科大学で女子学生や多浪生が点数を操作され、合格者数が抑えられていた問題が発覚した。
私塾で教えていた生徒が、私立大医学部を受験した時、書類に親の収入や学歴を書く欄があるのを知っていたため、「私大ならば試験の成績以外の要素で決めるのだろう」と当初、そんなに驚かなかった。

しかし、じわじわと怒りが再び湧き上がってきた。
「文部科学省の対応が遅過ぎます。私が群馬大学を訴えたあの時、医学部の入試で不正が行われていないか徹底的に調べていれば、東京医大の不正で泣く受験生はいなかったかもしれない。そして、もしかしたら私にも道は拓けていたのかもしれない」

母の努力や悔しい思いを間近で見てきた長男の将史さんと相談して、
全ての医学部を調査するという文部科学省に、薫さんの件も調査するよう要望書を出すことにした。

要望書にはこう書いた=
「面接での著しく低い得点は、私が医師として不適切というレベルに止まらず、人間性そのものまで否定されたかのようです。年齢以外の何が理由で、過剰なまでに低い評価が下されたのか、未だにこの不自然な結果の真相は分からないままであり、心情的にやりきれません。そして、このような不自然な大学入試が不明瞭なまま放置されていることは、我が国の大学入試制度としても、大きな問題です」

文部科学省は9月19日、書面で「個別大学の入学者選抜における合否判定の資料については、直接の当事者である群馬大学に対して御要望いただくべきものと考えます」として、調査はしない旨を回答してきた。

■「再調査はしない」とバズフィードの取材にも回答
今回、BuzzFeed Japan Medicalは改めて、群馬大と文科省に取材をしたが、

群馬大は「確定判決が出ておりますので、改めてコメントすることは差し控えたい。再調査の実施や不合格理由の開示も考えておりません」と答え、
「従来から年齢、性別、出身地などでの区別なく入学者選抜しております」とした。
さらに、面接については、「医学を学び、将来は医学・医療に携わって社会に貢献する人材としてふさわしい人格と適性を評価」することを意図し、意欲や論理性、社会性、人間性などを見ているとした。
群馬大に40歳以上の合格者が過去にいるかどうか尋ねたが、「調査を行なっていないので回答はできない」ということだった。

大学改革支援・学位授与機構のウェブサイトでは、
2006年度から年齢別の合格者数を公表しており、08年度までの3年間では40代以上の合格者は1人もいなかった。ただし、他の大学でも40代以上の合格者はわずかだ。
文部科学省大学入試室は「今回の医学部の入試調査は過去6年と区切っていることから対象ではない。裁判の結果を尊重し、個別の調査は差し控える」としながらも、「全体の調査の結果によってはなんとも言えない」と再調査の可能性について含みを残した。

■今の思いは? 「これからも形を変えて問題は起きるはず」

医者になるためには、医学部で6年勉強し、国家試験合格後も各診療科で研鑽を積んで1人前の医者になるのに数年かかる。
「教育コストがかかる分、長い期間医師として働ける人を選びたい」「激務に耐えられる人を」という声が医師の間には根強くある。
試験から13年が経ち、冷静に当時を振り返られるようになった佐藤さんは、こう話す。
「初めは年齢差別も女性差別も絶対いけないと思っていましたが、怒りが収まってくると、使いやすい人材が欲しいという大学側の事情も理解できます。でも、それならば、なぜ最初から女性や年齢や浪人の回数で不利になると明記しないのでしょう」

「事前にわかっていたら、受験しないはずです。高度な倫理観が求められる医学部で、受験生に無駄な期待と時間を費やさせるのは社会正義に反するのではないでしょうか」
「高齢で体力が心配というのなら、入試で体力測定でもすればいい。入試要項でその要件を明示せず、年齢や性別で差別しないとうたいながら恣意的な選抜をするのは、公正ではありません」

2014年には群馬大で8人の患者が死亡する手術死事件が発覚した。佐藤さんはこう思ってしまうのを抑えられない。
「一部の人が密室で物事を決め、情報を開示しない大学の体質があのような医療事故につながっているのでしょう。そこが根本的に変わらない限り、これからも形を変えて問題が起き続けると思います」

そして、こう訴える。
「私は勉強したかったし、残りの人生、医師として社会貢献したいという夢が不透明な入試で断ち切られ、ずっと不完全燃焼のような思いを抱えています。群馬大にしても、東京医大にしても、他の大学にしても、不透明な入試は受験生の未来を踏みにじるのだということを自覚して、膿を出し切ってほしい」
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【age&gender freeの令和時代】
文科省、大学入試で差別禁止ルール化
全学部で来年度2020から適用へ
2019/4/5(金)毎日新聞

文部科学省は5日、大学入試で性別や年齢などの属性を理由に不利な扱いをしたり、成績順に従わず特定の受験生を合格させたりすることを禁止する方針を明らかにした。東京医科大など10大学の医学部の不正・不適切入試が判明し、それ以外の学部も含めて明確なルール化が必要と判断。大学や高校から意見を聞いたうえで6月に通知する大学入学者選抜実施要項に盛り込み、来年度2020の入試から適用する。

大学入試は実施要項で「公正かつ妥当な方法」で行うとされているが、具体的なルールは定められていなかった。有識者会議がまとめた報告によると、主に合理的な理由なく「性別、年齢、出身地などの属性で取り扱いの差異を設けること」「成績順を飛ばして特定の受験生を合格させること」を禁じる。

また、恣意(しい)的な合否判定を防ぐため、教授会や入試委員会などの合議制の会議で決め、資料には判定に不要な氏名や年齢、性別、出身校などの情報を掲載しないこととした。
一方で、一部の私立大で設けられている同窓生の子供の特別枠については「さまざまな意見があることを踏まえ、より丁寧な説明が必要」とするにとどめた。

違反した場合のペナルティーは規定していないが、
文科省が入試の公正性が害されたと判断した場合は調査し、必要に応じて指導する。

文科省は昨年12月に公表した医学部入試問題の最終まとめで「全ての学部で公正な入試のあり方を検討する必要がある」と指摘。これを受け、1月に有識者会議(座長=岡本和夫・大学改革支援・学位授与機構顧問)を設置して議論した。【伊澤拓也】
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ただ、面接があれば、その時点で受験者の受験番号はわかるので
恣意的に面接点なり人間性で不合格にもって行ける。
面接点を入試試験配点に公示する事が必要です。
若しくは、
システム的に恣意性が排除できないなら面接不要にすべきです。

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年齢性別制限撤廃への、封建制医学部が2020(R2)から近代化できるのか?

「群馬大医学部不合格は55歳の年齢」横浜68歳女性、公明正大な入試訴え
2018/12/15(土)毎日新聞

13年前に群馬大の入学許可を求めた訴訟についての新聞記事を読み返す佐藤薫さん
=横浜市青葉区で2018年9月12日午前11時41分、伊澤拓也撮影

文部科学省の医学部入試調査で、浪人年数や年齢を理由に受験生を不利に扱ったと指摘された大学は7校に上った。その理由を「現役のほうが伸びしろが大きい」と公言する大学もあり、医学部受験と年齢の関係に焦点が当たっている。13年前、合格者平均点を上回りながら、55歳という年齢がネックになって国立大医学部を不合格になったと訴えてきた主婦は、改めて「公明正大な入試を」と話している。

「国立大学には育成した医師を社会に貢献させる使命がある。ほぼ10年の育成期間を考えた時、あなたの年齢が問題になる」

2005年に群馬大医学部を不合格になった佐藤薫さん(68)=横浜市青葉区=は、大学職員の言葉に耳を疑った。情報開示請求でセンター試験と2次試験の合計点が561.5点で、合格者平均の551.2点より高いことを知り、大学に電話した。担当者は「個人的見解」と前置きした上で、年齢が問題だと明言した。

募集要項には「高校卒業ないしそれと同等の資格を備えた者に広く門戸を開いています」とあり、年齢に関する記述はなかった。佐藤さんは「不合格の理由は年齢以外にない」と同年6月、入学許可を求め前橋地裁に提訴。裁判では2次試験のグループ面接の評価が焦点となり、大学側の証人から「面接で著しく不良があったと考えられる」との証言を引き出した。

佐藤さんの記憶では、志望動機などについて簡単なやり取りがあっただけだったが、佐藤さんが求めた評価の開示は大学側が拒否。結局、判決は「面接評価は実施機関が判断すべき事柄」として訴えを棄却した。控訴審でも結果は同じだった。

佐藤さんが医師の道を志したのは、父(当時81歳)が肺機能低下で亡くなったことがきっかけだった。晩年に衰弱していく姿を見て「いい一生だったと思える最期を迎えさせてあげたかった」と、高齢者医療に携わりたいと願うようになった。05年は3回目の挑戦で手応えもあっただけに、ショックだった。

現在は夫と2人暮らしで、今でも「医師になっていたら社会に貢献できた」と思うことがある。大々的に報じられた東京医科大の不正入試問題にも、驚きは一切なかった。当時から私大では女子や多浪の受験生が合格しにくいというのは「常識」と言われていた。群馬大を受験したのも国立大なら年齢差別がないと考えたからだった。

東京医大や昭和大は、多浪生を不利に扱った理由を「伸びない」「現役のほうが将来性がある」などと説明した。佐藤さんは「年齢で差をつけるなら募集要項に書いてほしい。書いてあれば受けなかった」と憤る。

文科省の最終まとめで、群馬大は不適切と指摘されていないが、調査対象は過去6年に限定された。この幕引きに「面接試験をどう点数化しているかまで調査はできていないと思う。面接の結果を透明化できなければ、年齢や浪人差別は巧妙に潜在化してしまう」と警鐘を鳴らしつつ、期待も口にした。「一歩前進したのは間違いない。私のように悔しい思いをする人がいなくなってほしい」【伊澤拓也】
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↓判決2日前の取材2006/10/25↓
佐藤さんは慶応大工学部卒業後民間企業に勤め、出産退職し専業主婦に。
群馬大に狙いを定め勉強を始めた。午前5時に起床し家族が起きるまで2時間、家族を送り出してから2時間、家事の合間をぬって猛勉強~

提訴してから約1年4か月(この頃、夫58,長男29歳)

「国立大学には長い年月と多額の費用をかけて社会に貢献できる医師を育てる使命がある。しかしあなたの場合、卒業時の年齢を考えたときに社会貢献できるかという点で問題がある」
佐藤さんの問い合わせに対し、大学の入試事務担当者は「個人的見解」とした上で、そう説明したという。「年齢を理由に不合格とするのは不当。納得できない」佐藤さんは2005年6月15日、提訴に踏み切った。

公判で大学側は「入学試験の合否の判定は裁判所の審査権が及ばない。年齢を理由に合否を決めていない」の一点張り。
面接試験の結果開示を拒んだまま判決を迎える。
佐藤さんは民事訴訟と並行し、同じ内容の行政訴訟も起こしており、
2006/10/27日の判決では両訴訟について判断が下される。

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【群馬大学医学部不合格訴訟】
群馬大学(当時/鈴木守学長)を相手取り、医学部への入学許可を求めた訴訟

56歳主婦の請求を棄却する判決(前橋地裁/松丸伸一郎裁判長)原告代理人/新井弘治弁護士
2006/10/27速報

年齢を理由に不合格にしたのは不当だとして、
56歳の主婦が、受験した群馬大学医学部に対し入学を認めるよう求めた裁判で、
前橋地裁は、主婦の請求を棄却する判決を言い渡した。

訴えていたのは、東京・目黒区の主婦・佐藤 薫さん(56)。
佐藤さんは2005年2月、群馬大学医学部を受験したが、不合格となった。

佐藤さんの筆記試験の点数は合格者平均より10点ほど高く、不合格の理由を電話で問い合わせたところ、「年齢が問題になる」との説明を受けたと主張していた。

これに対して大学側は、面接の結果や評価基準の開示を拒否したうえで、
「年齢は合否判定の基準になっていない」と反論していた。

2006/10/27日の判決で前橋地裁は、
判決理由で松丸裁判長は
「面接の評価は裁判所が審理するに適さない」としたうえで、
「年齢により差別されたことが明白であるとは認められない」
として、請求を棄却する判決を言い渡した。

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『年齢の壁』に阻まれた夢/56歳主婦敗訴の波紋は?
2006/10/東京新聞

最大の争点は実際に年齢による差別があったのか。
しかし実際に「差別があったかどうか」について、
原告の主張はことごとく退けられる形となった。

裁判を通し佐藤さんが最も知りたかったのは、面接試験が合否判定にどのように使われているかだが、これについても何一つ明らかにならなかった。

➊手持ちの情報/出さぬ大学側
群馬大学医学部の入試では、筆記試験(センター試験と個別試験、小論文)に面接と調査書を加えた「総合的な判断」によって合否判定が下される。またこのうち一つでも「著しく不良のものがある場合は不合格もありうる」と入試要項には書かれている。

筆記試験で合格者平均を10点以上も上回っていた佐藤さんは、
面接で「著しく不良」とされた以外、不合格の理由は思いつかない。
そのため面接ではどのようなチェック項目があり、
どう点数化されているのか開示を求めたが、
大学側は「今後の入試に影響を及ぼす」として応じなかった。

➋さらに入試担当者から
「医師を社会に貢献させる使命が国立大学にあり、10年かけて育成しても社会に貢献できるか、あなたの年齢が問題となる」
と自分の不合格理由に高年齢が挙げられたと主張したが、
判決は「証拠がない」としてこの発言を認定しなかった。

佐藤さんは
「大学側が面接の情報開示をしなかったため、差別の実態が立証できなかった」
と悔しがる。

原告代理人の新井弘治弁護士も
「大学側が手持ちの情報を出してこなかった。佐藤さんが持っている証拠は、(年齢差別を受けたという)自分の経験以外にないのだから、公的機関である大学は積極的に情報を出すべきだった」と話した。

この日の判決は、佐藤さん個人にかかわるだけでなく、高齢化社会における雇用のあり方を占うものとして注目された。これから“超”少子高齢化社会に入っていく日本にあって、高齢者の意欲と能力を引き出せるかどうかは、社会の活力に直結するからだ。
しかし判決は「年齢の壁」とともに「司法の壁」の高さをも思い知らせるものだった。
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医学部不合格56歳女性の訴え棄却「年齢差別」認めず
2006年10月27日朝日新聞

群馬大医学部の05年度入試で年齢を理由に不合格にしたのは不当だとして、東京都目黒区の主婦佐藤薫さん(56)が群馬大を相手取り、入学許可を求めた訴訟の判決が27日、前橋地裁であり、松丸伸一郎裁判長は「年齢により差別されたことが明白であるとは認められない」として、原告の訴えを棄却した。

訴訟では
(1)大学入試の合否判定が司法審査の対象になるか
(2)年齢による差別があったか、などが争われた。

松丸裁判長は、合否判定が裁判所の審理対象となるかどうかについて、
「本来的には裁判所の審判権は及ばないが、年齢、性別、社会的身分などによる差別があったことが明白な場合は審判しうる事柄だ」と判断。
そのうえで、「面接官が年齢を理由として差別したと認められない」
と、訴えを退けた。

判決などによると、
佐藤さんは群馬大学医学部の05年度入試で不合格となり、入試成績の開示を大学側に求めた結果、筆記試験や面接などの総得点が合格者の平均点を約10点上回っていた。

佐藤さんは不合格とされたことに納得がいかず、入試担当者に問い合わせた際、
非公式に、「年齢が問題となった」などの説明を受けたと訴えていた。

大学側は
年齢による差別はなく、総合的に判断したと反論。
面接の結果は今後の入試に影響があるとして開示に応じなかった。
また、「大学の合否判定は裁判になじまない」と主張していた。

➊89年度の北海道大学医学進学課程の入試をめぐり、
受験した男性が、「得点が合格圏内にありながら、大学側の人為的操作が加わり不合格になった」と国を相手に損害賠償を求めて提訴。
東京地裁は90年6月に、「合否判定は司法審査の対象になるものではない」として男性の訴えを棄却している。

➋06年2月の医師国家試験の合格者は7742人で、最高齢は64歳の女性。
03年には熊本大医学部を前年に卒業した66歳の男性が医師国家試験に合格している。
東海大医学部は「40歳未満」としていた編入学試験の年齢制限を撤廃している。

     ◇

〈群馬大学のコメント〉
大学の主張を認めていただき、妥当な判決と考えている。
今後の入試についても、公正につとめていきたい。
↑2006年10月27日朝日新聞↑
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57歳主婦の群大医学部不合格/二審も年齢差別認めず(東京高裁/門口正人裁判長)
2007/3東京新聞

群馬大医学部が2005年度入試で年齢を理由に不合格としたのは違法として、東京都の主婦 佐藤薫さん(57)が入学許可を求めた訴訟の控訴審判決で、
東京高裁は29日、請求棄却の一審前橋地裁判決を支持、原告の控訴を棄却した。

門口正人裁判長は一審と同様
「面接も含めた総合点が合格点に達せず、年齢のみを理由に
不合格とした事実は認められない」と判断した。

判決によると、
佐藤さんは2005年2月に受験したが不合格となった。
大学入試センター試験と、面接を除く二次試験(学力検査、小論文)の合計点は合格者平均を10.3点上回っていた。

原告側は
「入試担当者から『医師の育成には多額の費用と十年の年月がかかり、その医師を社会に貢献させるという国立大の使命を考えると年齢が問題』と非公式に説明された」
と主張したが、

門口裁判長は
「説明があったとは認められず、仮にあったとしても個人的見解」
として退けた。
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もしも、録音データがあったなら,かなり状況は変わっていただろう。
今の時代、隠しカメラより録音が極めて必須証拠。
理不尽な職質・双方会話。大事な問い合わせには録音です。
SD,SDHC,SDXCのマイクロSDで録音保存です。
電話機にパッチワーク的にワンタッチ付着出来るマイクロレコーダもあります。
政治家も録音証拠で失脚。

誰にでも受験資格があると言っておきながら最初から合格させない
のは詐欺であり、不条理です。
検証不可能な面接という隠れ蓑で、恣意的に調整差別するのは問題である。

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【2007/4/10上告断念 ⇒ 2007/4/13判決確定】

2007/4読売新聞
医学部入試で高齢を理由に不合格にされたとして、
東京都目黒区、主婦佐藤薫さん(57)が群馬大に対し、入学許可を求めた訴訟で、
1審、2審とも敗訴した佐藤さんが上告を断念した。

佐藤さんは10日、上告を断念した理由について、
👉「弁護士から、上告する理由が見あたらないと説明を受けたため」とし、
👉「医師を目指して何年間も受験や裁判をしてきただけに、今は脱力感でいっぱいです」
と無念そうに話した。判決は2007/4/13確定した。
佐藤さんは「年齢の壁は予想以上に厚かった」と無念さをにじませた。
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2007/4東京新聞
「世の中では再チャレンジ、男女雇用機会均等というけれど、道のりは遠い」
50歳すぎで医学を志した佐藤さんの実感だ。
佐藤さんは2000年、実父(森田豊/当時81歳)の死をきっかけに高齢者医療の道を志した。
(父が肺機能低下で亡くなった事がきっかけだった,晩年に衰弱していく姿を見続ける)
2003年から3度続けて群大を受験(2003,04,05)。
2005年に不合格理由の情報開示を求めたところ、筆記試験は合格者の平均点より約10点も高かったため提訴に踏み切った。

一、二審とも判決は
「年齢によって差別されたことが明白であるとは認められない」とした。
条件の厳しい最高裁への上告は「上告理由がない」と見送った。
佐藤さんは「大学から裏切られ、司法からは見放されたような気持ち」
と約2年の裁判を振り返った。
最後に「他大学は地理的にも学力的にも難しい。八方ふさがりな状態」
と声を絞った。佐藤さんの医学への熱意は消えないが、進む道は見えない。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

上告断念の意思の弁護士、力量が弱い。自ら門前に刀を投げ捨てる弁護士。
戦わずにして結果を先読みする、裁判所が喜ぶ,良い子可愛い子。
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医学部入試"女子は男子より不利"の裏常識
2018/7/11プレジデントonline筒井冨美

息子を不正合格させるため東京医科大学に便宜を図ったとして、受託収賄の疑いで文部科学省の局長が逮捕された事件。こうした不正はほかの大学でも行われているのか。フリーランス麻酔科医の筒井冨美氏は、「一部の医大が女子より男子の受験生を優遇していることは、医大関係者の間では常識になっている」と指摘する。
医学部受験における「裏常識」とは――。

医学部受験「女子より男子の受験生を優遇」は本当か

7月4日、東京地検特捜部は文部科学省の科学技術・学術政策局長の佐野太容疑者を受託収賄の疑いで逮捕した。佐野容疑者は私立大学支援事業の対象校選定の見返りに、自分の子を東京医科大学の一般入試で不正に合格させてもらった疑いがもたれている。この事件で、東京医科大学の臼井正彦理事長と鈴木衛学長が辞任。特捜部は贈賄側の臼井理事長と鈴木学長についても在宅で捜査している。

▼そもそも、東京医科大学とは?

東京医科大学は新宿駅から徒歩圏内にある私立医大だ。SNS上の書き込みでは「東京医科歯科大」や「東海大医学部」と混同したものを見かけた。一般にはなじみの薄い医大かもしれない。受験の難度としては「中堅クラスの私立医大」と分類されることが多い。近年、医学部受験は難化しており、それを踏まえると、合格には「早慶理工レベル」の学力が要求されるといえる。

▼医学部受験の裏常識
(1)性別:
「男子受験生を優先的に合格させる私立医大」

「学力だけで勝負すれば合格者は過半数が女になってしまう」。筆者は複数の医大幹部からこうした話をたびたび聞いている。一部の医大は性別のバランスを考慮して男子受験生を優遇しているようなのだ。こうした事実はどの大学も公式には認めていないが、医大関係者の間では“常識”となっている。

かつては、「女の子が医大なんか行ったら結婚できなくなる」と敬遠されていたが、近年では「女性が一生働ける」「医師夫をゲットする近道」といった理由で、学力優秀な女子高校生が積極的に医大を受験するようになった。また、昨今の「働き方改革」や「女性活躍促進」といった政策を受け、産休・育休が確保でき、当直・残業は免除する、という医療現場も増えつつある。

しかしながら、医療現場では「男手」の必要なシーンが多い。病気は365日24時間いつ発生するかわからない。大病院であれば必ず当直の医師が必要だ。とりわけ医大附属病院の運営には、当直可能で元気な若手医師を多数確保する必要がある。また、外科などの多忙な診療科は女医には不人気であり、女医率の上昇に伴い人手不足は深刻化している。

そうした背景もあり、とりわけ私大医学部の入試では、女子に比べて男子を優遇するケースがある。具体的には、小論文や面接などで「男子学生にゲタを履かせる」という手口が多いようだ。実際に、女子のほうが男子より入試レベルが1~2ランク難しくなる、とされる医大は複数存在する。
医学部生の「女高男低」ぶりは、医師国家試験の合格率にも反映されている。過去5年間の合格率は、男性が「87.8~90.7%」であるのに対し、女性は「90.5~93.2%」となっており、一貫して女性が高い。

裁判所も認めた「合否は大学側が“総合的”に判断」

▼医学部受験の裏常識
(2)「年齢」:

「浪人生より若い現役高校生が合格しやすい」

東大や京大など難関校の医学部では、浪人生より現役生の占める割合が高い。「医学部受験ラボ」のまとめによると、直近で東大は77%、京大は71%が現役生だ。こうした傾向の背景には、「若い学生ほど合格しやすい」という事情もある。

2005年には医学部生の年齢をめぐって裁判が起きた。
55歳の女性が群馬大学(国立)の医学部を受験。不合格となったが、入試成績の開示を大学側に求めた結果、筆記試験や面接などの総得点が合格者の平均点を約10点上回っていた。女性は「年齢を理由に不合格にしたのは不当だ」として提訴。だが、大学側は「年齢による差別はなく、総合的に判断した」と反論。前橋地裁は「年齢により差別されたことが明白であるとは認められない」として女性の訴えを棄却した。

医療現場では裁判所の判断に好意的な声が多い。たとえば筆者の知人は「50代で入学しても、研修などを経て一人前の医師になる頃には定年になってしまう。貴重な枠は若い人に譲るべき」と話していた。この判決は、結果的に「特定の学生にゲタを履かせることは違法とは認められない」とも解釈でき、影響は大きい。

▼医学部受験の裏常識
(3)「出身地域」:

「都市部より地方の医大のほうが合格しやすい」

地方の医師不足を受け、「卒業後に地元で一定期間(9年程度)働く」といった条件で、一般受験生より早めに合否を出す制度がある。1997年に札幌医科大(国立)と兵庫医科大(私立)で始まった制度で、2017年度の入試では全医学部定員の18%の1674人分が「地域枠」だった。定員に占める地域枠の割合が最も高い札幌医大は、定員110人のうち82%にあたる90人が地域枠だ。
地域枠の場合、一般枠に比べて入試の偏差値は1~2ランクほど低くなるケースが多い。「受験テクニックを磨きぬいた都会の進学校出身者」よりも「地元高校現役トップ層」を優遇する仕組みだといえる。

▼医学部受験の裏常識
(4)「寄付金」:

「かつては開業医のアホ息子が多額の寄付金で裏口入学」

河合塾によれば、現在、国立・私立を問わず医学部の偏差値は65以上となっている。国立トップは東大理科3類の72.5、私立トップの慶應義塾大は同じ72.5となっている。ところが1980~90年頃には「偏差値50以下の私立医大」が実在した。当時、筆者の周囲では「開業医のアホ息子が多額の寄付金で裏口入学」「面接試験では寄付金の交渉をする」「1点100万」といった話が公然とされていた。

この頃は日本経済のバブル期でもあり、医師以外にも待遇のいい仕事がたくさんあったので、現在のように偏差値の高い高校生が医学部に集中することはなかった。このため新設の私立医大は、学生と金を集めるためにさまざまな手だてを講じたのだろう。
しかしながら、医学部に合格すれば医師になれるわけではない。医大進学の目的は医師免許取得である。この医師国家試験はマークシート式の学力試験なので裏金は効かない。そのため「金持ちアホ学生が、留年や国家試験浪人を繰り返して、無職のまま30代」といった事例もあった。

現在では医学部人気(というか、医師以外のエリート職の凋落)を受けて、地方の私立医大でも偏差値60以上の学生を難なく集めることができる。このためなのか、旧知の医大幹部は筆者に「点数の操作は、小論文・面接の加点レベルにとどまっている」と打ち明けた。私立医大は「目先の寄付金でアホ学生を入れると、医師国家試験で大変なことになる」ということを思い知らされているので、大幅加点を避けるようになったというのだ。

▼なぜ、東京医科大の不正合格はバレたのか?

今回の東京医大の不正合格をめぐっては、インターネット上でさまざまな臆測が飛び交っている。そのなかでは佐野前局長の息子とみられる人物が、受験の前後にSNSへ書き込んだ内容が注目されている。そのひとつは2017年5月の「浪人して良かったー!!!!!!」という書き込みだ。これは父親から不正合格を教えてもらった日ではないかと解釈されている。さらにセンター試験の16日前となる12月28日には「セブ島で年を越す」という医大受験生とは思えない報告があった。2018年3月3日には「受験おわったー!!!!(中略)たぶん東京医科大行きます100点」という“勝利宣言”をしている。

東京医大の2018年一般受験枠は75名、受験者約2600名。一次合格者451名、最終合格者171名、進学者85名だった。NHKの報道によると、佐野前局長の息子は「1次試験(理科、英語、数学)の点数が当初、合格ラインに達しておらず、大学トップの臼井理事長や鈴木学長が点数を大幅に加算するよう学内に指示していた疑いがある」ということだ。

▼元局長の息子は一浪生なのに1校しか受験しなかった可能性

ここからは筆者の推測だが、佐野前局長は旧・科学技術庁の出身で、私立医大入試の「裏常識」に疎かったのではないだろうか。現在の医大入試では、前述したように、加点と言っても「小論文・面接」などでごまかせる範囲にとどまっており、1次試験は自力突破が要求される。ゆえに、親と医大が密約していても子供には伝えず、予備校に通わせたり、同レベルの医大を数校受けさせたりするべきだったのだ。佐野前局長の息子とみられる人物は、SNSでの書き込みをみる限り、一浪生なのに1校しか受験の記載がなく、不自然だ。

また、東京医大の理事長と学長も「都内の有名私立高校の学生だし、面接で加点すれば大丈夫だろう」として合格を安請け合いしたのだろう。その吉報を佐野前局長が軽率にも息子に告げてしまい、息子は入試をナメて遊びまくって一次試験合格も果たせなかった。
その結果、理事長らは「1次試験の大幅加点」という悪目立ちする行為に手を出さざるを得なかった。加えて、息子の行動も不自然で、周囲に怪しまれるようになり、しかるべき筋へ告発する者が出現したのではないだろうか。

【結語】

複数の医大幹部によれば、現在の私立医大でも一部では縁故や寄付金による加点は存在するようだ。しかし、それはあくまで小論文・面接などの範囲内にとどまっている。医大進学の目的は医師免許取得である。この試験には不正を行う余地がないため、大幅加点してムリヤリ医学部に進学させるという行為は学生にも医大にもリスクが高すぎる。今回の事件によって、大学のイメージ悪化や受験者数の減少など、東京医大の受ける影響は計り知れないものがある。

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背景に低い医師国家試験の合格率…3浪男子抑制
2018/08/05読売新聞

女子受験生の合格者数を抑制していた東京医科大(東京)医学部医学科の一般入試で、3浪以上の男子受験生の合格者数も恣意(しい)的に抑えられていたことが、同大の内部調査で新たに判明した。背景には、浪人生の医師国家試験の合格率が低いことから、優秀な現役生を増やして合格率を上げ、大学のブランド力を高める思惑があったとされる。

「受験に失敗して何度も浪人を重ねた生徒は、大学に入った後も成績が伸び悩む傾向がある」。同大関係者はそう明かす。

関係者によると、同大は、2011年度までの数年間に入学した学生の入学後の状況を調査。その結果、現役で合格した学生の94・6%が留年せずに卒業し、その全員が医師国家試験に一発合格していた。これに対し、留年せずに卒業した浪人生は81・8%にとどまり、そのうち数%は医師国家試験に一発合格しなかった。
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北大学長、パワハラで調査…卒業・入学式は欠席
2019/04/06読売新聞

北海道大学(札幌市)の名和豊春学長(64)が大学職員にパワーハラスメント(パワハラ)を行った疑いがあるとして、学内に調査委員会が設けられて調査が進んでいることが6日、わかった。調査結果は近く出る見通しで、学長の進退が問われる可能性もある。

北大の複数の関係者によると、昨年2018秋に「名和学長がパワハラをした」と学内から訴えがあり、学内組織「総長選考会議」(議長・石山喬日本軽金属ホールディングス相談役)に調査委員会を設置、関係者の聞き取り調査が行われている。

名和学長は昨年2018/12月から体調不良を理由に休職中。
学長の職務代理は笠原正典副学長(63)が務めており、2019/3月の卒業式や今月4日の入学式も名和学長は欠席し、式辞は笠原副学長が代理で読んでいた。

名和学長は北海道三笠市出身。北大大学院工学研究科修士課程を修了。同大大学院工学研究院長・工学部長などを経て、2017年4月に学長に就任した。任期は23年3月末まで。
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北大・名和学長の解任を申し出へ 選考会議がパワハラ認定
2019/7/5(金)北海道新聞

文部科学相が精査し判断
北大の名和豊春学長(65)が北大職員にパワーハラスメント(パワハラ)をした疑いがあるとして調査していた学長選考会議(議長=石山喬・日本軽金属ホールディングス元会長)がパワハラを認定し、文部科学相に学長の解任を申し出る方針を決めたことが4日、分かった。
文科相は申し出を受け次第、精査し、解任するかどうかを決める。

文科省によると、
2004年度の国立大学の法人化後、全国で学長が解任された例はない。

▼訴えを受け、昨年2018/11月に調査委
名和学長は「大学から何も聞いておらず、コメントできない」としている。

国立大学の学長の任命、解任は国立大学法人法に基づき、学内外のメンバーで構成する選考会議の申し出を受け、文科相が決定する。

北大の選考会議は10人の委員で構成。「名和学長がパワハラを行った」との訴えを受け、昨年2018/11月に調査委員会を設置した。関係者によると、選考会議は名和学長らのヒアリングを経て、パワハラがあったと認定し、学長を続けるのは適当ではないと判断した。
北海道新聞社
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パワハラ疑いで北大学長解任へ 30日付、文科省通知
2020/6/29(月)共同通信

北海道大の名和豊春学長

文部科学省が、職員にパワハラをしたとして北海道大側から解任の申し出書が同省に提出された名和豊春学長の解任を決めたことが29日、名和氏への取材で分かった。
30日付で学長を解任するとの通知を受け取ったとしている。

名和氏によると、通知文書には国立大学法人法に基づく処分として解任する旨記載されており、文科省が確認したパワハラとされる行為の一覧も同封されていたという。

名和氏は取材に「パワハラをしていないという訴えが認められず残念な結果だが、一区切りだ」と話し、今後処分を不服とする審査請求や取り消し訴訟などの手続きを検討する考えを示した。
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不利な状況になると、病気療養とか緊急入院とかで雲隠れ
結果が出れば追加します。
それにしても学長・総長といえど、学内調査委員会が発令されるのだから
近代化している。いい事です。

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靴も下着もジェンダーフリー/オシャレの固定観念崩す
2019/3/23日本経済新聞夕刊(編集委員/小林明)

有楽町マルイの期間限定売り場「ジェンダーフリーハウス」
ジェンダーフリー、ジェンダーレス、ユニセックス……。男女の性差の区別や垣根を越えたおしゃれの新たなトレンドが身近な場面にジワリと広がっている。個性重視や価値観、ライフスタイルの多様化がこうした動きをけん引する。ファッション消費を何とかテコ入れしたいメーカーや流通業者側の狙いも背景にはあるようだ。

紳士服売り場には女性が着用可能なユニセックスの下着も(西武池袋本店)

■サイズやデザインが多様化
丸井グループは有楽町マルイ(東京・千代田)8階に「ジェンダーフリーハウス」という特設売り場を2月16日~3月3日の期間限定で開いた。男性向け、女性向けと一切区別せず、サイズやデザインで多様性を持たせた衣類や服飾品をそろえたのが特徴だ。

まず目に付いたのが幅広いサイズ展開を打ち出した靴コーナーだ。パンプス(4990~1万800円)で19.5~27センチ、ビジネスシューズ(7900~1万7800円)で22.5~30センチと「通常よりも大きなパンプス、小さなビジネスシューズまで取りそろえた」(岸慶人・プロジェクト担当リーダー)。
パターンオーダーのビジネススーツ(約4万~十数万円)もサイズやデザイン、色などで通常よりも幅広い選択肢を持たせて対応。
性的少数者(LGBT)にとって大きな悩みであるサイズやデザインの問題を解消する試みだ。

特設会場ではトランスジェンダーモデルの西原さつきさんが着こなしを指導するイベントも実施。「東北や関西、四国から来店するお客さんもいた」(岸さん)

百貨店の通常の売り場でも男女の性差の垣根は徐々に低くなりつつある。西武池袋本店では1月末から、5階の紳士服売り場で「ユニセックス」と掲げた女性も使える商品の取り扱いを本格的に始めた。

「紳士服売り場の来店客は6割以上が女性。妻による代理購入などが多いのは分かっていたが、それなら紳士服売り場に女性も使える商品を置けば、お客さんに便利だし、購買意欲も刺激できると考えた」(メンズスーツ&パーツゾーン店長の細田淳さん)

「女性でも着用可能なユニセックス」「ユニセックスで着られます」などと表記し、スポーツ衣料やボクサーパンツ、革小物、ハンカチ類の売り場で女性も使える商品を売り出したところ、夫婦やカップルがペアで買う例が増えたという。最近は女性が大きめな衣類を着るオーバーサイズが流行しており、女性客があえて男性向け商品を買うケースも目立つようだ。アパレル不況が長引く中、売り場を活性化したい思惑もにじむ。

ジェンダーフリーは学校の制服にも広がっている。

東京都中野区は新学期から全区立中学の女性生徒が自由に制服を選択できるようにする方針を打ち出した。制服は各校が独自に決めているが、現行だと区内全10校のうち5校で女子生徒の制服にスラックスが用意されておらず、スカートしかない。
「だが、スポーツが好きなのでスカートでは不便だと感じる女子生徒もいるし、防寒対策やLGBTであることを理由にスラックスをはきたいという声があることに対応した」(中野区教育委員会)

■大手ブランドも性差にこだわらず
「社会の価値観は多様化している。女子はスカート、男子はスラックスという制服の固定観念も徐々に崩れていくのではないか」。

LGBT支援に取り組む活動家の杉山文野さんはこう指摘する。
ジェンダーフリー、ジェンダーレス、ノージェンダー、ジェンダーニュートラル、クロスジェンダー……。表現は様々だが、こうした動きはすでに海外でも大きなファッショントレンド、意識改革として社会に定着している。

グッチ、クリスチャン・ディオール、ミッソーニ、ラコステなど大手ブランドはショーなどで性差にこだわらないコンセプトを相次いで発表。ニューヨーク・コレクションでは昨年から、男性・女性の従来の2部門に加え、新たにノンバイナリー(男女いずれにも属さない)部門が設けられた。
ニューヨークのマンハッタンでは「ジェンダーフリー」を掲げた衣料店も登場して話題になっている。男らしさ、女らしさ……。美や装いの基準は二択だけではもはや定義できなくなってきたようだ。
[日本経済新聞夕刊2019年3月23日付]
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「家政婦に全遺産」遺言有効 「長年支えた唯一の存在」実娘2人敗訴:
2016/1/25産経新聞/小野田雄一

平成23年に死去し「遺産は全て家政婦に渡す」としていた資産家女性=当時(97)=の遺言に反し、実娘2人が遺産を不当に持ち去ったとして、家政婦の女性(68)が遺産の返還を実娘側に求めた訴訟の判決が東京地裁であった。実娘側は「遺言は母親をだまして作成させたもので無効だ」などと主張したが、原克也裁判長は「介護せず資産のみに執着する実娘2人と違い、資産家女性に50年以上、献身的に仕えてきた。遺産で報おうとした心情は自然だ」と判断。家政婦の女性を全面勝訴とし、実娘側に宝石類や約3千万円など全遺産の返還を命じた。(小野田雄一)

判決などによると、家政婦女性は、中学卒業後に宮崎県から上京し、昭和36年ごろに映像会社創業者の夫と暮らす吉川松子さん(仮名)方で住み込みの家政婦となった。

吉川さんの夫はS59年に死去し、吉川さんは10億円超を相続。女性は吉川さんのもとで家政婦を続けた。月給は当初6万円で、夫の死後は無給だった。

吉川さんは「全ての遺産は家政婦の女性に渡す」と平成15年に遺言し、H23年に97歳で死去。しかし実娘側は死去当日などに遺産の大半に当たる約3千万円を自身の口座に移すなどした。女性は住む場所を失い帰郷。その後、遺産返還を求めて実娘側を提訴した。

一方、実娘側も、「女性は吉川さんの生前から資産を着服していた。遺言は無効だ」と主張。女性に着服金として、約6千万円の返還を求め反訴していた。

■嘘つきと主張

争点は(1)遺言は有効か無効か(2)女性は実際に着服していたのか-だった。

実娘側は「遺言は、女性が高齢で判断能力が低下していた吉川さんに実娘2人の嘘の悪評を伝え、不正に作成させた。実の娘を差し置いて家政婦に遺産を渡そうとするとは考えられない」と主張。女性側は「吉川さんには判断能力が十分あった。吉川さんは多額の援助を受けながら無心を続ける実娘2人に資産を奪われることを心配していた。遺言は適正だった」とした。

着服については、実娘側は「遺産が想像以上に少ない。女性が着服していたと考えるのが自然だ」と主張。女性側は「着服は一切していない。実娘への援助などで資産が目減りしただけだ」と反論していた。

■「何度も無心」

2016/1/18日の判決で原裁判長は、
実娘側が長年にわたり吉川さんに無心を続け、吉川さんも多額の援助をしてきた
▽実娘側が平成14年、「海外に移住する」として吉川さんから3千万円を受け取った際、吉川さんと実娘側は合意の上で「援助はこれが最後」とする念書を書いていた
▽移住したはずの実娘がすぐに帰国し同居を始めた後、吉川さんは「資産を奪われるのが怖くて外出できない」と第三者に話していた
▽吉川さんの死後に女性が帰郷した際、着の身着のままで現金も5千円しか持っておらず、大金を着服した人物ならば不自然だ-などと指摘した。

「使途不明金はカネ遣いの荒い実娘側に渡るなどしたと考えられる。女性による着服は認められず、推認すらできない」と断定。「遺言作成当時は介護を期待できる実娘も移住してしまっていた。その中で長年自分を支えてきてくれた唯一の存在である女性に感謝し、全資産を譲る心境になるのは自然だ」とし、遺言は適正なものだったとした。

さらに「実娘2人は吉川さんの資産に執着し、無心を繰り返してきた。『遺言は不合理だ』とする実娘側の主張は、それまでの自身の行いを省みないものだ」と批判し、訴訟費用も全額実娘側の負担とした。



■相続トラブル、年々増加
遺産相続をめぐるトラブルは、年々増加傾向にある。それに伴うように、遺言の有効性を法的に保証する「遺言公正証書」の登録件数も増加している。

平成27年の相続税・贈与税の改正に加え、政府は有効な遺言に基づく相続について一定の相続税を控除する「遺言控除」を新設して遺言を普及させ、トラブルを未然に防ぐ考えだ。少子高齢化が進む中、遺言の注目度が高まっているといえそうだ。

司法統計によると、全国の家庭裁判所に持ち込まれた遺産分割をめぐる事件数は、
平成12年度は8889件だったが、26年度は約40%増の1万2577件に達した。

相続トラブルを防ぐため専門家である公証人が遺言を保証する遺言公正証書の登録件数は、統計が始まった昭和46年は1万5千件止まりだったが、S62年に5万件を突破。平成26年には初めて年間10万件を突破している。
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「家族と安定がほしい」心を病み、女性研究者は力尽きた
2019年4月10日朝日新聞/小宮山亮磨

西村さんが研究していた部屋は、
今は父が寝室にしている。本棚には大量の資料が残る

大きな研究成果を上げて将来を期待されながら、自ら命を絶った女性がいる。享年43歳。
多くの大学に就職を断られ、追い詰められた末だった。
西村玲(りょう)2016年2月2日死去(=離婚届提出した当日)。

東北大学で日本思想史を学んだ。江戸中期の普寂(ふじゃく)という僧侶に注目した仏教の研究で、04年に博士(文学)に。都内の多摩地区にある実家に戻って両親と同居しながら、研究に打ち込んだ。

翌05年、日本学術振興会の「SPD」と呼ばれる特別研究員に選ばれた。採用された人に月額約45万円の研究奨励金を支給する制度だ。「これで(研究で使う)本がバンバン買える」と、両親に喜びを伝えた。「もらったお金の分は、研究成果で返さないといけない」

年に論文2本、学会発表4本。自らにノルマを課し、経典などを大量に運び込んだ2階の自室にこもった。数少ない息抜きは両親と囲む食卓。箸を動かしながら、研究の内容を早口で熱く語った。「覚えたことが出ていかないよう、頭に巻き付けるラップがあればいいのに」。そう言って笑い合った日もあった。

「博士漂流」問題、職に対して人募集の仕組みを 識者

08年、成果をまとめた初の著書を出版。高く評価され、若手研究者が対象となる「日本学術振興会賞」と「日本学士院学術奨励賞」を、09年度に相次いで受賞した。

学術奨励賞を受けた6人のうち、文科系は2人だけ。宗教研究としては初の受賞だった。指導した末木文美士(ふみひこ)・東京大名誉教授は「若手のリーダーとして、次々と新しい領域を切り拓き、ほとんど独壇場と言ってよい成果を続々と挙げていた」と記している。
文系の博士課程卒で就職も進学もしなかった人が近年は3割程度いて、進路が「死亡・不詳」とされた人も2割弱います。西村玲さんは研究職に就くことを望み、20以上の大学に応募しましたが不採用でした。

だが、特別研究員の任期は3年…
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文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死
2019/4/10(水)朝日新聞

大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。

【写真】西村玲さんが研究に打ち込んだ自室の机
西村玲さんが研究していた資料

日本仏教を研究してきた西村玲(りょう)さんは、
2016年2月に亡くなった。

04年に博士(文学)に。05年、月額45万円の奨励金が支給される日本学術振興会の特別研究員に選ばれた。

実家で両親と暮らしながら研究に打ち込み、成果をまとめた初の著書が評価されて、09年度に若手研究者が対象の賞を相次いで受賞。恩師は「ほとんど独壇場と言ってよい成果を続々と挙げていた」と振り返る。

だが、特別研究員の任期は3年間。
その後は経済的に苦しい日が続いた。

衣食住は両親が頼り。研究費は非常勤講師やアルバイトでまかなった。研究職に就こうと20以上の大学に応募したが、返事はいつも「貴意に添えず」だった。読まれた形跡のない応募書類が返ってきたこともあった。

安定した職がないまま、両親は老いていく。
14年、苦境から抜け出そうと、ネットで知り合った男性との結婚を決めた。だが同居生活はすぐに破綻。
自らを責めて心を病んだ。離婚届を提出したその日に自死した。

父(81)は「今日の大学が求めているのは知性ではなく、使いやすい労働力。玲はそのことを認識していた」と語る。

90年代に国が進めた「大学院重点化」で、大学院生は急増した。ただ、大学教員のポストは増えず、文科系学問の研究者はとりわけ厳しい立場に置かれている。首都圏大学非常勤講師組合の幹部は「博士課程まで進んでしまうと、破滅の道。人材がドブに捨てられている」と語る。
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【自殺と自死】の区別

「自殺」→「自死」言い換え相次ぐ
自治体、遺族感情に配慮
2014/3/10日本経済新聞

公文書などで自殺を「自死」と言い換える自治体が相次いでいる。
「『自殺』には命を粗末にした、という印象があり、残された者が一段と傷つく」との声が一部の遺族から上がっているためだ。ただ、支援団体などからは「イメージを和らげることになり、予防の観点からは良くない」との意見もあり、議論が続いている。

宮城県は2014/1月、公文書や啓発文書などで、原則として自殺を自死に言い換えることを決めた。同県障害福祉課は「『殺す』という表現に心を痛めている遺族からの訴えに配慮した」と説明する。

言い換えの先駆けとなったのは島根県。昨年2013/3月、遺族団体からの要望を受け、自殺対策総合計画を「自死対策総合計画」と変更するほか、公文書などで「自殺」を使わず、「自死」と表記することを決めた。
鳥取県も昨年2013/7月に同様の変更を決めた。

遺族ら約1700人でつくる全国自死遺族連絡会(仙台市)は2010年から自治体などに言い換えを呼び掛けてきた。自らも05年に長男を亡くした田中幸子代表(64)は「追い込まれて命を絶つしかなかったケースが多いのに、自殺という呼称は『命を粗末にした』『勝手に死んだ』という誤解を招き、遺族を一段と苦しめる」と訴える。

一方、全国自死遺族総合支援センター(東京・千代田)は昨年2013/10月、一律の言い換えでなく、状況に応じた使い分けを提案するガイドラインを発表。遺族・遺児に関する表現は自死とする一方、予防対策などでは「自殺防止」といった表現を残すべきだとしている。

04年に夫を亡くした南部節子事務局長(69)は「『自死』という表現は過酷な現実をオブラートに包んでしまう面があり、死に対するハードルが下がりかねない」と懸念する。

自殺対策に取り組むNPO法人「ライフリンク」の清水康之代表も使い分けを支持、「こうした議論を通じて、誤解や偏見に苦しむ遺族への理解を深めるきっかけにしたい」と話している。
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九大/大学院棟の強制立ち退き日の当日に放火自殺した男(43)(憲法研究者)は、
奨学金(800万円?)の返済負担などかなりの生活苦もあり自殺した。
自殺未遂者は、助かるかも時間帯&助かるかも場所を選ぶが、
この男(43)は間違いなく命の垂直遮断自殺です。

西村女史も垂直遮断自死だったのか
研究者断捨離をせず、結婚で苦境を薄める脇道を考えたのだろうが結婚相手の男は
sns系の男だろうから、男逃げる。
離婚届提出日に自殺だから、結婚に相当の気迫があったのだろう。
ただ、
思い切って現在の研究者を断捨離切り捨てして、別世界の生き方を進む道もあった。
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